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むこう100年のこと

 長崎でド・ロ神父というと大抵の人は聞き覚えがある名だとおもうけれど、ド・ロ神父とはパリ外国宣教会より長崎に派遣されてきたカトリック神父です。時代は1860年代の後半以降、大浦天主堂の敷地内に現存する「旧羅典神学校」「旧大司教館」の建設に関わり、外海地区の主任司祭を命じられてからはその地区の教会建設、教育、福祉事業とたくさんの功績を残した人である。

 ド・ロ神父の事業のひとつは印刷事業だった。その中にド・ロ版画と呼ばれている、大型の木版画が残されていて、それについての研究が続けられている。
 昨年ド・ロ版画のうち1枚の修復事業が完了し、先日その講演会がおこなわれた。修復をおこなったのはT芸術工科大学。講演会では2名の先生方による、修復過程におけるいくつかの特徴の詳細を、映像、画像とスライドで見ることができた。

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 講演会を聴いていて印象に残ったことがふたつあった。
 W先生は、主に裏張といって版画の裏に補強のためなどに張ってある素材の張替えや研究、考察について発表しておられ、張り直す際には「100年先の研究者が、我々が修復をする以前から今回の修復の過程を読み取れるように」考えたと言った。
 S先生のほうは、掛軸が巻いてある軸の仕様が珍しいことやそれに関する研究と考察、それからその過程で自分が得た知識と感じたことを、学生をはじめ触れる機会のない人たち(私たちだ)など、少しでも多くの人に知ってもらいたいと言った。目がきらきらして表情がイキイキとしていて、それがすごく印象に残った。.

 100年先のことを、具体的に、リアルに、実際的に、イメージしたことがあったっけ? 何かをしていて、100年先のどこかの誰かにつながっていることを、現実的に(というのもなんだか変だけど)考えたことは、私にはたぶん、ない。子どももいないし、やっぱり私というのはどこまでも自分中心的な生き方をしているんだろうな、とおもった。
 それは、未来なんてどうだっていいとか、あずかり知らないことだから関係ないとか、そんなふうに考えているわけではなく、未来は(現在も、過去も)為されることが為されていて、それには我々ひとり一人の意思が関係しているようにおもうこともあれば、もっと大いなるものによって営まれているように感じられることもあるんだけれど、まあとにかくそうやって粛々と続いていくものであるのではなかろうか、という意識があるんだろうとおもう。
 それでもW先生の言葉にはっとしたのは、それがあまりにも自然に発せられた言葉に感じられたからだ。むこう100年のことを淡々と、当たり前のこととして今の自分の行動と結び付けているふうにおもわれて、そこに反応した。

 S先生が講演で話してくださったなかに、修復したド・ロ版画の軸が、中国や日本で当時一般的に用いられてきた形態とは違っていて、それは(ド・ロ神父が採用したのは)どうやら古い時代のヨーロッパで比較的一般的だった手法であろうとおもわれる、などといったものが含まれていた。掛軸に仕立ててあることも、ド・ロ版画の起源を1860年代に中国で活動したフランス人神父が布教に用いた木版画を原画とし、それを日本風に変化させていることも、日本人に受け入れられやすいようにと工夫をしている様子が見て取れる。そのストーリーに、さらにS先生なりの想像をふくらませながら、頬を紅潮させて(そう見えた)話していた。研究者のロマンチストな一面といった感じがあって、なんだかピュアなものを目にした気もちがした。

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 講演会の内容についての記憶が、日ごとに薄れてきていてこんなことしか書けないのが残念であるけれど、聴講してよかったとおもった。世間には色んな人がいる。
 ド・ロ版画のことも、講演会の内容も、浚いながらもっとしっかりと詳しく書きたいところだけれど、なにせ手元に資料もなく、中途半端な解釈で書いてろくでもないことになったりするとよくない。

 手元に資料がないのは週明けから上五島にきているからです。3年程前に母を連れて来て以来の上五島訪問である。今回は島のわりと隅々までまわっていて、おもしろいけれど多少くたびれてもいる。
 上五島のことなども追々書いていきたい。

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