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鄭成功をうんだ平戸の地はひっそりとしていた

 そういえば2週間ほど前、久しぶりに平戸を訪ねたんだった。

 平戸市は県北に位置していて、長崎市内から行くとなるとまあ車を3時間弱運転しなくちゃいけなくて、なかなか行こうという気が起こらない。大村湾に沿って北上し、佐世保を抜けて西寄りに伸びた大きな島が平戸島で、平戸大橋を渡って島を目指した。
 お尻がおもたかったけれど、しばらく訪ねていなかったのと、教会堂の写真でいくつか撮りたいものがあったので、行くことにした。やっぱり遠かった。

 平日だったけれど、ちらほらと観光客の姿もみえるなか、カメラを手にして人の姿がなくなるのをじっと待っていると、そういくつも訪ねることができなかった。ひとりで、しかもカメラなんぞ持っていると話しかけられたりもする。平戸のザビエル記念教会堂では、関西から来た老夫婦にシャッターを押してほしいと頼まれて、余計に時間を費やしてしまった。まあ、仕方がない。

 3か所まわって、もうひといき奥の方まで進むかどうするか悩んだ。結局渋滞を避けたくて、適当に時間をつぶして戻ることに決めた。

 時間を何に使おう、とおもったところで、以前鄭成功ていせいこうという人のことが話題に出たのを思いだした。地図を見ると帰る方面の通り道にもなるので、ちょうどいいとおもった。
 その話題が出たとき、鄭成功という名はぴんとこなかった。つまり知らなかったわけで、この人は台湾や中国でたいへん尊敬されている人なんだそうである。それでどうして平戸かというと、鄭成功の父・鄭芝龍ていしりゅう氏は貿易などをやっており、20歳ごろに平戸に渡り藩主にかわいがられたことでこの地の川内浦に住んだ。土地のおんな、田川マツと結婚をし鄭成功が生まれた。1624(寛永元)年だった。
 鄭成功は幼少期をこの平戸で過ごしているが、7歳で父とともに父の故郷、福建に移る。この一族は密貿易などをおこない力を持っていたようである。鄭成功はこの地で勉学をするなどしているが、弟のほうは幼かったこともあり母と共に日本に留まり、成長してからは商売をうまくやった。
 やがて清が台頭し父・鄭芝龍と鄭成功は共に抵抗運動に励むも失敗、彼らの擁立した皇帝、隆武帝も殺されてしまい、鄭芝龍は清に投降、幽閉の身となり1661年に処刑された。
 母の田川マツは1645年に鄭成功の招きで中国泉州に渡っているが、清の攻撃による泉州城陥落のときに城内で自害した。
 一方鄭成功は不利ななかでも抵抗運動を続け、台湾に侵攻、その地を占拠していたオランダ人を追放するなどした。ちなみに商売で成功していた弟・田川七左衛門は兄と分かれてからも手紙のやりとりを続け、資金や物資など援助をしていたとある。
 オランダ人を一掃した後には政府を設置し、開拓事業などで民を養い時運の挽回を図るも、父が処刑された翌年の1662年に病のため死去している。

 ざっと書くとこんなふうで、鄭成功は台湾や中国においては英雄とされているが、一方でそんな彼が日本人とのハーフであることや、弟が日本で商売をやっていたことなどについては、特に中国においては感情的に複雑なものがあるのかもしれない、などといったものもみられる。
 それに、鄭成功が亡くなったあとの抵抗運動においては、降伏したオランダ人男性は虐殺、生き残りの女性と子供は奴隷にされ、その扱いはなかなか胸のいたむものだったようである。抵抗運動を引き継いだ鄭成功の息子、鄭経も、囚人解放の願いなどを容れなかったなど、冷酷なところがみられる。

 まあ、そんな一切をほとんど知らなかったのである。などと堂々と書いてしまうなんて恥ずかしい話だけれど、ほんとうなので仕方がない。
 せっかくだから入場無料の鄭成功記念館に寄ろうとおもったところ、休館日にあたっていた。建物のそばに立っていたら、近所のおじさんに「閉まっとろ? どこから来たとね?」と話しかけられた。長崎市内だというと、またおいでと言われた。そ、そうですね、そうします(遠方からだったら開けてくれたのだろうか)。
 そこから車を走らせたところには、母の田川マツが貝拾いをしていて産気づき、鄭成功を産み落としたという浜がある。そこにはマツが鄭成功を産むときにもたれた大石があるというので歩いてみた。よく晴れていて、波の音がよかった。

鄭成功兒誕石(平戸千里ヶ浜)

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宝亀教会のテラスはかわいい
聖ペテロ像(宝亀教会)

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 フランシスコ・ザビエルまわりの場所や、かくれキリシタン方面も探索したかったけれど、日帰りではとうてい叶わなかった。
 トップ画像は、平戸ザビエル記念教会に立つフランシスコ・ザビエル像。

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今日の「BGM」:餃子をつくりながらクラシックを流すのと、ジャズを流すのとでは、味わいが変わったりするのかな。


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