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旅と巡礼

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近所だったり、ちょっと遠くだったり。旅と巡礼とは切り離せないもののようです。
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#巡礼

のぞき見写真館 下五島秋編

 ついこのあいだ訪ねた、下五島で撮った写真の現像を後回しにしていました。もう少し身を入れてやりたい気もちと、とにかく現像したい気もちの真ん中くらいで現像したいくつかの写真を、ギャラリー的に掲載しておきます。 *  長崎の教区は、聖堂の中は撮影禁止としています。  この写真は、教区の所有を離れた旧五輪教会(久賀島)で撮ったもので、撮影は禁止されていません。  聖堂としての役目を終えているから、ご聖体ランプは消えたまま。  茂みのとこで昼寝していたネコ(平和だ)。  出

脳内が散らかっている様子がよくわかる雑文

 ある目的のためにいくつかの文章を書くことにした。このnoteみたいに、好き勝手に何でもかんでも書いていいわけではないものなので(あたりまえ)それなりのものに仕上げたい。  それで日々調べものをしつつ、確認しつつ、噛みくだいたり、上下左右に付け加えたり、あるいは削ったり、みたいなことをやっている。  それは教会まわりの色々で、資料がわりと豊富なところもあれば、手持ちがないこともある。資料に使えそうなものはなんでも目を通すよう心がけているんだけれど、そんなもののひとつに教会

大島は遠い

 西海市大島町にある太田尾教会は、気になりつつも未訪問の教会堂だった。大島は遠い。わりと最近行った気でいたけれど、前回の訪問は1年半ほど前だったよう。遠いな、とおもいながら行くことにしてみた。  車をどんどん走らせて、大島大橋を渡ると寺島に入る。そこからまた寺島大橋という橋を渡った先が大島(大島町)である。太田尾教会は島の西側にある。  写真でみたことのある外観だ、とおもいつつ、堂内に入っていく人があったから続いて入ってみた。地元の信徒の方とおもわれる方がその来訪者に説明を

鄭成功をうんだ平戸の地はひっそりとしていた

 そういえば2週間ほど前、久しぶりに平戸を訪ねたんだった。  平戸市は県北に位置していて、長崎市内から行くとなるとまあ車を3時間弱運転しなくちゃいけなくて、なかなか行こうという気が起こらない。大村湾に沿って北上し、佐世保を抜けて西寄りに伸びた大きな島が平戸島で、平戸大橋を渡って島を目指した。  お尻がおもたかったけれど、しばらく訪ねていなかったのと、教会堂の写真でいくつか撮りたいものがあったので、行くことにした。やっぱり遠かった。  平日だったけれど、ちらほらと観光客の姿

こちら側とあちら側

 ひと月ぶりに外海方面へ行ってきた。気温がぐっと下がった週で、今日もとても冷たかった。訪問前に、外海に持っていく荷物を積みに事務所に向かう途中、しばらく放置していた洗車をしたら、拭き上げのときに手の感覚がなくなるほど冷たくって、気を失うかとおもった。  それにしても天気がよく、そのうえ空気が極上に澄んでいた。はじめに行った教会のそばから海のほうを眺めると、五島列島がしっかり見えた。  ある事情でしばらくお休みをしていた竹尾さん(仮名)が今日の当番だった。挨拶をして荷物を下ろ

元興寺でふくらんだ月と合う

 奈良県を訪ねたことは書いた。  さいきん、マップカメラのフォトシェアリングのページをずいぶんと放ったらかしにしていたので、何枚かアップした。もっと撮ったのだけど何枚かだけ追加しています(宣伝)。  奈良では、仕事の用事でたくさんの寺院といくつかの神社を訪ねた。あちこちで大小さまざまの仏像を見たんだけど、どうもわくわくしない。個人的な好みとして、やはり神社の境内などのほうがなんとなく心地がよい。  この旅と前後して、フランシスコ・ザビエルまわりの書籍をいくつか読んでいて、そ

キリシタン墓碑についてのちょっとした記録・その二

 この間の記事の、続きを書いていきます。  資料は『南島原市世界遺産地域調査報告書:日本キリシタン墓碑総覧-企画 南島原市教育委員会/編集 大石一久-』という、大型の総覧を用いて参考にさせてもらっています。 * ・宮の本キリシタン墓碑群(南島原市布津町) ここもその場所を見つけられず、畑に立ちマップの指す方向を空しく眺めて終った。資料には「宮の本キリシタン墓碑群」とあるが、南島原市の指定文化財一覧を見るとどうやら「布津町キリシタン墓碑群」のことだと思われる。ここには共同

禁教末期の出津地区のこと

 朝から外海に行くことがあった。用件は仕事で、いつものごとくTKさんに連絡を入れてから行った。他の業務がとても忙しいということはないけれど、やればやることはけっこうあるので、この日は受け取りものをしたら事務所に戻るつもりでいた。  到着してから、いつものようにいくつか御用聞きをしたり、受け取りも終えてちょっとした雑談などをしていたとき、ふいに以前から気になっていた場所の話題が出た。行ってみたい、と言ったら案内してくれるという。  それは潜伏キリシタンの、禁教期の墓地だった。

ピーナッツが食べたくなった

 9月の半ばに上五島とそれから小値賀島へ行ったんだけど、小値賀の方は自分の仕事というよりあるお仕事に便乗して、他の方々のそれを覗かせてもらうという、そんな感じだった。小値賀島は五島列島の北側にあたり、中通島と宇久島の間にある。3度目の訪問だった。  そのとき私が撮った写真と以前の訪問時のを、見せて欲しいと声かけをいただいたので、ごそごそ取り出して作業した。せっかくなので(?)この度の9月のと合わせて、ここにも少し載せておくことにします。トップ画像は落花生を育てているじいちゃん

なんとなくセレニティ・プレイヤー的なところに着地

 チョコレートの記事も置いておきたいところだけれど、ずるずると引き延ばしている今日このごろ。  ちょっと前に上五島に行き、島の端っことか真ん中とか別の端っことかを走り回った。上五島にはカトリックの教会堂が30件ほどあって、今回は3分の2ほどをまわってきた。  ところでいつも「上五島」「下五島」などと呼んで(書いて)いるけれど、行政区域が違っていることに触れておきたい。  五島列島でいちばん大きな島は、最も南にある福江島で、そこから北に世界遺産構成資産のある久賀島、奈留島があ

指先まで暗闇が染みて

 ここ数日はやらなければならないことが次々と押し寄せて、もういよいよ口から泡でも吹くのかとおもった。何事もほどほどがいい。ぶくぶくぶく。  週のはじめ、五島列島福江島に行った。下五島を訪問するのは5か月ぶりだった。いつもは、福江島から二次離島である久賀島や奈留島に行くことが多く、そのため福江島をゆっくりまわったことがなかった。今回は、福江島にのみ行けばよかった。  レンタカーを手配しておいて、業務上のいくつかの用事を済ませた残りの時間をつくっておいて、これも仕事といえば仕事

フランス人のピエールさん

 5か月ぶりに下五島にきているのだけれど、今夜は先日の外海でのことを書きたい。  私の日常は、港のそばにある事務所でのこまごました作業とか、銀行に行くなどの近所まわり、そしてときどきは離れた場所まで御用聞きに行くという、そんなふうである。自分の業務においてはほとんど自分でコントロールしているから、指図をされたり、誰かと協力して業務をこなすとかいうのは少ない。つまりひとりでぼつぼつと仕事をしてばかりいる。  それで、その御用聞きの先は、観光に来たひとたちを受け入れる側の業務で

松浦家の家紋は三つ星だと知った

 仕事の用があって平戸市に行ってきた。平戸大橋より手前には田平教会があって、ここにも寄った。1年半ぶりくらいだった。  田平教会のあるエリアは、もとは世界文化遺産『長崎と天草地方潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産のひとつだったけれど、いろいろあって外れてしまった。そうはいっても、多くの人の興味を集める教会堂である。当初からの登録に向けた準備からの縁で、その後も仕事でも個人的にも8年ほどやりとりが続いている。  田平は外海の出津と関係がふかく、それというのはド・ロ神父のいく

一本木山のことから日本神話とワニの話題

 仕事に関することで、長崎市内の巡礼地について改めてリサーチしてみようと、とりあえず手元にあった資料を眺めていた。本原という地区に一本木山という地があって、そのそばの十字架山にはずいぶん前に行ったのだけど、一本木山ってなんだっけ、とおもった。それは現在カトリック本原教会の建つ敷地となっている場所だった。  十字架山というのは、1881(明治14)年に当時の浦上教会主任のプトー神父と、浦上崩れによる流配から戻った信徒たちが購入し築造した丘で、絵踏みしたことなどの罪を償うことや信