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忘れられない話のはなし。 ~沢木耕太郎墜落と高須光聖の気球事件~

一度聞いたら忘れられない話がある。いわゆる「話に引き込まれる」という状態は、濃密なイメージを脳に刻む。そしていつでも、昨日の出来事のようにありありと思い出せる。これはもう、体験といってもよいものだ。「作家」という職業の人たちは、この「概念的体験」というものを生み出す能力が高いように思われる。

そんな話のひとつが、「深夜特急」で日本中の若者の旅情に火をつけた沢木耕太郎さんの話だ。少し昔、シルバーウィークというものができた年、その初日の旅行イベントに沢木さんがゲスト登壇するということで、講演を聞いた足でカンボジアに発つというオツな作戦をたてた。憧れの作家でもある沢木さんは噂どおりさわやかに現れた。深夜特急のような、あてのない旅のなかで出会った様々な人生たちとの交錯の話を待つ聴衆に対し、彼はおもむろにこないだ自分の乗っていた小型機が墜落した話をはじめた。ロードムービーを観に行ったら急に阿鼻叫喚のアクション映画がはじまったような展開に度肝を抜かれたが、「落ちてゆく間、人間というものは不思議とどーでもいいことばかり考えるものなんです」という所に人間の逞しさや楽観性といった本質を感じさせる素敵な講演であった。数年後、次は僕自身がスペインの若者の間で当時流行していた「首しめ強盗」に遭ったときにこの話が甦り(よくアニメで出てくる、ピンチの瞬間ふと師である老人のコトバが浮かぶ、アレです)、殴られながら「殴られるとドラクエみたいに画面がひかるんだなあ」などとどーでもいいことを考えていた。

大学生のときにラジオで聞いたダウンタウンのツレで放送作家の高須光聖さんの「インドばなし」も忘れられない。「放送室」が始まる前、高須さんはMBSの深夜ラジオでパーソナリティをしていた。そのなかで高須さんが大学の卒業旅行でインドに行ったときの話が面白く、自分も卒業旅行はインドに行ったほどだ。たとえばふと雨が降ってきて雨宿りをしていると、道の向かいに地元のツレが同じように雨宿りしていたというような話。これはカンボジアで僕も雨が降ってきた瞬間友人に出くわしたことがあったのでリアルに追体験したといえる。最初の一言はなぜかというか、やはりというか「傘に入ってもいい?」であった。

インドばなしでももう一度聞きたいのが、気球の話。高須さんとインド人の気球を操縦するおっちゃんの二人で上空にあがった。おっちゃんは調子にのって、山スレスレを飛ぼうとする。焦る高須さんに「大丈夫や。いつもこんなもんや」とかいうおっちゃんだが、急に「ドゴっ」と気球の籠の底が山にひっかかり、おっちゃんが山に投げ出されて高須さんひとりになってしまったという話だ。操縦もできない高須さんがそのあとどうしたのか、その続きが残念ながら思い出せない。

満員電車で隣にいた商社マンのおっちゃん二人組からたまたま聞こえてきた駐在話も印象深い。そのおっちゃんが駐在した村は服を着る習慣がないが、隣の村は服を着ている。すっぽんぽんで隣村に用事で出かけるので苦情が絶えず、困り果てた村長は村の出口に1枚のパンツをぶらさげ、「隣村に行くときはこれをはくように」と立札を出したという。なんともアホくさくて、一度聞いたら忘れようと思っても忘れられない(覚えなきゃいけないことは他にたくさんあるのに)。

人が語る「物語」は今、具体的に人を動かすパワーを持つ「ナラティブ」としてマーケティングでも注目されている。素敵な話とセンスオブワンダーがあれば、家にいたって思い出は作れる。

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