ちゃんと家に帰るまで。(遠足/ハンブレッダーズ)
ハンブレッダーズが2021年7月21日にリリースしたシングル『ワールドイズマイン』にカップリング曲として収録されている曲、遠足。
初めて聴いた瞬間からずっとずっと大好きで、特別で、宝物みたいな曲だ。
ヘッドフォンから流れてくる音の全てがきらめいていて、気がついたら涙が流れていた。感想を書き殴った。「結局B面が1番いいんですよ!!!」
疾走感溢れるイントロ、初めて聞くハンブレの「ワンツー!」、聴き慣れたムツムロさんの声で紡がれる知らない歌詞、どこか切なくて懐かしい景色を思い出すような、それでいて新しい世界を見せてくれるような。安定したベースの音とリズム、その中に感じるでらしくんのベースフレーズ、遊び。
一聴したときにわかった、この曲が名曲だということを。そして、それ以来何度も何度も聴き続けてわかった、この曲は本当にいい曲なのだということが。
まずイントロがあの音から始まるのがよすぎる。このパターンの曲、CRYING BABY、約束、遠足の三曲なんだけれど、本当にドキドキするよね、で、この三曲ともちゃんと音が違う。聞き分けるのは簡単だけど。
ドラムのアップテンポなリズムとギターのジャカジャカした心地良い音が重なってドラムのドコドコドン!!からのワンツー!が最高すぎる。あとドラムのたまに入る裏拍みたいなやつ気持ちよすぎないか?
そのあとにはベースも入ってきて4ピースバンドの音に。リードギターからクリープハイプのオマージュを感じる。イントロはさすがにギターに耳持っていかれる。ベースの力強い音も大好きだけどね。
1Aの入りの歌詞からムツムロさんを感じる。「車窓の向こうの景色に心踊らなくなって」わかる、わかるよ、電車とか乗っていても昔はワクワクしながら外見ていたのに最近になったらあんまり見なくなっちゃったもんね。「iPhoneの窓越しに社会見学」これ秀逸すぎる。車窓とスマホの画面を重ねているの、誰が思いつく?社会見学って小中学生のとき行っていたあれのことかな、今はなんでも調べたら出てくるから、そこにかけてるのかな。「痛いの痛いの時間が飛ばしてくれたけれど あやふやな痛みは瘡蓋になりはしなかった」これ、痛いの痛いの飛んでけ〜のことだよね、時間が解決してくれることって増えたよね…。あやふやな痛み、ってなんだろう。簡単には解決しない問題とか、精神的なものとか、っていうことかな。
ギターが一回消えてドラムとベースで基本進んでいくのリズム隊が好きなわたしにはおいしいところだし、ギターが帰ってきて刻んでるのもかっこいいよね〜〜。あと帰ってくるタイミングの音ハメ絶対気持ちいい。ベースが上がって下がっていくの好き。
1Bの歌詞、頭抱えるしため息出る。「偶然見かけて立ち寄ったコンビニで 何も欲しくない自分に気づく」これ大学生になって以降の人生で何回繰り返してきたんだろう。自分が欲しいものが何かもわからずに、食べたいものが何かもわからずにコンビニの棚の前で立ち尽くすやつ、何回やったんだろう。いつもコンビニ寄ったときはうろうろしていたな。「いつかの夏よりも所持金はあるのに」本当に、ね、お金はある、食べたいものを買える、なのに欲しいものがないんだ。立ち尽くしてしまうんだ。
ここのターンでテンポというか少しゆったりめになり始めるのいいよね、サビへの伏線。ドラムのシンバルカップをカンカン叩く音が大好きです。サビ前のべんべんべんべんベーん…ってなるベースがめっちゃいい。
サビ、ほんまになんやこの歌詞は。聴くたびに胸がぎゅってなる。「生きると呼ぶには余りにも 揺らぎのない暮らしの中で」ああああぁぁぁ。頭の中で何回もこの歌詞リピートしてしまう。毎日同じようなことの繰り返し、仕事や授業やバイト。ただこなすだけの日々。生きているのか死んでいるのかわからないような時期もあった。ライブがなかったらずっとそうだったかもしれない。そんな暮らしのことを、まさにこの歌詞が表現してくれていた。ここで楽器隊が落ち着くのも、それを表現しているのか?「ちょっと ちょっと心がモタるけど」ここでベースが動くのがめっちゃいい、続くサビに向かってドラムがせめてくるのもテンション上がる。「踵で刻むエイトビート」ドラムも叩けないくせに刻むビート、ですね!!電車とかでよく音楽聞きながら踵動かしちゃってる。心がモタるけど踵で刻むエイトビート、って続いているの、いいな。音楽があることで暮らしの中に揺らぎを、意味を見出してくれてるんだな、って思う。「今は歩くような速さで」これ、これ地味に好きポイントなんです。ゆっくりでいいんだよ、って言ってくれているみたいで。休符が入ってるの、気持ちいい。「もっと もっと遠くまで行こう 履き慣れた靴を履いて」はい、いきます。なんかね、生きることを少し諦めそうになっているように聞こえるのに、ここでちゃんと未来を見ているのが大好きなんだよね。履き慣れた靴、っていうのが、遠足に履いていく靴みたいで、いいね。「履き慣れた靴を履いて」のところでコーラスが高音で入ってくるのめちゃくちゃ気持ちいいしハンブレっぽい。
サビ終わりにベースがトゥルルルトゥルルルールールルールルーってなるところ大好きッッッ。こういうベースの動くフレーズにでらしくんを感じる。はぁ。
2番、Aメロ、もうムツムロさんだ〜!!みたいな歌詞。こういうひねくれたところが大好きなんですよ…。「味方」と「見方」をかけているところもね…。ギターがチャッチャッチャッチャッ、って鳴ってるの気持ちいい。んでそこにベースが弦スライドさせながら入ってくる感じ、大好き。ドドパッドドパッでキメたい。「やっぱ一か八かにしかない ヤバいのが見たいのさ」これいいよね、子どものままおとなになろう、と通ずるものがある。やっぱりどこか諦めつつも何かを見ようとしている、そんな姿を見てしまう、歌詞から。それが、大人にとっての遠足なのかもしれない。
「雨に打たれて 風に吹かれて 萎れてた栞を開いた」なんだこの歌詞…。切なさを感じてしまう。なんか嵐の中で本を開く様子が思い浮かぶんだよな、なぜか。だめになっていたけれど、そこからまた立ち直ろうとする姿?栞は途中でやめてまた再開するためのもの、その栞が萎れてしまうくらい、使えなくなりそうになるくらいのことがあったのかな、それでもまだ希望を捨てられない、ヤバいのが見たいから、栞を開いた。だから、やっぱりこの曲って、人生なのかも。あと、クリープハイプを思い出すんだよな、ここと次のセクション。
「雨に打たれて〜」の背後でベースが低音刻んでるのも大好きなところ。
2サビ。「残された小節の中で 僕らは何を歌えるかな」ここで、ハッとする。これがちゃんと歌なのだということを改めて思い知らされる。と同時にメタ的な目線が入ってるな〜と思った。歌の中で自分の普段考えていることを歌っているのか、それともこの曲をライブで披露するときに考えることなのか。「そっと そっと形を変える 聴き慣れた歌の歌詞が」これ!!!!これですよ、これなんですよ…。大好きな歌詞のうちのひとつ。これね、前まではライブでの歌詞変えのことだと思ってたの。音源で何回も何回も聴き慣れた大好きな歌たち、それをライブで歌ってくれたときにたまにしてくれる歌詞変え。ドキドキするライブだけでのあの感覚。でもある日、ライブ帰りにいつもみたいにこの曲聴きながら歩いていたらハッと気づいた。その歌詞の、歌の意味が変わる瞬間があること、それが、歌詞が形を変えるということなんだと。新しい意味に気づいた瞬間とか、この歌詞はここと繋がっていたんだと気づいた瞬間とか、その歌詞に込められた意味に気づいた瞬間とか、ほら、今この歌詞が形を変えたでしょ?そして、この形を変えるという現象はたぶんこれからも何度も何度も訪れる、同じ歌、同じ歌詞でもね。聴くたびに、思い出が増えていく、そのたびに、歌詞が形を変えるのだと思う。あぁ、だから「そっと」なのか。大切な思い出が、そっと増えていくように、そばにいてくれるように。
「聴き慣れた歌の歌詞が」で1番同様コーラス気持ちいい〜〜。
間奏、ギターのチャキチャキした音めちゃくちゃいいっすね…。ベースがところどころ動いているのもでらしくんっぽくて好き。間奏でベースフレーズ入るのめちゃくちゃ好きなんだよな。
間奏終わりに盛り上がっていくの、ハンブレあるあるなのかもしれんが大好きだ。
「ヴィヴィッドじゃない 日々にこそ意味がある」これ…。本当に、これ好き。この歌詞に何度救われたことか。はぁぁぁぁ。日常、ハレとケで言ったらケ、休日じゃない方、ライブがない日、でもそんな中にも音楽はいてくれるし、たまに好きな人たちに会えるし。いいねに「ヴィヴィッドじゃない日々が今日も過ぎていく」っていう歌詞があることに気づいた日にはもうドキドキが止まらなかったね。「365〜」からドラムがテンション上がってるのわかる。
ラスサビ。何度も言うが、「生きると呼ぶには余りにも 揺らぎのない暮らし」なんだよ〜〜〜。1番とほぼ同じ構成だね。同じこと、同じ日々の繰り返しなんだね、人生は。それでも「もっと遠くまで行こう」、一緒にね!!!「ちゃんと家に帰るまで」!!!!!ちゃんと!!家に!!!帰るまで!!!!!ここでもう全てをノックアウトされたよね。なんだ、なんなんだ。大好きだよ。遠足なんだよ。家に帰るまでが遠足です、ってよく言われていたよね、思い出したよ。ちゃんと家に帰るまで、一緒に行こうね、って言ってくれているの。どこへ?それはもちろん、何処までも。なんかうまく言葉にできないけれど、この「ちゃんと家に帰るまで」っていう言葉が大好きすぎるんだよな。
アウトロで、ドラムほぼオンリーになるところかっこよすぎるーー。ダダダッのキメめっちゃ気持ちいい。そしてイントロと同じ構成のアウトロ。好きだよーー。日々は、生活は、続いていく…。
この遠足という曲は、子どもだった僕らがおとなになった今の遠足を表現しているものなのかもしれない。
人生って遠足みたいなものなんだな。はっ、だから、か。サビの歌詞、人生の暮らしのことと、遠足をかけているのか。
この曲に描かれる家、っていうのは、実際の家のこともだし、居場所のことをも歌っているのかな。そして、ひいては最期のことも?
曲全体に漂う、どこか哀愁のある雰囲気、諦観した感じ、それでいて小さなドキドキを忘れない感覚を大事にするところも描かれる。あぁ、それが子どものままおとなになる、っていうことで、おとなにとっての遠足なんだな。
それを歌詞とメロディで表現しつつ、楽器がさらに切なさやゆったりした空気感、心踊る瞬間を作り出している。
あぁ!完璧すぎる!!この曲が名曲であるということは詳細を述べるまでもなかったが、改めて本当に素晴らしい曲であるということがここに浮き彫りにされてしまった。
わたしがいつもライブ終わりにツイートする、「家に帰るまでが遠足、家に帰るまでがライブです。ちゃんと家に帰るまで。」という言葉。この言葉に込める気持ちがより一層増すな。
遠足が大好き過ぎて遠足についてのnoteをいつか書いておきたい、と思っていたので、今日ここに記しておきます。まだまだ音楽のことは勉強不足だし気づいていないところもたくさんあると思う。あと解釈違いだよ、っていうところもあるかもしれない。何かあればこの記事のコメント欄やTwitterなどを知っている方はそちらへ、ぜひお願いします。
言葉遣いがくだけているのは温度感を大切にしたかったからです。読みづらい部分があったり表現が適していない部分があったりしたら申し訳ありません。
ハンブレッダーズのみなさまとレコーディングにおけるサポートギターを務めてくださったyokodoriさん、そして関係者のみなさま、こんな素晴らしい曲を届けてくださりありがとうございます。どうかあなたたちのすてきな音楽がこれからも鳴り止みませんように。
そして、ここまで読んでくださったもの好きのあなたへ!
ありがとう!!最大級の愛を込めて。
あなたにすてきな音楽との出会いがありますように。
みんな!遠足を聴こう!!!
そして遠足をコピーしよう!!!
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