見出し画像

「きぼうのうた」ライナーノーツ:毎日を積み重ねて、僕らは生きていく。

風呂の中で、空の向こうの、宇宙の向こうの、その先に広がる無限の空間のことを思うとき、いつも僕は自分の内なる風呂の栓を誤って抜いてしまったような感覚に襲われた。風呂に浸かっているのに寒気を覚え、全身を虚脱感が覆い、その後数日はまともに学生生活が送れなかった。

問題用紙に書かれている「問題1」の、何が問題なのかさっぱりわからなかった。ノープロブレム。 僕がその問題を解いても解かなくても、世界は回っている。なぜかはわからないが、とても順調に回っている。

学校のオリエンテーションはあったし、毎日授業で無駄なことを大量に教わるのに、その根っこの説明、"なぜ僕たちは毎日を生きているのか"の説明が抜け落ちていた。それなのに、クラスメイトは皆平然としている。僕よりよっぽど成績が優秀なはずの友達も、いや成績が優秀であるほどそこには疑問を持たず、粛々と目の前の「問題」に取り組んでいた。ゾッとした。同時にこう思った。

この世界は、底が抜けている。

世界の謎は科学によって日々解き明かされ、自分たちも毎日大量の知識を詰め込まれているのに、一番最初に埋めるべきはずのピースが埋まっていない。そして多くの人は、目の前のノープロブレムな「問題」に忙殺されることで、この恐ろしい事実を忘れている。この世界は、底が抜けているのだ。

僕がTAKAYANこと中原に出会ったのは、その頃。まだ僕らは高校生だった。平均的な成績の、極めて平凡でおだやかな学生が集まる高校の野球部。お互い下手くそ同士だったせいか気が合い、朝の自主トレを始めた。誰もいないバッティングケージを占領し、毎朝ひたすらマシン打ちをした。大量にボールを打つことは単純に楽しかったし、下手くそなりにコツがわかってきた。上から叩こうだのすくおうだの考えず、ストレートならストレートの、カーブにはカーブの軌道に合わせて素直にバットを出す。その年の打率は385。丁度一年目のイチローと同じだったので覚えている。

「来た球を打つ」ことに半年ほど熱中したおかげでしばらく忘れていたが、次第に「野球をしている意味」がわからなくなってきた。そうなるとまた心が真空状態になってゆく。ただ、前と違ってその空虚さを「コツコツと積み重ねることの手ごたえ」で埋め合わせるという知恵が身についていた。根っこの問題は解消していないけど、夢中になれる何かを設定して毎日コツコツ没頭していればとりあえずはしのげそうだ。底の穴から水が漏れているなら、その分注ぎ足せばいい。僕は次に打つ球を「大学受験」に定めることにして、再び相棒の中原に声をかけた。2年生の秋のことだ。

夢中になるためには、それなりに強度の高い目標を置く必要があった。当時は環境問題がビッグイシューで、僕は消費者の消費行動を変えることで企業の生産活動を変えるような仕事をしたいとなんとなく考えていた。ちょうどそのタイミングで関学(関西学院大学)が環境問題を扱う新学部「総合政策学部」を開設したので、ここしかないと思った。

問題がひとつだけあった。少し強度が高すぎたのだ。僕たちの高校からは、8年間関学合格者は出ていなかった。中原は学内では成績トップクラスだったが、野球少年だった僕は勉強なんてまともにやったこともなく、定期テストは常に下位。ただ、受験本番までは1年以上ある。僕はまず主要な英単語・熟語・構文が詰まった例文を、一日一文ずつ覚えていくことから始めた。打ち込みを重ねている時と違って、この積み重ねには手ごたえが薄い。だから夜な夜な電話で、中原と進捗を話し合いながら一歩ずつ着実に歩みを進めていることを確かめ合った。

暗中模索という言葉があるが、まさにそんな毎日。やみくもに勉強してみても、逆に成績は下がっていくばかり。焦った僕は試験まで一年を切った頃から、授業中も参考書を開いて受験勉強をするという極端なことを始めた。教師からもクラスメートからも非難されたが、その人たちが自分の将来を準備してくれるわけではない。

そう思う一方で、ひょっとしたら自分はとんでもなく無謀で馬鹿げたことをしているのかもしれない、という不安もよぎる。「きぼうのうた」を聴く時、いつも心に浮かぶのは暗中模索の中歩んだ、この頃の中原との毎日だ。

まっくらなまっくらな暗闇の奥に小さな小さな光があって
誰もがそれを頼り生きているけど
時に光を見失い迷いさまよっている

きぼうのうたを唄おう
何も見えない暗闇の中で
焦らず耳を澄ませば
きっと聴こえる未来の足音

闇夜に浮かぶ「月」は、真っ暗な暗闇の先に待ち受ける光であり、同時に闇夜の足元を照らす灯りだ。何も見えず不安だからと言って立ち尽くすのではなく、信じて歩き続ける。時に月は雲に隠れてしまう。そんな時暗闇を照らすのは、「きぼう」という内なる光なのだ。暗闇の先のあの日の僕らには、明るい春が待ち受けていた。あの年の上ヶ原の桜は一生忘れることはない。「月」はまた、関学のスクールシンボルでもあった。

「きぼうのうた」で歌われているテーマは、やはり同じように1年以上も暗中模索が続くコロナ禍に生きる社会の不安にも重なる。いつ明けるかも、いまだにわからない。そんな日が続くなかで、リモートワークで時間ができた中原はふと広沢タダシ氏の主宰する音楽サロン「シンガーソングライター研究会」に入る。そして最初の一曲を作った。

最初に浮かんだ「暗闇の先の光」というイメージを軸に、自分自身の体験をのせて膨らませていく。まずは誰もが共感でき、自分のものとして捉えられる曲にしようと思ったという。歌詞の内容が抽象的なのも、あえてそれを狙っている。「きぼうの歌」ではなく「きぼうのうた」なのもそれが理由だ。自分は歌を歌うが、言葉が好きな人は「詩(うた)」を紡げばいい。大事なのは、毎日ひとつずつ紡いでいくことだ。

毎日を積み重ねて、僕らは生きていく。

特殊なことを歌にする必要はない。毎日あったこと、感じたことをひとつずつ言葉にしていく。メロディーにしていく。古くは和歌に詠われるテーマだって、当時の人々の日常だ。なにげない日常が歌になれば、ネタに困ることもない。子育てがひと段落した今、自分の中にも育てていくものを作ることはいいことだと感じるという。ただ生きたまま歌い、歌として残していく。歌はそのまま、自らの存在証明となっていく。そう、毎日を積み重ねて、僕らは生きていくのだ。


きぼうのうた
作詞・作曲:TAKAYAN

まっくらなまっくらな暗闇の奥に小さな小さな光があって
誰もがそれを頼り生きているけど
時に光を見失い迷いさまよっている

きぼうのうたを唄おう
何も見えない暗闇の中で
焦らず耳を澄ませば
きっと聴こえる未来の足音

いつからか生まれていた夢のカケラは静かに果てしなく大きくなっていて
誰もがそれを目指して歩いているけど
時に夢破れて遠い空の向こうに散っていった

きぼうのうたを唄おう
張り裂けそうな悲しみの中で
焦らず歩いていけばいつかまた出会える新たな夢に

きぼうのうたを唄おう...


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?