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コーヒーはお好きですか?

「私はコーヒーが好きだ」とおもっていたけど本当のところどうなのだろうか、という疑問。

父親(幼いころは両親)は自家焙煎の喫茶店をやっていました。店は何度か移転して続いていたけれど、ちょうど1年ほど前に営業を終えました。年齢的にも、経営的にも、限界だったのです。

店 (4)

父の拘りは、「冷めてもおいしいコーヒー」で、実際その通りでした。お客さんがカップに残して帰ると自分で淹れて味を確かめたり、悩んだりしていました。毎日そのコーヒーを飲んでいたし、豆や焙煎についての色んな話を私はずっと聞いてきました。店がヒマなときには、焙煎したての何種類かの豆をそれぞれ味見をしたり、淹れ方を変えては(サイフォン・ネルドリップ・ペーパードリップ…)飲んで、遊んでいました。

コーヒーは本当においしかった。というより、舌に合っていたのだということですね。評判のコーヒーを飲んでも、おいしいな と感じることが少ないのです。コーヒーにも色んな特徴がありますよね。父がつくり出すブレンドコーヒーは酸味が立たないような、後味はすっきりとするしっかりめの苦みが特徴でした。ストレートのコーヒーも、おいしかった。

だから、父のコーヒーが飲めなくなってしまったらどうしよう、という想いがずっとずっと心にありました。いつか飲めなくなるのは避けられない。でもそうなったら 生きていけない…(おおげさ)。でも、実際店を閉めて焙煎をしなくなって、どうなったか?自分でも意外なほどあっさりとしていて拍子抜けしたのですが、わりと平気だったんです。それどころかコーヒーそのものを飲まなくても平気でいられるほどになってしまいました。

そこで冒頭の疑問。

チョコレートに関しては(以前と意識が変わって)カカオの個性や風味の違いを楽しんだり、探求することが楽しくてはまっています。コーヒーの豆にも産地や種類の違いが様々にあるし、焙煎の具合やブレンドの仕方で幾通りもの楽しみ方があるのはわかっています。でも、そっちに行くことは今のところなさそうです。なぜか。

店 (8)

ずっと飲んできた、あの味が圧倒的存在として私の中にあって他のものを求めていない、というのがひとつの答え。でもそこに執着があるというわけでもなさそうです。執着があれば、自分であの味を再現しようとするだろうし、ずっと引き継いでいく方法を考えるんじゃないだろうかと想像するのです。

変化する「好き」。これは今の気持ちなので、いつかまた変わるかもしれません。同じくらいか、もっと「好き!」な味のコーヒーに出会うとか。実はいまでも記事を書きながら、自分の中にあるきもちが色々と変化してまとまらないのです。ははは。店関係のことは、また少しずつ書いてみたいとおもいます。

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