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カルビ、 宙を舞う。

父の親友が経営する焼肉屋は、ローカルでは名の知れた貴重なブランド牛が出てくる店で、ユッケのユの字も知らなかった小学生の私のベロに革命を起こした場所でもあった。

「騙されたと思って食ってみろ」

この言葉には微小だが私の好奇心に魔法をかける力があり、疑わしい物も一口だけは口に入れてみようという勇気をくれる。

扇の様な林檎のスライスを半分下敷きに、黄金に輝く黄身を担いだ赤い生肉。ユッケという名前が可愛いくもあり、少し怖くもある。

小学生にして恐る恐る口に入れたユッケ。
これが白目を向くほど美味だったのである。

鼻に抜けるニンニクと生姜の香りに信頼をよせ、柔らかくてまろやかな口溶けに安心感を覚えた。

この瞬間にユッケは私の '' 好きなやつ'' にランクインした。

お次は特上牛タン。
「牛のベロだぜ、ベロ。」
ンモーーーォ
リアルさを追求した牛の鳴き声付きで、父に煽り捲られた小学生の私は口を噤んだ。

オエッ。
嘔吐きそうになる私にすかさず魔法がかかる。

「騙されたと思って食ってみろ」

レモンダレに潜らせた牛タンを口へ。
牛のベロだなんて気持ち悪いと思った事を後悔させるくらい、いや、むしろ御免なさいと言わせるくらい美味だった。
何とも言えない歯応えがクセになり、もう一枚!と、父親に催促した時だった

「失礼しまーす」

すーーっと襖が開いた。
現れたのは銀のおボンを持っているお姉さん。
座っている低い位置からはおボンの上が見えない。

「こちら、特上カルビになりっっ  」

敷居の段差につまづいたお姉さんは自分自身と銀のおボンだけを手元に残し見事なリカバリーをかけたが、その波に乗れ無かったカルビだけは空中へすっ飛ばされた。

お姉さんも、父も、母も、私も、

「あっ….!!!!」

というスローモーションみたいな顔をした。

ピシャンッッ

とカルビだけは早送りの様な鈍い音をさせて畳の上に着地すると、時代劇のワンシーンの様に襖にタレが散らばった。
斬り捨て御免!みたいな気取った侍の捨て台詞とは反対に、

「すみません!!!!!」

と、必死に頭を下げるお姉さんに、父も母も大丈夫大丈夫とにこやかだった。
不意をつかれて息絶えた侍のように微動だにしないカルビ。

私はその光景がコントのように見えて笑いそうになったが、顔を赤くしながら必死に謝るお姉さんをみるとニヤニヤ出来なくなった。

「大丈夫!こんなの、焼いちゃえば食えるから、ね!内緒、内緒、ね!それよりビール同じのお願いしちゃっていいかな」

大人になった今では、つまらないオッサンの冗談めいたフォローだと分かるが、私はあの時、畳にランディングしたカルビを魔法の言葉によって食わされるのではないかとハラハラしていたのである。

父の「内緒、内緒」を鵜呑みにしなかった正直なお姉さんは、父の親友とすぐさま銀のおボンとビールを持って現れ、そこには騙されたと思って食わざるを得ない得体の知れない物が沢山並んでいた。

名前も知らないし、よく分からないけど、魔法にかかった私のベロは騙される気満々で、なんならさっきのカルビも焼いたら食えたかもと思える程魔法は威力を増して、、、

翌日

「これは、カルビ」
「これはタン塩」
「これはー、えっとーなんだっけ、あ、ユッケ」
「これは、オイキムチ」

粘土板に乗せた数々の力作を夕飯前にコタツでくつろぐ祖母に披露した。

「騙されたと思って食べてみな!!」

と得意げにカルビを祖母の口元へ。

祖母は顔に付きかけた粘土を瞬時に手でパシッと払い、

「くせっ、やめてっ!」

と眉間にシワを寄せて拒んだ。

.…でしょうね。

逆に、食われても困るけどね。

私の灰色のカルビもまた宙を舞い、畳の上で息絶えた侍の様にジッとしていたのである。

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