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free slave

表現の自由がある世界線での出発地点は必ずしも存在する。
表現とは…自由とは…この文説の1行目に書かれる事は、答えが明確でない事がまず所在地になる。
答えが明確でないから先に手を動かす、見つけてからスタートする。
前者後者に善悪もなければ事柄は様々に持ち寄る次第には、意見の賛否が付き物とし、これは恐らくアートが産み出す違う形としての産物だと感じる。
自由という問題をクリアにする他方法が見つからない、自由が齎す悪影響は幾つか存在し、その大々的な悪影響における初めの扉には、"何も考えない事"悪趣味な言葉だとも言える。
事然り、つまりは何も考えないのが自由、という事を既に考えてしまっている。
この着眼が記される以上先には進めない。
自身が行き着く現在地は、アートは過去の矛盾が産み出す作品だと考える。
過去と現在の境目を生きる今、無機質、有機質、時間でさえも作品に成りえる。
自由に囚われる不自由がある。
または、自由を求める自由の奴隷とも思えてくる。
蔓延る賛否の渦に提言をするなら、矛盾を表現した先に美学が成り立つ。
そこに概念の矛盾化、どの分野に対しても奥行きこそ藝だと衣を纏っている。

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