見出し画像

哲学者から学ぶ生き方 サルトル編|他者と比べてしまうあなたへ

こんばんは。haruです。

最近、「三島由紀夫vs東大全共闘」という映画を鑑賞しました。
本作は、学生運動が盛んだった1960年代後半から70年代に、最も武闘派として危険視されていた「東大全共闘」が、ずば抜けた知能により社会に大きく影響を与えていた小説家・三島由紀夫に討論会という形で挑んだという、実際のエピソードをもとにしたドキュメンタリー作品です。

学生時代は勉強が大の苦手だった私ですが、今更になって日本の歴史に興味を持ち、そして以前から興味のあった「学生運動」について知る良いきっかけになるかもしれないとも思い鑑賞することにしました。

内容はなかなかに衝撃的で、一言で表すならば「哲学のぶつかり合い」。
もはや「日本はこうあるべきだ」という考えを超越して、哲学の論争になっていました。

正直、あまりにも議論している人々の頭の回転が早すぎて何を言っているかついていけない部分が多かったです。
ですが私は、日本人として過去に日本で起こったことについて一度は触れてみてもいいんじゃないか、そう思いました。なんのための論争だったのか、この論争が若者たちに何をもたらしたのか。
三島は討論中、「サルトル」という哲学者のことをよく口にしていました。彼はサルトルの思想についてとても同調していたようです。

「日本社会に大きく影響を与えた三島由紀夫」に影響を与えた「サルトル」とは一体どんな思想を説いていたのか。
調べてみると、サルトルが説いていたのは「実存主義」。

実存主義とは何か?サルトルはどんな人物だったのか?
今回はサルトルが説いた実存主義という思想と、調べた私の感想を綴っていこうと思います。

「実存主義」とは

実存主義とは平たく言えば、人間が「自由」や「希望」へどう向き合うかについて考えた思想です。
いつか解明できるかもしれない真理よりも、今私たちがいる現在をどう幸福に生きていくかに目を向けよう。それを追求したのが「実存主義」。

それと同時に実存主義とは人間中心主義(ヒューマニズム)だとも言われています。これは、サルトルの著書で広くこの世に知れ渡ることとなりました。

実存主義にも種類があり、
・有神論的実存主義(セーレン・キェルケゴール)
・無神論的実存主義(フリードリヒ・ニーチェ)
の2種類があります。
神を信じているか、そうでないかで考えられる思想もまったく異なるのです。

サルトルは後者の「無神論的実存主義」者でした。
()書きしたように、実存主義者は他にもたくさんいますが、
今回はサルトルの説いた実存主義について触れていこうと思います。

【簡単に】ジャン=ポール・サルトルとは

サルトルはフランス生まれの哲学者です。

主に研究していたのは「実存主義」、「政治哲学」など。
実存は本質に先立つ
実存主義とはヒューマニズムである
人間は自由の刑に処せられている
アンガージュマン
など数々の名言や、社会に影響を与える言葉を残した哲学者です。

元々教師・小説家・劇作家など様々なジャンルで活躍しました。その傍ら逝去する直前まで実存主義を徹底して貫いた人物なのです。

まだSNSも普及していない時代で、生前書き上げた著書が全世界の社会運動に火を付けました。内容は簡単なものではないにも関わらず様々な国で翻訳され、それが見事に大ヒットします。
現代風に言い換えると、サルトルは「国境を超えたインフルエンサー」のような存在だったのです。

そんな世界的インフルエンサーの彼が説いた「無神論的実存主義」とは一体どのようなものだったのでしょうか。

全貌を解説すると長くなってしまうので、今回は私が感銘を受けた思想の一部を抜粋してご紹介したいと思います。

サルトルの思想 その1

「実存は本質に先立つ」

先ほど軽くサルトルの名言をご紹介しましたが、いまいちぱっとしないですよね。
実存?本質?それ一体ナニ?って話です。

結論から言うと「人間って生きてる意味とかようわからんけど、もう存在しちゃってるじゃん?」って言ったんです。

例えば、みなさんの前に机があるとします。
机とは、何かを書いたり、置いたりするのに使いますよね。
それが机の本来の使い方=「本質」です。

しかしそれを人間に置き換えてみたらどうでしょうか。
人間とは、何故生きているんでしょう?何故生まれてきたんでしょう?
問われても答えられる方は少ないと思います。

でも、存在しちゃってるんですよ。
生まれたい!と思って生まれたんじゃなくて「気付いたらもう存在しちゃってたわ」って。

だから人間は、意味(本質)を持たずに生まれてきて偶然そこに存在している。=「実存(意味づけが施される前にある人間)は本質(意味づけが施されたモノ)に先立つ」。
これがサルトルの第一定理です。

この点で有神論的実存主義と違うのは「神様によって作り出された私たちにも何かしら意味があるはずだから神様信仰しよ」みたいなことを言ってるのが有神論者たちということ。

これにはすごく驚きました。
私は「人類が生まれてきた意味」について考えることがあります。
地球に存在する無数の生物の中で、人間ほど愚かな生き物はいないと思っているからです。

ですが人間はそもそも「意味づけをされないまま生まれてきてしまった存在」で、人間が生きている意味なんて、人それぞれ「こうだ!」と思うものはあれどそれは全人類共通の認識ではありません。誰もその真理を知らないまま人間は存在しているのです。

人類が生まれてきた意味、私という個人が存在する意味なんて、考えても無駄だったのか…。

サルトルの思想 その2

「人間は自由の刑に処せられている」

その1で、「人間は意味付けを施される前に生まれてしまった存在」だとお話しました。
ですが逆に考えると、私たち人間は生きてる意味なんてないと言われてるようで虚無感も感じます。

ですがサルトルはそんな絶望を与えるためにこの思想を説いたのではありません。

存在自体に意味はないかもしれません。ですが、人間には理性や自由に考えられる意志がある。それにより人間は「自らの意志により、自らを定義することが出来る」んです。

人間の存在する意味は、生きてきた総和である

自分の存在する意味づけをするために今、選んだり、決断したり、切り捨てたりしている。そのすべてが絶対的に自由で、その自由意志で選んできた決断、振り返ったときにあるその軌跡こそが自分の存在する意味なのだ。

私たち個人は今それぞれ、その意味を作り出す道半ばにあるのです。生まれてきた意味を考えて絶望に行き着くとき、サルトルのこの思想を思い出すことが出来れば、その絶望が幾分か薄れるような気がします。

何故自由が「刑」なのか?

上記の面だけ見ると、自由とはとても「刑」のようには感じられません。
サルトルはなぜ自由を「刑」だと表現したのでしょうか?

それは自由の持つ「二面性」が起因しています。

私たちは、自由に自分の道を選ぶことが出来る反面、その決断はすべて自分で責任を取らなければならないのです。自分で決めたことは、他の誰も責任を取ってはくれません。
自由とは、孤独と表裏一体の存在なのです。
しかも人間は生まれてきてしまった以上、それを強制されています。
だからこそサルトルは「人間は自由の刑に処されている」と言ったのです。

私は独りきり。独りきりで自由だ。
しかしこの自由はいくぶん死に似ている。

著作「嘔吐」より

サルトルの思想 その3

さあ、そろそろ疲れてきましたね。
しかもまたよくわからん言葉が出てきちゃいました。
はあ、アンガージュマン?ナニソレ。

ただ、サルトルが説いた思想のなかで最も社会に影響を及ぼした思想こそが「アンガージュマン」なのです。

アンガージュマンの意味は直訳すると「拘束する、巻き込む」と言った意味ですが、今は現実問題へ取り組むこと、社会運動に参加するといった意味で使用されています。

ただ、サルトルの説いたアンガージュマンの意味は「対他存在に対する主体性の確立」。

アンガージュマン

サルトルは存在の在り方は3つの視点があると言いました。
即自存在(現実に存在している自分)
対自存在(自分の認識する自分。その2でお話した、後から自分の意味づけを行った自分)
対他存在(他者から見た自分)⇐これが厄介

自己は、実存(即自存在)と、自分が意味づけしてきた自分(対自存在)によって形成出来ます。しかし、他者からのイメージというのは自分でコントロールすることが出来ません。
これに自己が侵食されてしまうことを「他有化」と言います。

言葉は難しいですが、他有化は私たちの身近でも常に起こっています。

他人の視線を気にしすぎて、自分の好きな事が出来ない、言えない。
自分のイメージする自分と、他人が持つ自分に対するイメージへのギャップも、時に自分という個人の存在が分からなくなる原因です。
そうしてどんどん何も出来なくなって、最悪の場合精神を病むことだってあります。これこそが「他有化」です。

サルトルはこれに対して、一方的に劣等感を感じるのではなく、自らの意志でこれを受け入れることを大事にするようにと教えました。押し付けられたものをそのまま受け取るのではなく、自ら受け取れ、です。

押し付けられたものに対して嫌々受け取った場合、人は怒りや悲しみといった感情を持ちます。
ですがそれに自ら食らいついていくことによって、いつの間にかそのマイナスな感情は浄化され、対自存在の中に同化されていく
対自存在の中に「そういう自分もいるよね」と受け入れることが出来れば、ストレスは無くなるし、挑戦することも怖くなくなる。めっちゃ不思議です。

まとめ

今回は哲学者「ジャン=ポール・サルトル」についてまとめてみました。
ところどころでも感想を述べていますが、この思想に出会えてすごく気持ちが楽になるところが多く、嬉しく感じています。

たった数千年という歴史のなかで、様々な思想があって、こうして受け継がれている。受け継がれるのにも、きちんとわけがある。哲学は、やっぱり本当に面白い。

ところどころ端折って説明してしまった部分が多いので、興味を持たれた方はYouTubeでも簡単にサルトルのことを解説してくれているチャンネルなども存在しますので、是非調べてみてはいかがでしょうか。

それではまた次回の記事で。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?