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徒然なるままにひぐらし

12/28 木曜日

6:30 
目が覚め、洗面所に行こうとすると父と母が朝の支度をしている音が遠くから聞こえた。数日前から帰省している私にとって、慣れ親しんできたこの町の朝は(というより実家の構造が)寒くて暗くて辛い。
台所に行くと父の姿があった。数年前に米作りをやめてから朝ご飯をパンに変えた父のお腹は、会うたびに肥やしが増えているような気がする。食欲が衰えないのはいいことだが。

7:30
早々に朝食を終えた父を見送り、仏壇にご飯とお茶を供えた。帰省すると、母の生活リズムが変わっていたり(例えば、朝食と洗濯が入れ替わっているとか)、家の中に新しい家電が増えていたりして、いろいろな変化に気づかされる。普段、私が一人暮らしをしているうちは何も報告してこない両親だからこそ、二人がこの家族の構造そのものが変化しつつあるこの家で密かに生活を変容させている姿が垣間見えるのがどこか奥ゆかしく思えた。

8:00
朝食を終え、2階にあがって化粧を始めた。実家でもひとり暮らしでも変わらない、朝この時間のルーティンである。血色の悪い顔に色をのせると、各パーツがはっきりして自分でも錯覚するほど見違えるから、私はメイクが好きだ。どこか自分に自信を持てた気分になれるし、強い自分になれる気がして、ここ数年はすっぴんでいる日はほとんどない。そうこうしているうちに母が仕事に出かけてしまい、私一人が残されたこの家がより一層広く思えた。

11:00
午前中は卒論を書こうと思っていたけれど、数日前に研究室の人たちで居酒屋・カラオケを梯子してA.M.3:30まで遊んだ日以来、眠気に襲われてダメダメだった。
今日は高校時代の友人と会うというタスクを完遂するのが第一と考え、私は心を入れ替え、友人の住む町まで車を走らせた。

16:00
昼食のインドカレー屋にはじまり、カフェでのんびり雑談をして久々の再会を楽しんだ我々は、夕暮れの運転を恐れる私の一声で解散することになった。「またいつでも誘ってね」という彼女の言葉は、社会人になっても縁が切れるわけではないという安心感をもたらした。
久々に会う彼女は変わっていなくて、映画好きで感想を記録につけてるところも、ひとり時間を推し活にLIVEに費やして人と群れなくとも楽しんでいるところも、私には格好よく映った。
彼女と会って、これから住む町も職も別々の方向を向く私たちは、「同じ学び舎で過ごした」という、いまやや曖昧な記憶で彩られた共通点だけでも繋がれるのだと気づかされた。社会人になるのを機にInstagramもLINEも一掃しようとしていたけれど、これまでの繋がりも今の私を確かに形成していて、たかがSNSでもその繋がりを断ち切るのは過去の自分への冒とくのように思えた。

19:30
家に沢山あったかぼちゃを使って鍋を作った。
料理は得意ではないので、とにかくレンチンして粗方火の通ったかぼちゃないしは鶏肉をぼんぼん鍋に放り込んだ。
母が帰宅し、味噌を入れて味付けをしてもらうと、ほうとう風鍋が完成した。火が通っているだけでホロホロ食感とまではいかないこのかぼちゃ鍋を両親は褒めてくれた。自己満で昨日から決して美味しいとは言えない手料理を両親にふるまう私だが、これで母の負担が減っているなら本望であり、父の空腹を野菜で満たせているなら本望だな、とぼんやり考えた。

20:30
一番風呂に入ると、昨日は逆に凍えてしまった湯舟がひどく温かくて驚いた。温度表示をみると、46℃。一見熱そうに思えたそれは、案外ちょうどよくて、この家の寒さになじんだ私の身体を芯から温めた。その後、シャワーがほぼ水に近い冷たさだったのも最後まで気づかなかったほどに。
1人暮らしでわざわざ湯舟をためることがないから、こうして温まるのは、湯船につかる習慣がある父のおかげであり、実家だからこそできることのように思う。ありがとう、お父さん。

いつもは早く一人暮らしに戻りたいと帰省から逃れようとする私だけど、今回はそんな思いがまだ湧いてこない、不思議な時間を送っている。

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