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寂しい幼少期。

そんなこんなで2歳半から父方の祖父母に引き取られる形になりました。

正直母には恐怖心しか抱いていなかったので
「ママは?」と一回聞いただけで
「ママは遠くに働きに出たんだよ」と聞かされると
納得したのか安心したのか、それ以降「ママ」と言うことは一度も無かったそうです。

父は相変わらずあまり帰って来ず、幼少期の思い出と言えば
一回ディズニーランドに連れて行ってもらったことと
某水族館に何回か連れて行ってもらったことくらいでした。

それでもこの頃の私は、父のことが嫌いではありませんでした。
ゴミ箱から助けてくれて、たまに遊びに連れて行ってくれるお兄ちゃんという感覚でした。

そして、祖父母のことは大好きでした。

いつからかお父さんお母さんと呼ぶようになりました。

少しややこしくなりますが、ここから先は祖父母のことを“お父さんお母さん”
父のことは“パパ”
もしくは“クソ親父”と呼ぶ場面が出てくるかもしれません。

予めご了承ください。

祖父はトラック運転手
祖母はスナックのママとして働いており

祖父の仕事に着いていき
トラックに積んである少し埃っぽい布団で一緒に眠ったり

祖母の背中におんぶされながら
スナックのお客さんが歌う長渕剛や河島英五の曲を子守唄代わりに
眠っていたのをよく覚えています。

昼間は保育園、夜はどちらかの仕事に着いて行くという生活をしていましたが
毎日仕事場に子どもを連れて行くのには限度がありました。

5歳になったくらいから、夜一人で留守番をするようになりました。

寂しくて寂しくて
泣きながら引き止めていましたが
「ごめんね。お前のためだから」と言われると
何も言い返せず
ただ黙って見送りました。

そんな私の夜のお供は
専らJ:COMのカートゥーンネットワークでした。

トムとジェリー
パワーパフガールズ
おくびょうなカーレッジくん

本当は21時までに寝ないとダメと言われていたけど
テレビを消すと途端に寂しさと
一人でいることの恐怖が押し寄せてきて
結局寝落ちしても付けっぱなしでいるか

祖母が帰ってくる朝方5時くらいまで
夢中で見ていてバレて怒られたこともありました。

思えばこの頃から夜型になってしまっていたのかもしれません。

保育園でお昼寝の時間以外でもねてしまったり
寂しさから来るストレスなのか
男の子とよく喧嘩をして怪我をしたりさせたりしてしまって
祖母はよく呼び出されたそうです。

そんな子どもですから当然友達も少なく、別のクラスの女の子の親友が一人と
近所に住む同い年の女の子の幼なじみが一人、
同じく近所の5歳上のお姉ちゃんだけが私の友達でした。

他の子との接し方やコミュニケーションの仕方がわからず、かまって欲しいから叩く、ということを繰り返しているうちに
保育園では孤立してしまいました。

そんなこんなであまり良い思い出の無い保育園を卒園して、
宵闇ちゃんは小学生になりました。

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