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戦力外通告からの働き方

定年とは、戦力外通告を受けることである。
プロ野球などでは、成績や能力期待度の判断で次年度からはもっと働ける人材に入れ替えるのだが、サラリーマンの定年は、年齢の基準で戦力を入れ替える。
そういうルールで運営されている社会のシステムに属しているので諦めざるを得ない。退職金と年金があるので、働かなくてもいいでしょうということになる。
全員が全員、定年前までは喜んで働いてきたのではないので、ホッとする人も多い。二度とやりたくない仕事の毎日を過ごしたくないと思う人も多い。
ただ、厄介なのは「やることがなくなる症候群」である。
この社会に生まれ落ちて、ひたすらみんなと協調して役に立つことで報酬を得て家庭を営み人生を進んできた。60年間も。

やることというのは、組織や団体で能力や経験知を発揮して役立ってきたことなので、組織や団体から脱退させられると前提が崩れる。発揮する機会や環境が奪われたのでどうしようもないという事態だ。心にぽっかりと穴が空くのだ。

それでも当座は、自由に使える時間がどっと押し寄せるので、定年前の時間的制約で我慢したり、不完全燃焼に燻っていた「やりたいこと」の数々が待っている。長期の海外旅行やゴルフ三昧や釣り三昧といった趣味に時間は紛らわされる。
しかし、それらも一周すると、元の木阿弥。
能力や経験知が必要とされるやりたいことは、みつからない日々がこれから二十年も三十年も続くのである。

3大長生きリスクと称されるのが、金銭リスクと健康リスクと、社会的リスクであり、特に仕事を通して自己の存在感や人間関係を築いてきたから、仕事がなくなれば、たちまち人間関係は貧弱で時間を経ずして孤立感に苛まれる。定年を病にしないという言葉があるが、下手をすれば老人うつになる人もいる。それほと、我々は社会的動物でもあるのだ。

結局、仕事をする、働くことが習い性になってしまっていることは否定できないので、何らかの形で働くことを選ぶのが、真っ先に社会的リスクを、ヘッジする方法である。それは同時に金銭リスクの軽減や、働くことでの規則的な生活リズムの寄与が健康リスクにも好影響を及ぼせば言うことはない。

だが、、どう働く!
再雇用や雇用延長あるいは臨時の働き方があるが、所詮、小手先の働き方で目先の誤魔化しでしかない。
働く限りは、働けなくなるまで全うできる仕事が望ましい。また、定年前までできなかった働き方が見つかれば嬉しい。もっと言えば、本当にやりたかったことが仕事にできれば、第二の人生の僥倖である。

そんなことができるのか?
答えはできる、である。
いままでの働き方と生き方を、Game Changeすれば、筆者の様に、
「天職」に出会え、好きを突き詰めた「偏愛」ビジネスにも楽しめて、いままでとは違ったたくさんの人々と交流する日々を15年も20年も手にすることができるのである。

どうやるのか?
先に天職とか偏愛とか書いたので、勘の良い人はピンときていると思うが。

「自分の中の好きなこと・得意なことを仕事にする」

そしてこう書くと、多くの人はそんなことができるはずがない。好きなことをして飯が食えれば苦労はしないという反論が噴出するだろう。

そこで、2つのことをお話ししたい。
ひとつは、考え方のGame Change
もうひとつは、手段としての個人事業である。
説明する順序としては、個人事業の方から始めると、
自分の中の好きなことを得意なことを事業化するために、事業のフレームで物事を進めていく。いわゆる起業をするわけではない。お金と時間の使い方を個人事業主のフレームでやるだけである。
つまり、自分の好きなこと得意なことを、計画する投資する開発するテストマーケティングする売り出す利益を再投資するのサイクルで回すことである。
好きなことで飯が食えるのかという反論は、好きなことが魅力ある商品・サービスにまで研究開発されていないからである。
得意なことをノウハウ・メソッドまで高めて指導料や講演料が稼げるまでに至らない、半端なままでいままではすましていたからである。それを事業のフレームでやり尽くすのだ。

それでも、定年から取り組んだ個人事業で世間の企業や商品・サービスと戦えるのか。勝てるのかという声が聞こえてくる。別に勝たなくて良いのだ。15年か20年間トントンで続けばよいのだ。

そこで、働き方・生き方のGame Changeの出番である。定年前までに学んで経験してきた事業のセオリーや働き方のルールを根本的にチェンジするのだ。
例えば、利益を追わない。効率を第一にしない。規模も取引も拡大しない。人を雇用しない。借入金で事業をしない。嫌な人とは取引しない。猛烈に働かない。定年前とは逆張りである。

それが許されるのは、年金収入で最低限の生活が保障されているからである。生活のために無理や理不尽に塗れるのは定年前でゴリゴリである。
だから、一見甘い設定で事業をするのだが、利益はつまるところ、自分が活動する資金が回せれば良いのである。お金をたくさん儲けても、もうそんなに欲しいものもなせれば行きたいこともあまりない。子供や親や親族のために稼ぐ必要もない。
この先待ち受けているフレイル期までの持ち時間を自分が心豊かに活動できれば、それに勝るものはない。
好きなことのカテゴリーで働き、お金にギスギスせずに人と接していけば、人間関係でストレスに侵されることもなく、穏やかな人たちと新たな出会いや交流がいままでにない人生の喜びに変えてくれるのである。
そしてそうした決断で事業を行うのは、誰であろう、自分である。自己決定すればよいだけである。誰も文句は言わないし、誰にも迷惑は掛けない。自分が楽しめるだけである。

ここまで書いてきても半信半疑の方に、筆者のはケースを一つの事例として提示しよう。(定年後15年間の実績)

- 60代で3冊の書籍を商業出版しました(定年前は0冊)。 
最初の著書の出版パーティに来てくれた250人は、全て定年後に出会った人々です。
- 自分で開発したコミュニケーションのノウハウを高校や大学で教えることができました。 
- トップ企業の研修も7年8年とレギュラー化していました。
- ノウハウやメソッドを商標登録もしました。
ノウハウやメソッドを教えてくれる講師を育成していました。
- 2拠点暮らしも楽しみ、旅するように暮らしていました。
- 社団法人の理事長も勤めています。
- YouTubeの広告収入やブログによるアフリエイト収入も得ています。
- 偏愛のグッズでオンラインストアを開設して、販売収入を得ています。


(以下つづく)

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