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大島は遠い

 西海市大島町にある太田尾教会は、気になりつつも未訪問の教会堂だった。大島は遠い。わりと最近行った気でいたけれど、前回の訪問は1年半ほど前だったよう。遠いな、とおもいながら行くことにしてみた。
 車をどんどん走らせて、大島大橋を渡ると寺島に入る。そこからまた寺島大橋という橋を渡った先が大島(大島町)である。太田尾教会は島の西側にある。

 写真でみたことのある外観だ、とおもいつつ、堂内に入っていく人があったから続いて入ってみた。地元の信徒の方とおもわれる方がその来訪者に説明をしているところだったから一旦外に出て、敷地をぐるりとまわって時間調整をした。できれば静かに拝観したいとおもっていた。
 先の訪問者が帰ったらゆっくり中に入って過ごそう、そうおもってじっと待ち(記念撮影などけっこう時間を過ごしておられた)、やっとというところでもう一度中に入ると、先ほど説明をしていた方が声をかけてきた。やれやれとおもったけれど(すみません)、いくつか会話をしてみるとここは普段は施錠しているようだった。そんな気がしていた。
 この日は、復活深夜祭がおこなわれる予定だったため準備をしにきたところ、ちょうどお客さん(さっきの方々)が見えたから説明をしていたんです、とのことだった。
 ひっそり見学をしたかったけれど、そういうことなら入ることができてよかったわけだ。

 ここあたりの集落に教会が建つより以前、外海そとめの黒崎という地区に奉公に出ていた女性がカトリックの洗礼を受け、島に戻ってからも信仰を続けたのが教会の根づいたきっかけになったとか。いくらか外海地区からも移住があったかもしれない。
 それから教会の敷地から海の向こうを眺めると、黒島教会のある黒島が見える。パリ外国宣教会の司祭が外海や平戸、黒島などといった土地に教会を建てしばらくしたあとあたりにでも、そういった土地との行き来があったというのは頷ける。それにしても黒島が見えるのは知らなかった、遠いわけである。
 この聖堂の建てられたのは昭和4(1929)年で、設計者施工者のどちらとも不明らしく不思議におもった。
 内部の構造はリブ・ヴォールト天井で、珍しいことに柱のないつくりとなっていた。そのおかげで側廊にあたる部分が開放的だった。

 玄関部の両側に建つ聖像が石造りというのもあまり見ない。浦上天主堂の被爆した聖人像をおもわせた。鍵をもったペトロ像と、石板をもったモーセの像が建っていて、これらは以前、突き出た玄関部の上にあったと教えてもらった。
 モーセの像に出合ったのははじめてだったかもしれない。

モーセのご像

 もう一つ珍しい点は、外壁に貝殻が塗り込まれているところだろうか。ざりざりしていて特徴的だった。

 この地区にはもうひとつ、間瀬まぜ教会という巡回教会があるけれど、ここにも入ったことはない。太田尾教会で会った方に訊いたところ、やはり施錠しているとのことだったから寄らなかった。代わりにというか、通りかかりの看板が気になった豊玉姫神社というのに立ち寄ってみた。拝殿は新しく、特に由緒の神社というのでもなさそうだったので、お詣りして島をあとにした。

外壁

 手元に『長崎の教会(カトリック長崎大司教区司牧企画室)』という本があって、これの発行は1989年くらい。太田尾教会のページを見ると、当時の信徒世帯数は100戸、信徒総数309人となっている。現在は、世帯数は訊きそびれたが信徒数は100人程度ということだった。

 大島はかつては炭鉱が盛んだったが、いまは造船業が島の主な産業のよう。造船所の接待に使われるリッチなホテルもあるし、この島の住民はわりと裕福であると聞いたことがあるけれどほんとうのところどうなのかは知らない。

 ところで太田尾教会の祭壇に、梅干しが入っていそうな甕が置いてあった。何が入っているのか気になったから訊いてみたら、その日の復活深夜祭で祝別される予定の聖水だというのでほほえましくおもった。

*

今日の「ぴよぴよ」:最近22時ごろになると、ヒヨドリが鳴いているのが響くんですが、近所に巣でも拵えたのかなあ。
あ、鳥の声といえば、このあいだ車に乗っていたところ耳元でウグイスのキレイな鳴き声がした。ほんとうにすぐそばで聴こえたから、まさかそこに座っていたKさんが鳴いたのじゃないかと本気でおもって、おもわず鳴き声をまねたか訊いてしまい、呆れられました。

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