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#04 学期の終わり,つくったものたち ~ そして猫 -(exchange report)

新生活の感覚もすっかり無くなり、この地で出会った仲間と共にのびのびと日々を過ごしていたら留学開始から3ヶ月ちょっとが経ったらしい。1学期の授業が全て終わり、テストを除いてはもう冬休みに突入した。はやすぎる。前回書いたnoteから随分間が空いてしまったが、不定期ながらに書き留めておこうと久々にエディタを開く。

9月に最後書いてから約2ヶ月の間、前半はフィールドワークや旅(ベトナム・マレーシア)そしてSingapore Design WeekArchiFesといった展示など、動き回ってインプット多めの毎日を、そして10月に入ってからはキャンパスにこもって制作!課題!うわ全然つくれない…修行しなきゃ〜!の後半を送っていた。乱雑になるが、学期末ということで授業課題をメインにやっていたことをばーっと書いていく。


グラフィックデザイン

今学期は、立体をあまりやらずに平面のデザインに触れている時間が長かった。3Dモデリング忘れかけています、まずいです。

1.タイポグラフィ

タイポグラフィの授業 Typographic Form & Communication では、1文字の形をデザインする課題から始まって、1単語のデザイン(visual semantic)、情報量多い文章をあつかうエディトリアルデザインへと、文字にまつわるデザインを様々なスケール感で行った。

異なる2文字を組み合わせて新たな文字を創造する課題
visual semantic: 選んだ単語の意味性を視覚的に表現する

1950年代に発展したInternational Typographic Style(スイス・スタイル)をかじりつつ進む授業だったので、Helveticaの映画を見たり、タイプフェイスの歴史と進化系譜を学んだりしていた。生徒1人1人が異なるタイプフェイスの歴史・特徴・適用についてリサーチを行い、ポスター形式にまとめる課題はお気に入りのフォントDINを担当させてもらえたので非常に楽しかった。

今でこそ、スタイリッシュな印象の強いDINは、元々はドイツにて鉄道用の工業フォントとして設計されている。約100年前にコンパスと定規のみで設計された最初のDINをベースに、何人ものタイプフェイスデザイナーがグラフィック用へとアップデートを加え微調整を重ねて、現在のDINに至る。そのうちの1人が日本人であったことには心底驚いた。(伝説のタイプフェイスデザイナー小林章さん)

History of DIN
Characteristics of DIN
Application of DIN


古典文学から引用したテキストから製本用のグラフィックをつくる課題を最後に行った。個人的に日本から持ってきた数少ない洋書のひとつ、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」(Brave New World)を題材に制作した。初期段階では冒険的な構図とコラージュをしていたものの、可読性に欠けると批評されて渋々直す。

最終アプトプット① / 可読性をとったらつまらなくなった
最初のアイデア: Constructivismテイストだと言われる。あんたロシアからきたの?と煽られた。
最終アプトプット②
グリッドの引き方は完全に、Josef Müller-Brockmann作品のオマージュ。


リファレンス集めに読んでいた本


授業内で扱ったのはアルファベットのみだったが、個人的には漢字・ひらがな・カタカナの3種が織り混ざる日本語という独特な言語が本当に大好きなので、日本語タイポグラフィに次は挑戦してみたい。

2. ロゴデザイン

日本にて、友人たちとかれこれ2年近くやっているデザインチーム(紋葉)のロゴをついに制作した。2ヶ月ぐらいかけて、たくさんスケッチを書いてたくさんアイデアを出して潰して、なんとか一旦生み出すことができた。プリミティブな形で構成されるロゴデザインというものは、角度が違うとか曲率が違うとかの少しの変化で大きく印象が変わり、結構数学的でもある。他のどんな種類のデザインとも違う、異色の難しさがそこにあったと同時に、純粋に形と向き合って没頭するという制作プロセスがめちゃくちゃに面白かった。そして、綺麗な形や面白い形を生み出せる力が自分に圧倒的に足りていないことが明らかにもなった。表面を啜る程度で終わらないで、腰を据えて静かに向き合い続けてみる、みたいな修行せねば…!! という気持ちでいっぱいだ。

私は何種類もの試作とボツ案を出しまくり、こだわりが強すぎるチームの皆様は忍耐強く意見してくれた。最終的に形になったロゴは、私が生み出したものではなく、皆で手を動かしながら議論し続けた苦し紛れの中で、突如ご誕生なさった。

フィールドワーク@シンガポール

履修しているシンガポールの都市計画・緑化の授業から、ふたつのフィールドワークに行った。各フィールドをデザインしたレクチャラー本人から解説もらいながら見てまわった。

1. シンガポールの都市農業見学

食料自給率が極めて低いシンガポールでは、2030年までに食料自給率を30%まで引き上げる30 by 30の政策がとられている。ほとんど全ての野菜や肉、そして飲料水までもをマレーシアから輸入している現状を踏まえ、地政学的リスクの軽減のため、使える土地が極めて少ないこの都市国家の中で生産効率の高い農業基盤をつくることが急務らしい。

商業施設の空きスペースを利活用する屋上農園と、光・温度・湿度などを完璧に最適化して制御する室内型水耕栽培ラボの2箇所に授業のフィールドワークで足を運んだ。ComCropというシンガポール初、屋上農園(水耕栽培)を商業化した企業では、ビニールハウスの中でバジル・フリルレタス・日本みずななどが育てられていて、機械制御・人手での手入れの半々で栽培が行われている。収益化が非常にむずかしい屋上農園ではあるが、育てた作物を根っこごと出荷して、新鮮さを保つ(or 自宅で食べるまでの間も若干育つ)や、健康食品として高く売れる日本みずななどを選ぶことで付加価値をつけていて面白かった。

屋上農園は、ラボ環境に比べて自然光などの周囲環境を利用するので、一年中気温や日照時間があまり変わらず安定的なシンガポールに向いているのではと思ったが、むしろ生育気温を外気より下げて保たなくてはいけないらしく(外暑いなオイ、、、)電気代がとてもかかるとのこと。

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形式はなんでも良いとのことだったので雑誌風にして遊んで提出した

2. コンクリどかして緑増やす!Bishan-Ang Mo Kio Park

あたり一面がコンクリートで覆われた水路(drainage system)であった無機質で平面的だった場所一帯を、生物多様性豊かで住民から愛される公園に変えたBishan Parkに足を運び、特に水まわりの設計を行ったデザイナーのHerbert Dreiseitlから(本授業のレクチャラーである)説明を受けた。

”緑と青が交わるところに生物多様性がある”と繰り返す彼は、コンクリをみごとに全部剥がして緑に変え、汚かった水路をきれいな小川に変えた。特に面白かったのは、剥がしたコンクリは全て石ころサイズに砕いて、それらを使って人工丘をつくっていたこと。平坦だった地形を廃棄物になるはずであったコンクリでなめらかな坂に形成していて、元々存在していたマテリアル+植物などのウェットなマテリアルだけで完全にその空間を転生させている。

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その他、謎の制作

課題の意図は最後までよくわからなかったが、工業製品の素材と製造手法について講義形式で学ぶ座学メインのMaterials and Productionの授業では3m直進してその後ピッタリ止まる車(self-propelled car)をデザインした。メジャーの巻き戻る動きを原動力に、測り部分を糸に改造してタイヤを動かす仕組みで設計した。

木をレーザーした、葉っぱも取り込んだ。

英語力いけるかな...みんなとつくれるかな...と個人的に不安いっぱいで始まった4人でのグループワークだったけれど、最終的にはアイデアから制作手順まで私がイニシアチブをとって完成させるに至った。あまりにも態度が失礼だった現地生のメンバーにプチ切れど正論スピーチをかまして折り合いをつけたりもできたのには自分でもびっくり。

謎課題ではあったけれど、共に制作してくれたパリからとジョージア州からの留学生2人とはめちゃくちゃ仲良くなった。がっつりプロダクトデザイン専攻の2人のスケッチのうまさや手の器用さ、制作時のチームワークの立ち回りなど、素晴らしすぎて感動です。

イメージ段階での想像スケッチ by フランス人の友人 うまい…
投票ではクラスで1番をいただいた

猫:

最近の生活は、猫が真ん中にいる。愛犬マロンちゃんほんとごめん。キャンパスに住む半野良半飼い猫のミャオ(勝手にそう呼んでる)に、ここ半月毎日何度も会いに行っていたら、だいぶ仲良くなってきた。広い敷地の中で、どこにいるのか当てるのがとっても楽しく、側から見たらだいぶ怪しい動きでキョロキョロ徘徊しながらミャオを探している。そっけなくあしらわれたと思ったら、いきなり膝に乗っかってきて甘えたり、私はとても振り回されています…!夢中です…!

この日を境にとても仲良くなった

朝、ミャオと芝生でくつろぎながら、授業に間に合う最終のバスを逃す時、あ〜〜この感覚、とても知っている。と、高校生だった頃のサボり癖をふと思い出していた。毎日同じ時間に起きて同じ場所に行くというシステマチックな日常に窒息しそうになると、きまって高校の最寄り駅を通り越した先の蔦屋家電に行き、コーヒー1杯を片手に6時間ぐらい居座った。一般的な書店や図書館には置いていないような、デザインや美術の本を何冊も読んで過ごした。1人心地よい静寂の中で過ごすその6時間は、学校の6時間と比にならないぐらいに記憶に色濃く残り、今に続く進路選択や考え方に大きく影響している。サボりを正当化するつもりはないが、私の大切な時間は、思い切って逃避した先にある、ゆったりとした自分だけの場所にあるなと、思う。今だって、せっかく招待してもらった学期末パーティーを直前のどうしてもの気まぐれでサボってこれを書いている。怠惰なるサボりは自分が嫌になっちゃうけれど、意志を持ったサボタージュはあまりに愉快だし、心に栄養をたっぷり注げるから大好きだ。

猫の気儘さを真似て、この冬は、雪だるまの装飾があまりにも似合わない赤道直下のこの地で、自由に、時にサボタージュしながら過ごそうと思います。

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