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嵩を増す

昔はもっと沢山の言葉を交換して、はめ直して、つなげて、たくさん考えて綴っていたはずだった。今はどうだろう。寝る前の少しの時間で何も考えず、ただ思ったことをぽちぽちと殴り書いて居るのだ。

どちらの方が良い文章の書き方かを考えると明らかに前者だろう。たくさん考えて、より良い文章を書こうとしてるのだから。

けれど私はいまのこの殴り書いている文が好きだ。たくさん考えて、創り上げた文よりも、この文の方が生きている気がする。文字からその時の私が見えてきて、画面越しに手を合わせている感覚に陥れるのだ。

それに私はあの頃よりも言葉を知っている。たくさん新しいことに出会ってより終わりへ近づいたのだ。(いつ大人になれるかはまだ未知数で、とても遠いかもしれないし、すぐそこにいるのかもしれないから、終わりと表現する)

ただすでに私の頭は嵩増しされた言葉と記憶で飽和してぼんやりしている。昔のように賢明な判断はできなくなってしまった。

しばらくこの夢現なままで居たい。

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