救いがなさすぎる。 言葉についてよく考える日々が、続いている 言葉を知っているから、その言葉に寄った考えになるのか? 発する言葉によって、生き方まで変わるのか? 言語が変われば、思考も変わるのか? 厚久が心の奥底に沈めていく、その言葉たちを、 思いたちを、そっと拾ってあげられたらと何度思ったか 日本語では言えない、英語だと言える でも本当のことは、大切なときに何も言えず ただただ現実を、時を進めていくしかないことに憤りを覚えるとともに どこか共感してしまう自分もいて
2018年に公開された時、 高校生の私は、エリオの目でしか世界を見られなかった 終わりから何から、意味がわからなくて どうしようもなく辛くなってしまって こんなに美しい映画だけれど、 もう一度なんて、観られない映画だなと思っていた 話が変わって、今年、この前 ティモシー・シャラメが初来日ということで ファンの方がポスターにサインをいただいたというツイート( ポスト?)を見た 彼が演じたのはエリオだけど、 アーミー・ハマーの側にサインを書くんだって。 あまりにも美しい物
とんでもなく、ときめいてしまった ずっと観ようと思っていて、 最初の10分を観たところで、悲しいかな邪魔が入ってしまい、結局10日も経った今日、もう一度最初から観たのだった。 冴えない旅行書店の店主と、華やかな世界に住む女優 それだけでも十分すぎるのに、 周りを囲む変な友人も家族も、ホテルマンすら素敵だった とにかく笑かされるのだ 切ない恋愛映画にしてもいいのに、 そこかしこにユーモアが散りばめられている ⚠︎ この先、本編の内容に触れる部分があります。 記者が家に
とても暑い日に観に行こう と心に決めていたので、観てきた。 「レスリー・チャン没後20年」 ポスターにこう書かれていて、 ああ私が生きているうちではあったのだと 彼が生きていた時間と、 私の生きている時間に、 少しでも重なりがあることをうれしく思った 時代が渦のように動いて止まらずにただ進む その背景の中で、伝統芸能である京劇のスターの二人 蝶衣と小樓 そして小樓と結婚した菊仙 時代に飲み込まれ、溺れ その中でも変わらない伝統や想いは、 言葉にかえると、愛なのだろうか
aftersunを観た。 観ながらびっくりしてしまった。 何も起きないのだから。 これだけ期待されている映画ということは、 きっと涙してしまうようなイベントが起こるんだろう。 出てくるのが父娘だけということは、きっと家庭に課題があるのかもしれない。 …と、勝手に妄想を広げに広げた結果、びっくりした。 ソフィがプールや海に入るシーンになれば、 溺れたり 波に攫われるのではないかと どきどきして ソフィと新しいひととの出会いがあれば、 何か( いい方にもわるい方にも )