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[続き①:覚悟のようなもの]


前回のまゆめものつづき、覚悟のようなものについて。



また前置きが長くなってしまうので
早めに本題に入ろうと思う。


今後について、2つ決めたことがある。


1つは約2年半後に、皆に来てもらえる(会える)"場所"を作ります。
それと同時に、多くの人のためではないかもしれないけど、必要な人のための"居場所"を作ります。


2つめは、自分の感性でリベンジします。



・・・・・・・

えっ

ざっくりーーーー!!!

なにがなんだかーーーーーーー!!!

つまりはなんのことーーーーーーーーーー!!!!



長くなるけど(いつものこと)
気が向いたら読んでね。






私は10代の頃、死ぬまで生きるつもりがなかった。



命あるものは死ぬ時まで生きるものだと思うけど、
私は、その時が来る前に生きることを辞めるつもりだった。



人生は素晴らしい、

命は尊い、

試練は乗り超えるためにある。


そんな前向きなワードは心のどこにも響かないし、無意味だった。


こう書くと、すごくマイナスなオーラの持ち主だったように思うかもしれないけど、表面的なことを言うと、そんな雰囲気は一切醸し出していなかった自信がある。(そして今もこんな心の一部を持つ人間だと知られていないと思う)

なにか危うげな、脆く、儚い女の子なんかではなくて
明るい、行動的で、好奇心の強い、自分で言うのもなんだけど
友達も多かったし、良いお付き合いができる彼氏もいて、
帰る場所もあって家族にも恵まれていた。


そんな私が人知れず、
誰にも心のうちを見せることなく
この世からフェードアウトしようとしていたのは
紛れもなく自分の感受性の強さのせいで、
敏感すぎて、繊細すぎて、私が私である以上、この心を持って生きていくにはこの世界は刺激が強すぎるように思えた。

感受性:外界からの感覚的,感情的な働きかけを受けいれる,人間の心の能力あるいは状態。大別して,認知的感受性と情動的感受性との二つがある。前者は,感性知覚にもとづいたもので,色彩,形,音の特性匂いや香りについての感覚を豊かにしてくれ,この場合には感覚性とも呼ばれる。後者はより全体的なもので,快楽苦痛の感情を受けいれる能力あるいは状態のことであり,この場合には感情性とも呼ばれる。またこの両者を含んだ感受的な心的事実総体をさす場合には,感性とも呼ばれる。

HSP:[Highly Sensitive Person]を略して「HSP(エイチ・エス・ピー)」と呼びます。生まれつき五感がとても敏感で、高い感覚処理感受性を有する人、または気質のことを指します。1996年に、米国の心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した心理学的概念。

[引用]世界大百科事典 第2版

まだ見ぬ未来への期待や夢よりも、
目の前の家族や大事な人を悲しませないことよりも、

自分の心の恐怖感や絶望感にひれ伏すこと

を選択したかった。解放されたかった。
(大層自分勝手だし、色々な意見があるのは承知、でもこれが過去の事実である。)


何度も大きく揺さぶられながら、葛藤しながら、
18歳のとき、実際に近所のマンションの最上階へひとりで上って
親を心底悲しませてしまいながらも、
死のうとした。

結果的には死ねなかったし、死ななかった。

あの悲しいでもない、悔しいでもない、涙もでない「無」の境地を経た上で
私は自分で「生きる」ことを決めた。


ひとつめの覚悟。


その時
まで生ききるということ。



一種の諦めのようなその覚悟の中には、
自分の心、つまりは感受性の強さを受け入れる。
はなく、
「無いものとする」や「蓋をする」があり、

それが生きるための唯一の防御法のようなものだった。


ちょうど高校を卒業して進路を決める分岐点だったけど
当時他者から認められることの多かった「感性の豊かさ」をあえて無視して
ゆく道を決めた。(これについてはまた今度)

そこからはとにかく「感じすぎてしまうこと」や「頑張りすぎてしまう」ことを
自分の中には”ないものとして”、意識的に鈍感力を身につけて
目の前のことを淡々と乗り越えて、
感情が揺さぶられる物事を避けてきた。
(音楽を聴かないようにしたり重いヒューマンドラマを観ないようにしたりして感覚スイッチが入ってしまわないようにとかも色々意識しながら)

とはいえ、感覚スイッチを完全なるオフにはしきれないし
それにしてもな行動力なので←無意識にも、意識していても。
ついつい頑張りすぎたり、その結果疲れ切ってしまったりして

全く何もできなくなって身動きが取れなくなることが何度もあった。
(もうねこれは典型的なHSS型のHSP。)

刺激を求める外交的な繊細(HSS型HSP)
HSPの中でも刺激を求める傾向にある人のことを指します。
[HSS]とはHigh Sensation Seekingの略で、別名「刺激追求型HSP」とも呼ばれています。
傷つきやすい面を持ちながら、行動力もあるため、自分でも矛盾を抱えながら、周りに理解してもらいづらいのが特徴です。
好奇心旺盛、活動的で周りの人に気を配ることができ、マルチタスクも得意でリーダーシップも発揮できますが、後から疲れてぐったりしてしまう。
周りからはアクティブに見られますが、その裏で疲れたり傷ついたりしている自分の二面性に悩むことが多くなる傾向があります。



そんな風に半強制的に立ち止まってしまうときに
”がんばりたいのにがんばれない”っていう現象とか

”立ち止まることが許されない気がしてしまう”という
誰に何を言われてもないのに苦しくなることもあり
その狭間で生きづらさを感じていたのだけど



私は自分にひとつの概念を与えることにした。



それは、
そんなにがむしゃらに生きる必要も

周りや社会に合わせる必要も

馴染んでいる必要も

多くの人に必要とされる必要も

何者かになる必要も

がんばる必要も


本当はないんじゃないかって
なくていいんじゃないかって。



何かのためとか
人のためとか

頑張る理由はいくらでもあって (つくることができて)
なんならあって当然のようでもあって、
頑張るための、頑張らせるための仕組みや仕掛けは世の中にたくさんあるのに


「無条件に在っていい」

っていうその概念があまりにも薄いような感覚があってね。


それは自分のための、自分への言葉と共に、
周りの人へ一番伝えたい言葉でもあった。



ただ、在っていい。



どれだけ繊細でも、
どんな病気でも、
どんな家庭環境でも、
どんなセクシャリティでも、
どんな仕事していても、仕事をしてなくても、
どんな過去があっても、
生涯独身だろうが子供がいようがいまいが、


ただ、在っていい。



その場で立ちすくんでいても、
がんばれなくても、
もちろんがんばっていても、
誰かに何かを与えていても、
自分のためだけの日々が続いたとしても、

"在っていい"と認めて心が元気で、生きたらいい。


こんな大前提のような言葉、
言葉にすると当たり前のようでいて
なぜか当たり前に思えないのは
私だけでしょうか。


そんなのは当たり前で、
それでも皆頑張っているんだよ。
人生頑張らないといけないんだよ。
と言える人は、そのままそれを人に強要せずに(大事)
大いにその調子で生きたらいいと思う。

そういう人のためのパワーの源は
いろんなところに転がってると思うから。(嫌味とかではなく)


でも、心がフラットに居られる場所、
ホームのような場所、
靴を脱いで、鎧を脱いで、
心がほぐれて、安心できる場所や環境って

この世の中少ないんじゃないかと思うのね。


結局のところ自分自身の在り方だし
自分の軸だし自分の人生だし
マインドや環境次第だとはもちろん思うんだけどね

とはいえ拠り所のようなものが必要だったりする。

たとえ家族といても
親しい友人といても
埋めてくれるような出来事に包まれていても

どこか感じる孤独とか

埋まりきらない漠然とした不安とか
焦りのようなものとか

そういうのってあると思うの。

少なくとも私にはあったし

在っていいっていう無条件の肯定や居場所が欲しかったです。


それがあってこそ
本当の意味で頑張ることができるし
人生を楽しめる余裕が生まれると思うから。


ということで



欲しかったから作ります。




これは23歳の頃から密かに掲げていたものであり、
ずっとその手段とタイミングを伺っていたもの。


これだけオンラインが発達して、
便利で簡単で誰の心にも届きやすく、効率が良く
私自身もオンラインにたくさん助けられたけど

あえてオフラインにこだわりたい。

空間と、場所、対面。見えるカタチ。


他人だけど、家族のような、むしろそれ以上のような
そんな場所を必ず作ります。


「人のため」なんておこがましい気持ちは一旦抜きにして、

自分が欲しいカタチを作るし、

もしもそれが必要な人がいたら、その人に届けられる方法で届けます。


それは具体的に2年半後を目処に始めます。


詳しい内容はまた少しずつ話していこうと思いますが
必ず実現させるということ、カタチにするということをここで明言することが

ひとつめの覚悟です。


そしてこの覚悟には

自分の感受性の強さを受け入れる。
がしっかり入ってます。

人からどう思われるかはわからないけど
少なくとも自分にとっては大きな覚悟。

受け入れるということは10代の時に命を絶とうとしたくらいには
抵抗感や生き辛さもあるけど、
もう自分の特性・個性を「無いものとする」ことはしないで

有るままに、
あるがままに、
ありのままに、

時には味方にして生きていきます。


もう大丈夫。
なぜなら一人じゃないから。
周りを巻き込みながら ないものは作り、
見たい世界を作り、
自分がありたい生き方をつくるから。



すごく大げさな感じでごめんなさいね。
でもこれがリアルな心の中なんです。

ふつふつと、めらめらと有る、私の心なんです。


ちなみに2年半後、としているのは
約2年半後に日本に帰国するからで、
実のところ”約5年間のフランス移住”を言い渡された時から決めていた事。
(もっと言うとその前からだけど)

この5年間でそのための手段とタイミングを
しっかり構築していこうとしていたわけで、

絶対にブレずに実現したいから
そのひとつひとつを
ここに記していこうと思うわけです。


そしてもうひとつの覚悟の「自分の感性でリベンジする」は
手段の話になるのだけど、
これは次の投稿にするね。


ここまで読んでくれてありがとうございました
時間の無駄にはさせないので、今後もよろしくね。



続き ↓


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