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連載小説・タロットマスターRuRu

【第十五話・空白の日】

月曜日の昼の休憩時間、琉々は食後のコーヒーを、日陰のベンチで楽しんでいる。駅地下にある、お気に入りの店のものだ。時間に余裕がある日は、食後の散歩がてら、駅前まで買いに行くことがある。カップの蓋を外してコーヒーの薫りを楽しみながら、ゆっくりと口をつける。

「琉々!お疲れ様」

通りかかった奈都子が隣に座った。手にはコンビニのアイスコーヒーを持っている。

「お疲れ様〜」

そう言いながら琉々が小さくあくびをする。

「あれ?疲れてる?寝不足?」

「んー…疲れって程でもなくて…」

琉々は、ひとくちコーヒーを飲んだ。ふぅ。と、小さく息を吐く。

「そう?いつもそこのコーヒー飲んでる時は、もっとキラキラしてるけど」

いつもと違う様子の琉々に、奈都子がクスッと笑う。

「そうね…まあ…今日はいつもより朝が早かったから…」

琉々は今朝の出来事を思い出す。

朝七時、約束の時間に丘咲は琉々の屋敷に到着した。昨日と同様、休日用のカジュアルな格好である。

「おはよう」

既に庭にいた琉々は、丘咲の姿を見て声をかける。

「琉々さんおはよう」

まだ寝起きのような声で、丘咲が応えた。眠そうな丘咲の様子は無視して琉々は作業を命じる。

「あまり時間がないから、早速やってもらうわよ!まずは基本、水やりからね。こっちへ来て」

琉々は駐車場の方へ歩いて行く。それを丘咲が追いかけるが、足取りが重い。それでも最大の力を使っているようだ。駐車場の端には庭仕事用に蛇口が設置されていた。その先には水やり用にホースが取り付けられている。琉々がシャワーヘッドのついたホースを準備する。

「ほら、これを伸ばして。庭全体に水を撒くの」

琉々は丘咲にホースを手渡した。

「あ、はい…」

覇気のない声で答えて、丘咲はそれを受け取った。シャワーヘッドは握ると水が出るタイプのようだ。琉々が蛇口を開け、水が流れ出てきた感触がホースから伝わってくる。丘咲はシャワーヘッドのボタンを握って水を撒いた。

「そうそう。そんな感じで庭全体に撒いてちょうだい」

水飛沫をぼんやり眺めながら丘咲は指示に従う。蒸し暑さが少し和らいでいく。長らく見ていなかった緑の風景が目の前に広がっている。東京に出てきてからは仕事漬けの毎日だったし、休みの日も、生活に追われていたため、レジャーに出かける余裕などなかった。

『花なんて見たの、いつぶりだ?』

丘咲は心の中で、ここ数年の自分を振り返る。

思い出せるのは仕事、会社、同僚や上司の顔、そして都会の風景だけだ。

『俺、ホント仕事以外何にもしてなかったんだな…』

丘咲が心の中で苦笑していると、琉々の鋭い声が届いた。

「ちょっと!手が止まっているわよ。立ちながら寝ているの?」

琉々は歩み寄って、丘咲の顔を覗き込んだ。琉々の大きな目が視界に入って、丘咲は現実に戻ってきた。

「ごめんなさい!自然とか花とか、ここ数年見てなかったなぁって…思い出してたんだ」

その言葉を聞いて、琉々がキョトンとした表情になった。

「へぇ…そんな人もいるのね。東京は自然が多い方だと思うけど?公園にも緑が多いし。そうゆう所にも行かないんだ?気持ちいいわよ。自然の中は。ほら、あっちにも撒いて。届いてないわよ」

会話を続けながらも、しっかりと指示を出す。

「あ、はい…休みの日は疲れていることが多かったし…家の片付けや家事もしないといけないでしょ?そういえば就職してから、自分の時間ってほとんど取っていなかった気がするな…」

キラキラと輝く水飛沫に目を細めながら、丘咲はポツリと答えた。

「仕事中心の生活か…まぁ、二十代前半ならそんなもんか…」

いつの間にか、琉々はちゃっかりサングラスをかけている。丘咲の撒いているホースの向こう側をしっかりと見つめて、指で指示を出す。しかし、今日の琉々は会社に出勤するための服を着ているので、サングラスと全く合っていない。秘密結社のエージェントのようにキマッっている。丘咲はそのミスマッチに笑いそうになるが、また琉々に怒られるだろうと思ったので、どうにか笑いを噛み殺してやり過ごした。

【続き・第十六話】

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