生きちゃった
救いがなさすぎる。
言葉についてよく考える日々が、続いている
言葉を知っているから、その言葉に寄った考えになるのか?
発する言葉によって、生き方まで変わるのか?
言語が変われば、思考も変わるのか?
厚久が心の奥底に沈めていく、その言葉たちを、
思いたちを、そっと拾ってあげられたらと何度思ったか
日本語では言えない、英語だと言える
でも本当のことは、大切なときに何も言えず
ただただ現実を、時を進めていくしかないことに憤りを覚えるとともに
どこか共感してしまう自分もいて
おお、これは本物の話だなと感じた
⚠︎ この先、本編の内容に触れる部分があります。
鈴と影絵で遊ぶ
直接ではないけど触れ合う、そのシーン
厚久は全然わかってない
だって自分のことだってわかってない
それなのに
鈴の本当に欲しいものなんてわからないわけで
最後、武田と鈴の元まで車で行くシーン
本当に素晴らしいと思った
言葉にしなくても、感情が溢れてくるときってある
言葉よりも先に、感情が表出する瞬間を見た
これは演技だけど、playだけど、
それこそが 本物 を映すことって、やっぱりある
ベンヤミンの「複製」と「オリジナル」に関する話を聞いたばかりだから、より考えてしまうけれど
演じることで見える本物、
それはもう オリジナル なんだと思う
これまた、2人の音楽があるというのがよかったな
音楽と言葉も、密接な関係だな
2023.12
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