魔法紳士ネイサンソン
Ⅰ
嵐の夜だった。大貴族ダイヤモンド氏の豪邸に付属した温室が、雷鳴と共に浮かび上がった。しかし、風のごうごうと吹き付ける音は、ダイヤモンド氏の耳に届かなかった。代わりに、緊張で収縮した血管に流れる血流の音が、ゴウゴウと氏の耳を通り抜けた。
「うわああ!」
リッチー・ダイヤモンドは温室の中央で膝から崩れ落ちた。目の前には、ダイヤモンド家に代々伝わる家宝の盆栽が、散った葉の真ん中で力なく鎮座していた。
Ⅱ
郊外にひっそりと建つ家、まるでクイーン・アン様式を思わせる外装に、玄関アーチにはシルクハットとステッキを組み合わせた紋章を掲げるこの家が、希代の魔法使い「魔法紳士」ネイサンソンの邸宅だ。
書斎はエントランスホールのように広く、天窓からの陽光を取り入れた灯明で輝く、本棚で埋め尽くされた空間に、一人の青年がいた。銀髪を腰まで三つ編みにし、作業着を着て、赤い色の目には真剣な表情を宿している。手にしているのはウォード箱で、ミイラ化した左手が保管してある。青年はこのガラス製のウォード箱を丁寧に磨き上げると、もとあった棚に両手でそっと戻した。
「よし!」
棚には他にモノクル、ステッキ、シルクハットが陳列されている。青年は満足げにそれらを眺めた。その時、背後にある書斎の扉が勢いよく開いたので、何事か確かめようと振り向いた。すると、つむじ風と共にくるくると舞いながら一通の手紙が足下に落ちてきた。
実は魔法紳士ネイサンソンに依頼すると、システム上このようにして届くことがあるのだ。手紙をつむじ風と共に届けた人物の足音が書斎の階段を上って行った。
そのようにして届いた手紙を拾い上げて、目を見張った。
「リッチー・ダイヤモンド……大貴族じゃないか!助かった!期待できるぞ、やっぱり年単位で引きこもると貯金が底をつきちゃうね!」
青年は依頼書に目を通すと顔を上げ、右手を挙げて指を鳴らした。たちまち頭の先から順に、作業着が略式正装に変わった。
「行ってきます」
そう言ってモノクルの置かれた棚に向かってお辞儀をした。その様子を書斎の上階から一人の少女が見送った。青年からは黒い短髪にブラウンの瞳が手すりの隙間から見えた。
Ⅲ
都市から離れた田園風景の中に、ダイヤモンド氏のヴィラは建っていた。少し離れたところに件の温室がある。
「おお!あなた様が、かの高名な魔法紳士ネイサンソン様!」
温室の入り口で、茶髪を七三分けになでつけた小太りの男、ダイヤモンドが両手を広げてネイサンソンを歓迎した。大きな目がいっそう期待で大きくなった。
ネイサンソンはにこりと笑ってお辞儀で応えた。
「どうぞこちらへ」
ダイヤモンドは丁寧な仕草で温室の中央へネイサンソンを案内した。
「見てください、こんなことになってしまって……」
枯れてしまった家宝の盆栽を指し示した。確かに、依頼書通りにどう見ても枯れている。
「ああ……これは酷いですね」
ネイサンソンが盆栽の状態を確認しようと手を伸ばすと、その手をダイヤモンドが遮った。
「ええ!我が一族に代々伝わる盆栽でして、こんな姿にしてご先祖様に申し訳ありません」
なぜ手を遮られたのかと困惑してダイヤモンドを見た。
「ええと……見せていただかないことには詳しく調べられませんが」
すると、ダイヤモンドはとても申し訳なさそうに述べた。
「申し訳ありませんネイサンソン様……。一族の掟がありまして、盆栽に一族以外の方が触れる時は誓約書にサインしていただかないとなりません」
そう言いながら人差し指をくるくる回し、紙と万年筆を出現させ、手に取った。
「ネイサンソン様とて例外ではございません」
と、紙と万年筆を差し出してきた。
「そうですか……」
ネイサンソンは、そういう掟があるのも大貴族ならではだな、と思いながら受け取ってサインした。しかし万年筆を走らせ終えたときに電撃が走ったかのような衝撃があり、手がびくりと跳ねた。
「ダイヤモンド様、これは……」
悪い予感しかせず、冷や汗をかきながらダイヤモンドに苦笑いした。
「ええ、申し訳ございません。決して信用しないわけではないのですが、盆栽に触れていただく以上、沈黙の誓いを立てていただかなければ」
そういい終えると、ダイヤモンドは手を振って誓約書と万年筆を消した。
(沈黙の誓いだと……盆栽のことを誰かに喋ったら口が吹き飛ぶ……いや、この感じは命が絶たれるのか?)
ネイサンソンは、動揺していることをこれ以上悟らせないようにと笑って見せたが、苦笑いに苦笑いを重ねた結果になった。
その姿を気にとめることもせず、ダイヤモンドは盆栽を取り上げてネイサンソンに渡して来た。しぶしぶ受け取る以外に選択肢はなかった。
(なるほど……知られたくないわけだ。この盆栽、樹齢何百年だ?世界樹と同じ時代のモノかもしれない。そうか、これがダイヤモンド一族の力の源だったのか)
今度はうまく微笑んで見せながら盆栽をもとの場所へ置いた。この面倒くさい誓いもさっさと完了させよう。
「分かりました。ただの盆栽ではありませんね。確かにこれは私の専門ですね。お任せください」
ネイサンソンが右手を掲げて呪文を唱え始めたので、温室全体がまばゆい光に包まれた。ダイヤモンドはまぶしさに目をつぶったが、慣れているネイサンソンは呪文の効果を確かめようと温室の植物たちにも目をこらした。呪文の効果は確かにあったのだが、なぜか回復させるのではなく、すべてを枯らしてしまう方向に作用してしまっていた。ネイサンソンは血の気が引くのを感じた。
光が不意になくなったので、ダイヤモンドは目をしばたいて温室を見回した。温室には自分一人きりで、しかも植物すべてが枯れているのが目に入った。
「うわあああああああああ!!」
悲鳴を上げるダイヤモンドの足下に一枚の紙が舞い落ちた。そこには達筆で「また来ます」と書かれていた。
Ⅳ
ネイサンソン邸の書斎の扉が勢いよく開けられた。銀髪の青年が駆け込んでくる。
「しまった、やっちまった。やばい、まずい、ダイヤモンドの怒りを買ったら廃業しちまう!」
と慌てて解決策を求めて本棚の本を次々と手に取る。取り切れなかった本が床に落ちた。その騒がしさを、黒い短髪とブラウンの瞳の少女が手すりから身を乗り出して眺めている。
「魔法植物の辞典は……」
どこだ、と言い終える前に頭上から件の辞典が舞い落ちてきた。青年はあわてて腕の中にある他の本を置き、それを受け取った。それから目次を確かめることなく、せわしなくページをめくり、あるページで手を止めた。
「ああ!これだ!世界樹の……」
と言いかけて、ひゃっと両手で口を押さえた。手から離れた辞典が足下に落ちた。
(あっぶなー!“盆栽”って言うところだった!)
冷や汗をかきながら固まっていると、少女が階下に降りてきた。少女が不思議そうに首をかしげて青年を見上げるので、ポケットから依頼書を取り出して渡す。
「……家宝の盆栽が枯れてしまいました。ぜひ、一度見に来ていただけませんか。願わくは盆栽の復活をお願いします。金銭に糸目はつけません……」
そう朗読すると少女は、青年の足下に落ちている魔法植物辞典を見た。
「世界樹の……?」
そう呟き、まだ固まっている青年を見上げた。青年が激しく首を振ったので、少女は何かを察したように、辞書を開いて世界樹のページを見て頷いた。そして辞書を取り上げ、机に置きつつそのまま座り、右手で指を鳴らした。そして机の上に出現した紙に、いびつな木の形をした文鎮を置き、同じく現れた鉛筆で何やら書き込んだ。何を書いているのかとのぞき込んできた青年に、少女がぴしゃりと紙を突きつけた。
「……君、この書斎の共同管理人なら知っているだろう?世界樹関連の法規制が整備される前、世界樹の挿し木やその接ぎ木の株分けが流行った。これは大変危険なので今では違法だが」
青年は紙に書かれた文章に目を走らせ、満面の笑顔で少女を見下ろした。
「なるほど……土……!」
Ⅴ
ヴィラに付属した大貴族ダイヤモンドの温室で、その本人が呆けたように座り込んでいた。周りの鉢植えなど、温室の植物がすべて枯れ、かつて緑であふれていた場所を鈍い錆びた茶色で覆っている。
「一族になんと説明する……おしまいだ!」
ダイヤモンドがうずくまると嗚咽が温室内に響き渡った。と、その嗚咽を打ち消すように、温室の扉が風と共に開いた。つむじ風が枯れ葉を舞い上げる中、その真ん中に立っていたのはネイサンソンだった。
「貴様……!よくも!」
掴みかかってきたダイヤモンドを華麗に避けると、勢いで体勢を崩して倒れないよう支えてやりながらネイサンソンが言った。
「申し訳ありません!ダイヤモンド様!その盆栽が世界樹の株分けされたモノだと事前に教えていただけていたら、こんな事にはならなかったのですが!」
右手を上げたのを見ると、ダイヤモンドが青ざめて叫んだ。
「やめろ!」
ダイヤモンドが人差し指を掲げて振り回すと、何もない中空から鎖が出現し、ネイサンソンに襲いかかった。
それをひらりと躱すと、ネイサンソンは詠唱を始めた。途端に温室全体が震えはじめ、なんと盆栽の鉢が割れた。
「あああああああああ!」
ダイヤモンドは身を切るような悲鳴を上げて盆栽に覆い被さってネイサンソンをにらみつけた。構わず、ネイサンソンが詠唱を続けると、ダイヤモンドのちょうど真上に土の塊が出現した。
「盆栽を生き返らせたいなら離れてください!」
そう言って上げていた右手を振り下ろしたので、土の塊が盆栽めがけて突っ込んできた。たまらずダイヤモンドが飛び退いた。盆栽に土が音を立てて被さるのと、火花が弾けるのは同時だった。たちまち土の中から息を吹き返した盆栽が身を起こし、続いてこれを中心に緑が吹き出した。
「こ……これは……?」
ダイヤモンドが見回すと、生き生きとした盆栽、柔らかな生命力あふれる植物たちで温室が緑にあふれかえっていた。
Ⅵ
薄暗い空が陽光に照らされて明るむ頃、ネイサンソン邸の書斎に続く扉が勢いよく開かれて銀髪の青年が入ってきた。
「おっはようございまーす!」
満面の笑顔を浮かべた青年の視線の先には、机の前に座って無言で、右手に持ったお茶をすする少女がいた。少女の前には宙に浮いたソーサーがあった。
「ビアンカ先生!さすがです!ダイヤモンド氏の難しい依頼をちょちょいのちょいと解決するなんて!」
青年は手を叩いたりもんだりしながら机まで歩き、そこに腰掛けた。ビアンカはうるさそうに眉間にしわを寄せると、カップをソーサーに置いて立ち上がり、その手で棚からモノクルをつかんだ。そして、その隣のシルクハットを二本指のフックになっている左手の義手で取り上げて頭にのせた。
「……ネイサンソンの弟子を自称するなら、世界樹の盆栽が枯れた原因を、依頼書だけで理解しなさい」
ネイサンソンはそう言ってめがねをかけた。続いて棚のステッキを掴んだ。
「えー?無理ですよ!あんなちょっとの情報で」
青年が口をとがらせて不満を言うと、師である少女が振り向いた。
「世界樹の歴史を把握していれば、枯れた原因が虫食いなどではなく、土を入れ替えたからと容易に察しが付く」
そう言ってステッキを掲げると、それはまるで傘のように変化した。青年はそれを羨望のまなざしで見ながら机から身を乗り出した。
「え―?そんな百年単位の壮大な歴史、先生みたいに把握しきれませんよ!」
「精進したまえ、ニック・ニコルソン君。だから、ややこしい誓約を結ぶ羽目になるのだ。……解除は難しくなかったがね」
ネイサンソンは弟子へにこりと笑いかけると、左手を後ろに組んだ。足がふわりと宙に浮くとそのままゆるやかに飛んでいき、天窓をくぐって植物園の方へ行ってしまった。
「ビアンカ先生ー!だったら僕を先生の身代わりにしないでください!」
Ⅶ
ネイサンソン邸の静かな書斎に、ウォード箱を磨く音がする。鼻歌交じりで銀髪の青年が磨いているのだ。書斎の上階、ネイサンソンのデスクに魔法植物辞典が置かれている。世界樹の項目にはこうある。
『執筆者:魔法紳士/グリーンフィンガー/世界樹の守り手 ネイサンソン』
読み進めると、ページの最後に記載された執筆年は、少なくともニックが生まれるよりも、遠い昔だった。
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