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殺虫罪

虫の羽を取ったり蜥蜴の尾を切ってみたりこのような体験は無いだろうか。

幼い頃、赤いランドセルを背負い一人歩く学校の帰り道でよく硝子の破片やビー玉を見つけては家に持ち帰り母に自慢していた。
キラキラとしたものが好きだった。
春はホトケノザの蜜を吸いながら歩いた。
私はこれを吸うことに対しちょっとした贅沢のように感じていた。
蛇に出くわすのを恐れるのにオタマジャクシや蛙を見るのは好きだった。
運動会のある秋には新しく買ってもらった靴で栗の苞葉を両足で剥いて汚したり、友人とグリコ遊びして帰るのも楽しかった。
明るい、面白い、友達思いとクラスメイトに言われていた私は極々普通の家庭の長女として育った。
何が不安だったのか、何が不満であったのか、どこで傷付いてきたのかも分からないがある梅雨の時期、傘をさしながら歩いた帰り道に何匹ものカタツムリが塀を這っているのを見かけた。
立ちどまりじっと動きを見つめる。
車や風でザァーという周りの音、傘の内側からも聞こえる五月蝿い雨音。
そこに誰もいないということ。
小さな石から始めた。
───殻が割れた。
───大きめの石を投げた。
───ぐちゃっとした。
───気持ち悪い。
時間を忘れるほどカタツムリを潰すことに夢中になっていた。
普通ではなかった。
いやコントロールなんて出来なかったんだ。
いけない事をしている自分が怖くて手に汗が溜まる。ただ可哀想なことをしているという自覚がありながらもいたく興奮していた。
一番気持ち悪いのは私自身だ。
無責任で残酷で、最低だった。
次に目を向けたのは蟻。
真夏に大量の蟻がせっせかと穴に出入りをしているのを見て巣穴を塞ぐように石を置いてみたり、砂を被せてみたり水を注いで泳がせてみたり、はたまた蟻自体を解体してみたりした。
命の尊さを学ぶ為だとか本能的行動だとかそういったことは言えないが、恐らく気持ちが良かった。
これが答えだ。
鳴かない彼らをいい事に自分より小さな生き物を痛めることで満たしていたのだろう。
何故生き物を殺すのかという要因を掘り下げられると心理的な話になってしまうがどちらにせよ許されない行為だ。
天国にはいけないだろう。
いいや行けるなどとも思ってはいない。
この年の春に公園のベンチ下に蟻が活動しているのを発見した。
何やら落ちた食べ物を運んでいるらしい。
この辺りは花見をしに来ている人が多かった。
食べていた厚焼き玉子のはしっぱを蟻が運べるくらいの大きさで切って、穴の近くに置いてみた。
食べ物を粗末にしていることなどは忘れ、二匹でせっせかせっせか穴の中に持ち運んで行くのを見て嬉しいと感じた。
調子に乗って糖分がある食べ物のほうが良いのではと、デザートで食べようとしていた苺を同じように切り、穴のすぐ側に置いたあと私はベンチから立ち去った。
自己満足だろうか、正直ホッとした。
苺を爪でちぎったせいだろうか、爪先の内側が赤くなっていた。

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