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秦氏の権力者 秦河勝を祀る神社が兵庫県にあった

今回は兵庫県赤穂市にある大避神社をご紹介します

今回訪れる大避神社ですが、祀られているのは秦河勝です

秦河勝さん、どういった人物かというと一言でいうと『聖徳太子の右腕』

秦一族は現在の日本の基盤を作ったと言われています

京都市太秦にある広隆寺は秦河勝が創建しました


また、日本の文化の基盤も作り上げ、猿楽など雅楽の祖ともいわれています

そんな秦氏のトップ秦河勝ですが、大避神社にある坂越という場所にきてからは千種川流域を開拓しました。


大避神社のキーワードは12という数字です

では、本殿へ向かいましょう

本殿へと向かう階段は12段あります


これは序の口ですね

随神門を通ります

この随神門は全国的にもめちゃくちゃ珍しいです

右大臣左大臣です。

随身

神道ではこれを随身と言います。神社のボディガードのようなものですね

裏には仁王像が2対

この仁王像は金剛力士と言われていて、通常はお寺の山門(さんもん)にいます

仁王像

仁王像はお寺のボディガードのようなものです

神道と仏教がコラボしている随神門かなり珍しいです

明治時代に神道の神様と仏教の神様わけなさいという命令、神仏分離令をシカトした門です

さすが秦氏ゆかりの神社!枠外れてます

本殿の中の天井が注目ですね

絵が飾られています

よく数を数えてみると12枚の絵があります

境内にはこれでもか!というほど絵馬が奉納されています

この絵馬の中に、野ざらしにしていていいのか!?という気になる絵馬がありました

それがこちら

東儀俊美さんが奉納した絵馬です

この東儀俊美さんは雅楽師であり、宮内庁主席楽長をつとめたどえらい人物であり、そして秦氏の末裔です

めちゃくちゃ価値あるものをこんなおっぴろげていていいものですかね

ここの絵馬がたくさんあるところ

秦氏ゆかりのお寺、京都の広隆寺と雰囲気が似ていますね

広隆寺入口

広隆寺の本堂に入るまでにもたくさんの絵馬が飾られていますよね

今こそ広隆寺とは別ですが、もともとは同じ境内にあった大酒神社という神社があります

漢字こそ違うものの、今回の大避神社と読み方は同じですね

祀られているのは秦一族

大避神社の名前の由来は、京都にある大酒神社の由来と同じです

本来の漢字は大闢(ダビデ)

秦河勝自身も百済からの帰化人であり、その祖先は秦の始皇帝、さらにさかのぼるとイスラエルのダビデ王だと言われています

広隆寺との共通点が大避神社にはもう一つあります

それは井戸です

広隆寺の外側には井戸があります。その名前は『イサライの井戸』

大避神社にも井戸があります。その井戸の名前は『ヤスライの井戸』


ヤスライの井戸

名前こそ違いますが響きはよく似ていますね

秦氏の先祖秦の始皇帝ですが、その先にはダビデ王、さらにたどるとイスラエル

彼らのルーツを表現しているのかもしれませんね

京都の街の基礎を造った、秦河勝ですが

なぜ兵庫県赤穂市というところで人生の幕を閉じたのでしょうか

そこには聖徳太子の死が関係しています

聖徳太子が「河勝あとは頼む…パタリ」って倒れるわけです

聖徳太子の死後、秦河勝は蘇我入鹿に追われました

陸路ではなく海路で坂越へ漂着しました

その漂着したときことを伝承するために、始まったのが瀬戸内海三大船祭りです

『坂越の船祭り』です

このお祭りは秦河勝が坂越に漂着した日を祭礼日として始まりました

国の重要無形民俗文化財にも指定されています

生島

この祭りは、神輿が大避神社から生島にある御旅所まで船で渡るものです


その船が現代も木造船が使われています

そこで今回のキーワード12が出てきます

船で生島に渡りますが、その時の船の数が12隻だそうです

また櫂伝馬といわれる手漕ぎの船が船団の先頭を切りますが、その漕ぐ人数も12人だそうです

12の謎は深まるばかりですが、ここで少し秦河勝が漂着したときに乗っていた船について触れていきましょう

世阿弥の書いた『風姿花伝』には秦河勝が坂越に漂着したことについて触れています

摂津国難波の浦よりうつほ舟に乗りて、風にまかせて西海に出づ。

播磨の国しゃくし(坂越)の浦に着く。浦人舟を上げてみれば、かたち人間に変れり。

(中略)則(すなわち)、神と崇めて国豊也。(くにゆたかなり)

という表現があります。

今で言うと

大阪の難波からうつほ舟って船に乗って

風に吹かれるまま漂流して西に逃げたんや

そしたら、今の兵庫県の坂越に着いたわけですわ

地域の人が船を引き上げてみたら

船が人に代わったんっすわ

それはやばい

神でしかないって思って祀ったんよっっってこと

気になる点がありますねぇ!

人間に変わったとは!?

それはもしかした、もう一つの気になる箇所を紐解いたらわかるかもしれないね

もうひとつのキーワードは『うつほ舟』

うつほ舟はうつぼ舟と言われこの船の形が特殊です
まるでUFOのような形をしているんです


うつぼ舟

人間にかわったという表現あなたならどうとらえますか?

当時、うつぼ舟は珍しく、人間が乗っているとは思われなかった可能性もありますよね

ちなみに日本の伝統芸能を大成させた世阿弥ですが、風姿花伝には秦河勝が先祖だと書き残しています

ここまでいろいろとお話してきましたが、

この12という数字の意味はいったい何でしょうね

これは秦河勝が漂着した日付という説が有力です。旧暦の9/12に坂越に漂着しました

なので、12という数字がふんだんに使われていると考えられます

今回は兵庫県赤穂市にある大避神社を紹介しました
最後まで読んでいただきありがとうございました

動画でも解説中↓↓


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