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なんとなくセレニティ・プレイヤー的なところに着地

 チョコレートの記事も置いておきたいところだけれど、ずるずると引き延ばしている今日このごろ。

 ちょっと前に上五島に行き、島の端っことか真ん中とか別の端っことかを走り回った。上五島にはカトリックの教会堂が30件ほどあって、今回は3分の2ほどをまわってきた。
 ところでいつも「上五島」「下五島」などと呼んで(書いて)いるけれど、行政区域が違っていることに触れておきたい。
 五島列島でいちばん大きな島は、最も南にある福江島で、そこから北に世界遺産構成資産のある久賀島、奈留島があり、そのほか有人島があと9島、無人島が9つでここは五島市である。これが下五島。
 奈留島の北にある若松島、中通島を代表にぜんぶで8島で構成されるのは南松浦郡新上五島町、通称で上五島。ここの世界遺産構成資産は頭ヶ島かしらがしまの1件。
 その北には小値賀おぢか島がある。世界遺産構成資産の野崎島は島の管理人を除きほぼ無人島で、小値賀島、野崎島のほかに有人島が5つと無人島が1つで北松浦郡小値賀町。
 小値賀島の更に北には宇久島があり、ここと寺島は佐世保市に属する。
 五島列島というと以上を指す。

 それで、上五島。船は中通島のいくつかの港を発着し、頭ヶ島や若松島といった島には橋が架かっているため、二次離島といっても車で走り回るのが容易となっている。先に書いたように教会堂が30件ほどあるわけだけど、規模はそれぞれ違っている。カトリック教会には司教のいる大司教区、そこから各地に小教区というものがあって、小教区ごとにそれぞれ主任司祭がおり、小教区には巡回教会や集会所が含まれる(ないところもある)。主任司祭のほか規模によっては助任の司祭がいる小教区もあって、司祭たちには小教区内の教会、巡回教会でミサをたてるなどの職務がある。例えば世界遺産構成資産の頭ヶ島にある頭ヶ島教会は鯛之浦小教区の巡回教会である。巡回教会なので司祭は常駐していないけれど、定例のミサは現在もおこなわれている。信徒世帯数が多い教会堂は大きく、少なければ小さい。歴史があっても災害や老朽化といった様々な理由で、建築が古いものもあれば新しいものもある。

 そういえばというか書いていてふと思い出したのだけれど、ギリシャにアトスという正教会の聖地がある。このアトス山について書かれた本を読んだことがあったけど、ここには大小いくつかの修道院があって、そこに暮らす修道士や巡礼者の受入などにその規模の違いがあらわれるという。アトスについて知らない人には何のイメージも湧かないかもしれないけれど、小教区、巡回教会などといったものと感じが近いのかもなどとおもった。
 ちなみにアトス山は女人禁制で、主要な動物(主に家畜)も雄しかいないのだとか、私が読んだ本はたしか40年近く前に書かれたものだったけれど、現在はどうか知らない。

 閑話休題。そんないろいろをとにかくまわる。
 世界遺産構成資産という、観光の目玉みたいになってしまっている教会堂はもちろんのこと、長崎において教会建築で有名な鉄川與助氏の設計施工という教会堂もそれなりに注目され、目的地に加えられることも多い。人気がある(という言い方は違和感があるが)のは青砂ヶ浦あおさがうら教会、大曽教会あたりか。
 あまり何も考えずというか、数を稼ぐのにひたすら巡っていたのだけれど、初日の終わりに浜串というところにある教会堂を訪ねた。中通島の南西に位置し、規模は大きめだった。浜串の集落は1815年ごろに外海の樫山からの移住者によってつくられ、現在の教会堂は1967年に建てかえられたもので、わりと近代的というかまあそんなに人目をひく建築ではないと言える。
 建物のそばに立って眺めていると、自転車に乗ったおじさんがにこにこして話しかけてきた。こちらがカメラなどを持っていたため、どこから来たかなどと訊かれ、これからミサなんだよと教えてくれた。そういわれてみれば、下足棚に靴がいくつか見えた。
 平日の夕方にミサとは珍しいなとおもいつつ、それでは中に入るのは遠慮するしかないし、日が暮れ始めていたから宿に戻りたかったが、おじさんは自分は教会の役員だと言い、あれこれ話したいみたいだった。つまり自分たちの教会堂が自慢というか、よそから人が来たこととか、興味を持たれているのがうれしいとか、そういう感じを受けた(実際のところどうなのかは知らないけれど)。

浜串教会

 それで、うん、そうだよな、世界遺産がどうのこうの言ったって、実際そこに暮らしてきた人たちのしてみれば、そんなことはどうだっていいはずなんだということをあらためておもった。教会堂が世界遺産だろうがそうではなかろうが信仰は違わないはずであるし、なのに一部は世界遺産なんていうことになったために、該当の地域では外から人がやってきて迷惑をこうむったり、該当でない地域ではどこか軽んじられているふうであったり、何かそれまではなかったはずの様々な、不要な迷惑や不便や不名誉や名誉なんかが発生してしまっているんじゃないか、などとおもった。
 頭ヶ島を訪ねたのは3年ぶりくらいだったけれど、集落にはビジターセンターみたいな新しい建物が増えていた。このような建物は各地に増え続けていて、それは世界遺産をアピールするノボリや案内板などと同じく景観を損ねていた。ちなみに私はあらゆる種類のノボリ(「ランチやってます」とか)を心底憎んでいる。節句の幟くらいならいいけれど、でもそれも含めて日本中からノボリというものが消えてしまっても文句は言わない。

 ほとんどの教会堂は現役だし、周辺には人々の暮らしがある。
 私は私の日常生活を侵されるのが嫌いである。例えばくんちやランタンフェスティバルなど祭りやイベントというと、勤務先周辺の人出や交通機関の利用にかなりの影響が出る。長くても2週間ほどだけれど、私としては1日でも嫌気でいっぱいになる。心が狭いと言われればそれまでだけれど、でもやっぱり嫌なものは嫌だ。
 そういうことを考えたとき、生活している住民たちにはたまらないだろうな、とおもう。
 大浦天主堂に関して言っても、国宝になり観光客が増加したため別に大浦教会を新築するに至っているが、ここの出身の信者さんが「私たちの教会なのに」と自分たちが幼い頃から通ってきた教会が観光施設になってしまい、場所を譲る格好になってしまったことを残念がる声を聞いて、ハッとした。私は未信者であるからそういう思いに見舞われたりしないけれど、そんなことがあるんだな、と考えさせられた。

 いったい世界遺産とは何なのか、主導したのは誰で、それによる効果や利益はどこに通じていて、付随する損害や不利益がどこに降りかかっているのか。今後はどんな展開が理想とされているのか、私はそんな中でどこを向いてどんな位置に立っているんだろうか。

 世界遺産に登録されたことはもう変えられないから、それについて何を言ったって始らないんだけれど、変えられない事実と変えられる状況についてはいつもいろいろと考えさせられる。

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 ところでもう一度ギリシャのアトス山のことだけど、ここも1988年に世界遺産に登録されているんですね。知らなかった。たぶん私が手にした本は、それ以前に書かれたものだったはず。ギリシャという土地はとても興味深いので、いつか縁があったら行ってみたいものである(といってもアトス山は女人禁制なので無理だけど)。

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