記憶は亡霊のように付き纏うから
なんて偉そうなタイトルを掲げてみたけれど、亡霊を創り上げているのはたぶん私。
最近になって、やっとまたKindleに手をつけ始め、その便利さと色々を堪能し始めた。
けれど、“元持ち主”の片鱗を残すこの媒体は時に私を少しだけ切ない気持ちにさせる。
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思いがけず手に入れることになったこのKindle。今年の春、少しだけ付き合っていた2個上の先輩から借りたまま返す機会に恵まれなかったこの小さな端末は、なんとなく行き場をなくし、今私の手元にある。
もともとのきっかけは、就活を進めるにあたって彼と話をする中で『人生の目的論』と言う本を勧められたことにあった。
ただ、それが電子書籍版しかなく、Kindleを買うか迷っていた私に対し、彼は親切にもわざわざ私のアパートまで自身のKindleを郵送してくれた。
結局、借りてからたぶん1ヶ月もしないうちに別れ話のごたごたがあり、それから私は『人生の目的論』を読み終えたものの、そこで課されている“50枚の自分史”の壁にぶつかって、ここ数ヶ月はKindleを棚に封印して日常生活を送っていた。
そして最近になってKindleの存在を再び思い出し、私は棚からそれを引っ張り出しては色々いじって遊んでいた。すると、当然だが、彼のKindleには他にもさまざまな本が入っていて、そのコンテンツの一つ一つになんとなく肩入れしたくなったのだ。
もともと好きだと公言していた伊坂幸太郎さんの『ホワイトラビット』、付き合うきっかけになったハリーポッターの原作、いくつものフレーズにハイライトが入った『苦しかったときの話をしようか』 etc…
特に『苦しかったときの話をしようか』は、私が思うに就活生のバイブルとして知られる本で、そんないわば自己啓発的な本にいくつもマーカーが入っているのを見たとき、数年前私と同じ就活生だった彼が何を考え悩んでいたのか、共感に似た感情を抱かずにはいられなかった。
別れる際、まだKindleそのものの使い方がわからず、そういうライブラリーが構築されていること自体に気づけていなかった、視野の狭かった私は、余裕のなさと考えの至らなさで言葉の矢を彼にいくつも放った(気がする)。
それがやっと俯瞰できるようになった今、彼の本棚の一部を奪ったという新たな自己嫌悪要素に気づくことになった。
私自身、本が好きなだけに、彼の本棚の一部を奪ったことの罪深さにひとり心苦しくなった。
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さて、記憶は亡霊、というのがあながち間違いのないことであるのはクリープハイプが証明してくれている。
この曲は一見、相手が勝手に私の前に現れる幽霊(生霊)であることが悪いように聞こえる。
だが、
でも、そんな幽霊を創り出してる私も大概よね
そんな意味も込められている、という。
2022、色んな出会い別れがあって楽しいことも辛いこともあったけど、クリープハイプにハマれたことは大きな救いだったな。
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