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なろう系テンプレ批判みたいなツイートをしたら、インプレッションが10万を超えるほど伸びた件 ―長文あらすじ調のタイトルの作品が増えているのはどうしてなのか―

どうやら前回の記事投稿から一カ月程度が経過していたようです。もう夏も終わりかなと虫の音を聞きながら、エアコンだけは手放せていません。

さて、この記事をクリックした方は、おそらくタイトルの単語に刺激的なものを感じたのだと思います。嗅いだことのあるスパイスの香りが漂っているぞ、みたいな。というわけで、まずはサムネイルにもなっている私のツイートを以下に引用します。

正直なところ、もしかしたら燃え上がるかもしれないと思いながらツイートはしました。いかに弱小アカウントとはいえ、燃える要素自体は多分に含まれていますので。

結果として、燃えるまでは行かぬも、多少、界隈の話題にはなったのかなくらいに感じています。そして、リプライや引用リツイートなどを通じて様々なご意見をいただきました。感覚的には賛否それぞれあると言ったところです。しかし、共通していたのは、何かしら思うところはあるっぽいという雰囲気です。賛成も反対も一律ではなく、反応をくださった皆様に考えがあるようでした。難癖とかアンチがいっぱい湧かなくてよかった……

ですので改めて、ウェブ小説におけるタイトルの役割について私なりに考察をしてみようと思います。そして、ウェブ小説サイトは今後どうなっていった方が良いのかについて考えます。

ここで一つだけ注意点を。本記事では幾度となく「ウェブ小説サイト」という単語が出てきますが、これは主にライトノベルなどがメインで投稿されている、「小説家になろう」に類するサイト全般のことを指しています。それ以外に分類されるサイトを私は知らないので、このような表現を使用させていただきます。

まずは簡単にいただいた意見の中からいくつかピックアップして、以下にまとめさせていただこうと思います。



上記の意見は主に長文のタイトルに対して、理解や賛同を示すものです。ここでの理解や賛同というのは、必ずしも彼らにとって常にそうであるものではなく、また、私のツイートに対するご意見であることを忘れてはいけません。この引用で彼らに何らかの印象を付加しようというものではないことを読者の皆様はご留意ください。

その上で私が気づかされたのは「約束」という単語です。確かに、ウェブ小説は数が多い。その中から自分が読みたい作品を見つけ出すためには、いかに効率よくマッチ度を上げられるかが重要です。そこでタイトルに多くのキーワードを放り込むことで、この小説で展開される話の内容を簡単に推測させる。だから、読み手も安心してクリックするという意見をいただきました。

また、最後のツイートのようにガラパゴス化といった意見もあります。確かに、書店で並んでいる書籍を見ても、ライトノベルコーナーに比べると、その他の小説や文庫は一単語の短いものや、長くても十数字程度で収まっているものが大半です。ある意味で、ライトノベル、もしくはウェブ小説特有の文化であることは言えそうです。

他にも、キーワードを引っ掛かりやすくさせるという点から、SEO対策ではないかという意見や、私同様、内容がわかることの重要性を指摘されるものが多く見られました。


ツイートの意図

ここで私があのようなツイートをした意図をお話したいと思います。

まず、大前提として、私は長文のタイトルは基本的に嫌いです。それだけで手の取ることを躊躇ってしまうほどです。世の中で面白いと言われている長文タイトルの作品が多いことは知っています。しかし、私にはタイトルが長いというだけで、ひとつ手に取る理由が消えてしまうのです。

次に本ツイートの意図は、単純に長文タイトルをまとめて批判しようというものではありません。根絶やしにすべきだなどと過激なことを言うつもりは毛頭ないのです。加えて今回特に疑問視をしているのは長文タイトルの中でも、タイトルが文章的であらすじのようになっているものです。言うなれば「〇〇が〇〇して、〇〇と共に〇〇する」みたいなものです。

その疑問に対する答えは上記の引用やまとめにもあったとおりです。

では、ここからその疑問を抱いた発端を考えます。


タイトルとはなにか

見出しのとおりタイトルとは何でしょう。

私は作品の顔作品を短い言葉で表すとするならばこうだ、という、いわば最初に見られる第一印象の部分であると考えています。

具体的に作品例を挙げると、

原田マハの『常設展示室』。美術作品を主題とした短編集であり、それらが並べられているという意図がある。

有吉佐和子の『非色』。人種差別やそこに根付いた深い背景と問題を表わす敢えて「色に非ず」と訴えかける。

スタニスワフ・レムの『ソラリス』。タイトルのソラリスという星が舞台であり、その異様さを描く。

ヘミングウェイの『老人と海』。タイトルの通り、老人の海での営みと戦いの物語。

タイトルの解釈は私の完全な独断なのでどうかご容赦を。

また、小説以外でも漫画、映画、音楽、美術など様々な作品と呼ばれるものたちの多くにはタイトルがあります。

お気づきの方もいるでしょう。上記作品例にはライトノベルに含まれるものは挙げていません。これは意図的なものです。加えて、なるべく短いタイトルを持った作品を上げました。
ですが、古典的名著や文豪と呼ばれる作家の作品のタイトルも必ずしも短いとは限りません。しかし、文章チックな、もしくはあらすじ調の、と言われるとどうでしょうか。あなたはライトノベル以外でそうした作品は思い浮かんだでしょうか。すくなくとも私にはすぐには思いつきません。

思いつかないことを根拠にするつもりはありません。探せば出てくるでしょう。しかし、多くはないのではないかと思います。

では、やっぱり長いタイトルはダメだと言いたいかというとそうではありません。本ツイートやそれらへのリプライにある通り、戦略としての側面は少なからずあると思います。単なる流行ではない、読者が選びやすくするための工夫です。それらを否定はしません。なぜなら戦う場、プラットフォームが違うのですから。


ウェブ小説という場の特異性

小説家になろうというサイトをグーグルで検索してみましょう。そして一番上に出てきたものをクリックします。すると以下の画像のような画面になります。

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まず、あなたがライトノベルを読み始めようと思ってやって来た、いわばライトノベル初心者の読者だとします。ネットで調べていたら無料でライトノベルをたくさん読めるサイトとして「小説家になろう」が紹介されており、やって来たものとします。

あなたはどのように作品を探すでしょうか。大抵の方は面白い作品を、手軽に確実に読みたいと考えるはずです。そうすると目に入るのは「ランキング」ではないでしょうか。サイトのトップにでも出てきていますから、目につきやすいはずです。

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アンドロイドスマホ版だと上のようになっています。どちらにせよランキングが目に入りやすいUIをしています。

ランキングのところをスワイプするなどして「もっと見る」や「総合」のところをタッチすれば、あなたは「小説を読もう」のサイトに遷移します。きっとそこで作品を吟味することでしょう。

ここでのあなたの行動として考えられるのは主に二つ。

一つはランキングの上位作品を片っ端からクリックし、読んでいく方法です。当然ランキングの上位にあるわけですから、面白さも担保されていてすぐにいい作品と出会えることでしょう。

もう一つはタイトルを見ながら、気になったキーワードが目に飛び込んできて、タップをする手法です。どん物語なのかもある程度つかめるかもしれません。自分に合った作品と出会いやすいです。

今回はこの後者についてより深く考えます。例えば上記のような初心者の場合、キーワード周りの情報からさらに詳しくどんな物語なのかがわかることで、作品に対する安心感が生まれると思います。そこであらすじ調のタイトルは大きな役割を果たします。タイトルにキーワードを補完するあらすじが書かれているわけですから、なるほどこんな内容なのだなと、事前に知ったうえで読むことができます。

さらにこうしたウェブ小説サイトに慣れてきた方は、そういった安心の担保がされた、あらすじ調のタイトル作品というのは惹かれるものが多くあるのだと思います。もちろん、それ以外の方法や理由で探す方もいるでしょうが、こうしたやり方がウェブ小説サイトでの検索方法としては主流なのではないでしょうか。

これらは読者視点からの簡単な考え方ですが、おおよそ間違いではないと思われます。もちろんすべてではありませんが、検索やランキングを駆使して作品を見つける場合、どちらにせよこうしたタイトルからあらすじがわかるというのは大事な要素のはずです。

次に書き手視点に移ります。あなたは小説投稿サイトとして有名だと聞いた「小説家になろう」へやって来た新人の物書きです。ライトノベルが好きでたくさん読み、ついには自分でもなにかを書いてみようと決意したとします。

作品を投稿する際、あなたは何に気を付け、工夫をするでしょうか。もちろん作品の全てですね。どんな人物たちが登場し、どんな物語が展開され、どんな最後を迎えて欲しいか、そんなことを考えながら書くと思います。そんな時、タイトルも同様でしょう。この作品にはどんなタイトルがいいだろうかと考えます。

今回はタイトル付けに注目した記事ですから、そこへ焦点を絞って考えます。作品にタイトルを付けるとき、ここでも主に二つの行動が考えられると思います。

ひとつは捻りに捻って自分で一から生み出すタイトルです。ありとあらゆる可能性が考えられるでしょう。

もう一つは人気作を分析して生み出すタイトルです。ランキングを見たり、これまで読んできた小説を振り返ったりして、この環境でたくさん読んでもらえそうなタイトルを考えます。その時付けられるタイトルは、特に小説家になろうのランキング上位にあるような作品のタイトル構造を抜き出したものになると思います。いわば長文、もしくはあらすじ調です。

もちろん前者でもそう言ったものが生まれてくる可能性はあるでしょう。考えた結果、生み出されるものには無数の可能性と、今までの経験が物を言いますから。そうしてあなたは小説の投稿をし、晴れて「小説家になろう」での作家デビューを果たします。

とまあ上記のような物語を考えてみたわけですが、どうでしょう。納得はしていただけましたか? きっと上記以外の読者、作者も多くいるはずです。なにか特定の目的で小説を探しに来た方、逆に書きたいものはもう出来上がっていてあとは投稿をするだけの方、さらには他のサイトから流れてきた方など……。

しかし、もしたくさんの方に読んでもらおうと、「小説家になろう」を含む、ライトノベルがメインのウェブ小説投稿サイトに投稿をされる方は、特にそのサイトや界隈の特性を分析し、そこにいるメインの読者に向けた作品作りをするはずです。

そして読者もまた、ある程度それらのサイトに求める作品の中身というのは決まっている方も多いのではないかと思います。そんな時に、いちいちクリックしてあらすじを読むとか、中身がわからない作品を読みたいと思うでしょうか。

上の画像の通り「小説家になろう」には100万近い作品が現在掲載されています。それらを一つひとつ吟味しているのでは、とても時間が足りません。私のツイートのリプライに「あらすじを読まない」、もしくは「読まれない」という意見を目にしましたが、そのはずです。そんなことをしていては間に合うわけがない。ならば、タイトルから中身が推測できる方が、読み手は安心できます。このタイトルなら、私のが読みたいと物語が読める確率が高いのではないかと。

同様に書き手からの意見もありました。曰く、「作者の優しさ」であると。確かにそうでしょう。あくまで投稿者は素人が多い。そんな時、作品を手に取っていただく読者に後悔をして欲しくないというのは同意するところです。数ある小説の中からわざわざ私の作品を選び、時間を割いていただいているのだから、合わない作品を読んでもらうのは申し訳ないというのはわかります。だからこその長文、あらすじ調のタイトルが生まれるという理屈です。

以上のようにウェブ小説には特有の環境と呼ばれるものがあります。それは、ただライトノベルだからで括ることはできず、さらに一段階掘り下げた、ウェブ小説という点に主眼が置かれるべきです。その上でのタイトルのお話です。


ウェブ小説以外で作品はどう選ばれ、手に取られるか

ここで一旦ウェブ小説という枠組みから離れて、作品を選ぶという行為について考えます。

例えば漫画です。あなたは普段どのように新しい漫画を探していますか? 本屋をぶらつく人、雑誌を定期購読している人、アプリから見つける人、ツイッターや知人からの紹介で見つける人、様々なはずです。

ではその漫画を単行本としてお金を払って買う基準はなんでしょうか。読んでみて面白かったから? 好きな作者だから? はたまた新しい漫画は取り敢えず一巻だけ買うという方もいるかもしれません。そしてやっぱり面白ければ読み続ける。

漫画におけるタイトルの重要性はどれくらいの割合を占めるでしょう。何も知らずに何らかの漫画を見た場合、判断材料になるものとして大きな割合を占めるのは「絵」のはずです。ウェブ小説とは違い、文字ではなく絵が主体ですから、視覚でより直感的に理解できるでしょう。絵柄が好きだから買うという方もいると思います。さらに、漫画は小説よりも手軽です。絵で情景が理解できる分、試しに読んでみるも起こりやすいのではないかと思います。同じ本という構造を取りながら、二者が別物として扱われる単純な理由です。

さらに広げてアニメはどうでしょう。例えば今の深夜アニメはおおよそ3カ月を基準にどんどん作られています。以前よりも作品数は多くなり、追うのが難しくなってきたという方もいるのではないでしょうか。そんな時、あなたは何を基準に実際に観ることを選択しますか?

一つは原作のファンであるというパターン。元から物語を知っていて、好きだから見る。アニメ化が決定して喜ばれているファンというのはよく目にします。次に、シーズンの切り替わりごとに予告編を観て、面白そうだと感じたものを観るパターン。そして、あとは制作会社や出演している声優などで決める方もいるかもしれません。

ではここでもタイトルが占める割合はどうでしょう。特に二つ目、予告編で決める場合です。演者や原作の場合と違って、作品に対する情報はほとんどないとします。そんなとき予告編に散りばめられた様々な要素から視聴を有無を選択するはずです。そこでは視覚での映像のほかに、耳からのキャラクターの声や音楽、効果音などが合わさり、より多次元的に作品を取り込みます。そんな時のタイトルの重要性はどれくらいでしょうか。

逆に聴覚に特化している音楽はどうでしょう。

一見すると、音楽は耳で聞くものですから、耳に訴えかける仕組みを構築すれば受ける様に思うかもしれません。実際、最近の曲はイントロが短くなっているという話を耳にします。そして聞こえ始めて数秒で判断をしていると。

同時に、MVのことを考えれば視覚要素もないことはないでしょう。ストリーミングサービスでも、ジャケ写が表示されることはあります。

とはいえやはり音楽の選択基準はそれでも聴覚が大部分を占めると思われます。タイトルで選ぶ、ということもあるかもしれませんが、重要視はされないでしょう。

こんな具合にいろいろな作品の選ばれる基準について考えてみました。ではここで書店を思い浮かべてください。あなたは書店の小説の新刊が並んでいるコーナーにいます。なにかいい小説はないかと店内を物色し始めます。

この時あなたの情報として最も大きいのは当然視覚です。表紙でも背表紙でも、それらを眺めながら、手に取ろうと思える小説を探すのです。

手に取り買おうと決める要素はなんでしょう。好きな著者だから、話題になっているから、人が紹介したから、帯に好きな著名人の名前があったから、あらすじを読んで気に入ったから、様々です。漫画に似たところも多数見られると思います。しかし、漫画と違って文字という要素が強いことは間違いないはずです。

ここで書影で買うというものに注目してみましょう。一見すると漫画を買う時と似た状況に思えます。確かに綾辻行人の『Another』などは印象的な表紙をしていて、これで買ったという方もいると思います。しかし、同時に購買全てのきっかけが書影というのは珍しいのではないでしょうか。ひとつの選択基準として存在しており、また大部分を占めるとまでは言い難いように思われます。

さて、ではタイトルはどうでしょうか。おそらく、上記に挙げたジャンルよりも、買うことを決める要素としての割合は大きくなりがちだと思います。タイトルから中身を想像してみる。もしくはタイトルとその他の要素を集合させて中身を推測するということはあると思います。書影や帯といったその他の要素を総合しながらも、ある程度の割合でタイトルが購買の選択基準に上がることはありそうです。

ここまでの話をまとめると、ジャンルによってタイトルの重要度は様々。同時に、ジャンルの主体となる表現要素に引っ張られるという結論が得られます。


ツイートの意図をもう一度探る

ここでようやく事の発端である私のツイートに戻ってきます。

ここまで延々と書いてきたことは、全て、ではなぜ結局あんなツイートを私がしたのかということを説明するためにあります。それは単に嫌いだからで片付けられるものではないということです。

私はここまである意味で恣意的に、タイトルというものに主眼を置いて考察してきました。その中でウェブ小説が存在している場の特異性というものが浮かび上がってきました。つまり、無数にある作品の中から選んでもらうためにどうするか、という戦略の話です。

それらは他のどんなエンタメジャンルとも違います。それこそ、近しく見える書店でさえ。いえ、書店のライトノベルコーナーに絞ってさえ、まったくの別物です。書店のライトノベルコーナーはいわば選抜選手が戦う場。書籍という形に昇華され、挿絵含む様々な要素が付け加えられた状態で、改めて選ばれるのを待つのです。

それに比べてウェブ小説の何と狭き門か。見える要素はある意味、ほとんどタイトルが全てです。読者は数ある作品から選ばなくてはならない。作者も数ある作品に埋もれないようにしなくてはならない。それはどれだけ単純に素早く中身を知ることができるか、知らせることができるかということが大事になってきます。ある意味で、クリックをして読むという行為は、お店でお金を払って買うという行為に相当しているのではないかと思います。その結果、生まれたのがあらすじ調のタイトルというわけなのです。環境への適応、最適化ということができるでしょう。自分が置かれた場において、最大効率が取れることが、激戦区ウェブ小説では大切なのです。

しかし、私はここに待ったをかけたい。なぜか。それで本当にいいの?という疑問が浮かび上がってきたからです。

長文あらすじタイトルが嫌いな私がそれでも書き手として「小説家になろう」などを選択している理由でもあります。それは、「確かに多くの書き手と読み手にとってはベストな環境だけど、そこからわずかに外側にいる人にとってはどうなの?」という話です。

どういう意味か。

ウェブ小説は、ある意味で書き手の戦略自体は固まりつつあると私は考えます。つまり、見てもらうためにはまずタイトルで話の中身がわかってもらえるようにすることがベストだよね、という構造が出来上がってるということです。
もちろんそのように倣ったからといって、必ずしも人気作になるとは限りません。結局は中身、面白くなければ読まれ続けることはない。しかしながら、そもそも読まれることがまず必要なのであり、そのために確立された手段があるのならそれを選択することが最善なのです。現在のウェブ小説であらすじ調のタイトルが乱立する原因のひとつだと私は考えています。

この状態は一種の固着を生み出していると思います。つまり、長文あらすじ調タイトル以外の作品はどうしても読まれづらい状態にあるということ。そしてそれらはそういうものだとして認識されている節があるということです。これは結果的に門戸を狭めることになっているはずです。ある意味で適した作品でなければ門前払い、通るのならあなたはそういう世界に足を踏み入れたことを覚悟しておきなさいよ、ということです。これは果たして健全な状態と言えるのでしょうか。

いや、それが嫌なら別のプラットフォームを探せよという方がおられると思います。しかし、それらの適さないと思われる要素を持っていたとしても、魅力的に思える市場がウェブ小説サイト、なのだと思います。特に、連載形式かつ、かなりの長編で、ライト文芸に分類されるような作品を書いている人種、つまり私のような人間にとっては。

私はウェブ小説サイトの魅力は、手軽さと、ユーザーのフットワークの軽さ、そしてなにより完結をしていなくても持続的に公開できる場、にあると思います。最後の要素が本当に私には大きかった。書きたいけど、最後まで書ききる前に読んでもらいたい。そんな私のような人間には、合わない場所であるとわかっていても、ウェブ小説サイトは魅力的でした。中でも、特にユーザーが多い、「小説家になろう」と「カクヨム」を選んだのです。

つまり、ウェブ小説サイトには完全に合致していないかもしれないけど、それ以外ではもっと合わないから投稿をしている書き手、もしくはそんな作品を探している読み手にとっての場として、現状のウェブ小説サイトはいい環境と言えるのかということです。間違いなく少数派でしょう。そしてそれらの意見を必ずしも聞き入れることは重要じゃない。けれど、捨て去ってしまうことは、果たして最良かということを問いたい。

私のツイートの意図はそんなところです。現状のウェブ小説サイトの環境をこのままにすべきなのか、考えることは常に必要ではないかという問題提起の一種として、あのようなつぶやきをしたのです。


結論:変化は必要だけど今すぐにではない

私は常に変化し続けるプラットフォームこそ、理想の場だと考えます。それもユーザー主体で、どんどんと新しいものが生み出されていく場こそ、盛り上がりを保ち続けることができるはずです。

しかし、先のとおり、私は現在のウェブ小説サイトは、停滞をしていると考えています。確かに作品のジャンルに流行り廃りはある。けれど、いつだって想定される書き手も読者も変わっていない。それでは今後のウェブ小説サイト、ひいては出版業界やエンタメ業界においてもあまりいい傾向ではないように思います。

ジャンルによって独自のシステムや手法が確立されていけば、やがてはそれらが壁になり、成長を阻み、外部からの刺激も得られなくなる。そうではなく、多くに門戸を開き、常に新しい風を求め続けることこそ、今後の成長につなげていくことができるはずです。そんなウェブ小説サイトになっていくことを私は望みます。

しかし、今すぐに変わってほしいとは思いません。それこそ明日から急にそんな流れが来てもきっといいことはない。それでは総倒れになって、誰もが不幸な目に遭うだけです。そうではなく、少しずつでも変えようと、ちょっとだけ意識を斜めに持っている人が、少数でもいることが必要です。そんな人がいることで、今の人が輝き、そして未来にもしかしたら輝ける誰かが生まれてくるはずです。私はそんな斜め意識の人であり続けたいと考えます。

最後に、では私がタイトルについてどう思っているのか、について話します。

私はタイトルは先のとおり、作品の顔だと考えています。そして顔は一番みられる場所。だから、なるべくカッコよくおしゃれをさせてあげたい。そのために頭を悩ませ、作品にふさわしいと思えるタイトル付けをします。そして私の考えるその美の基準こそ、端的に表すという方法なのです。

そして私にとってあらすじ調のタイトルはそれには該当しません。私からすればごちゃついている状態。目立つけど、誰だかわからない、そんな感じです。私は自分の作品をそうしたくない。だから作品に付けるタイトルは、私の美学の下で決められます。そして、その美学を読むときにも適応する。だから、長文、特にあらすじ調のタイトルは好かないのです。

一方で、手法としては理解できます。読まれたい、売れたいと考えるのなら、自分がいる環境に適した方法を取ることが大切。明確な目標に対してきちんとした針路を取ることができる手腕もまた、素晴らしいものです。

それでもなお私は自分のやり方を貫くつもりです。読まれにくいとわかっていても、自分の美学を曲げず、今のところは突き進むつもりです。それが果たしていい結果を生み出すかはわかりませんが、どうしても変えることのできない矜持はあります。

読者の方はこんな私の決意表明を最後に読まされてどう思ったでしょうか。結局は負け惜しみか、もしくは変わってる哀れな人でしょうか。あるいは面白うそうなヤツでしょうか。何でも構いません。少なくともここまで読んでくださったこと、大変感謝しています。


この記事を終えるにあたって、今回の記事作成に当たって、ツイートの引用許可をくださった皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。あまり、いい活用はできませんでしたが、私としては大変参考になりましたことを、ここに記しておきます。また、ツイートに対して多くの意見をくださった他の皆様にも、感謝申し上げます。

うまくまとめることができず、だいぶとっ散らかった記事になってしまいましたが、ここまで読んでくださった読者の方々、ありがとうございました。また、どこかの記事、もしくはウェブ小説サイトなどでお会いしましょう。それでは。

十 夏

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