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IQの危殆化

境界知能は軽度知的障害と別物、と考えて譲らない人がいる。
しかしそもそも軽度知的障害の基準が厳しくなり、派生したのが境界知能なので、私は別物とは考えていない。

昔からIQは目安でしかない事はよく知っているし、IQと実際の能力がかけ離れた人を何人も見ている。
IQ以上の知性を感じる人もいれば、以下に見える人もいる。

境界知能の人にも(軽度知的障害でも)当然プライドがある。
プライドが高い人にとっては軽度知的障害に自分が含まれる事は許し難い事なのだろう。

しかし今後はそうも言っていられなくなると私は考えている。

危殆化という言葉がある。
主にITの場面で使われる言葉で、複雑に作ったはずの暗号が、コンピュータの性能アップに伴い破られる、といった様に、相対的に暗号化技術のセキュリティが下がる事を意味する言葉だ。

現代はIQの危殆化が進んでいる。

昔は単純な仕事が幾らでもあったが、今は仕事が複雑化している。
昔なら仕事があった境界知能も今は仕事を選べなくなっている。

これは仕事の複雑化によりIQが危殆化しているという事だ。

また社会のデジタル化に伴い、求められるスキルは境界知能が苦手とする理系に重きが置かれる様になるだろう。
昔から就職には理系が強い、は定石だったがこの傾向はますます強くなり、境界知能を苦しめるという事だ。

IQの危殆化により、境界知能が軽度知的障害に戻る、という事はまだないだろう。

しかし境界知能の人間も、自分は大丈夫、と楽観視出来る時代はとうに過ぎたのではないかと思う。

境界知能には社会がより複雑になる前に自分の居場所を見つけておく事が迫られているのかもしれない。

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