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「哲学」という言葉の意味

※言語の専門家ではないので正確な解説ではありません。

哲学は英語でphilosophy、その語源はギリシャ語のφιλοσοφία(philosophia)です。

φιλο(philo)は「愛する」、σοφία(sophia)は「叡智」を意味します。

つまりφιλοσοφία(philosophia)とは「知を愛する」ということです。

明治時代にphilosophyという単語が日本に入ってきて、「希哲学」と訳されたそうです。希は「求める」、哲は「叡智」なので「知を求める(愛する)学問」として、語源の意味を汲み取った訳であることがわかります。これが次第に「哲学」という形で使われるようになりました。

「〇〇学」の多くは、英語にすると末尾に -logy が付きます。これはギリシャ語のλόγος(logos)からきていて、「言葉、論理」といった意味です(λόγος(logos)にはかなり多様な意味があります)。

「哲学」に -logy が付いていないということは、それが単なる“学問”という枠組みではなく、「知を愛する」という営みそのものを指すからだと考えられます。

つまり、「知を愛する」者は誰でも哲学者であり、年齢や知識量、経験、学歴などは関係ないということです。

「死んだらどうなるの?」といった子どもの素朴な質問に、大人でも答えられないのはよくあることです。こうした問いを立てられる子どもは立派な哲学者です。

知識量を誇って人を見下したり、自分という枠組みだけの真理で人を「間違っている」と批判することは、哲学者であればしないはずです。「論理的に矛盾している」という批判が発生することはありますが。

知識量を誇るのは「知への愛」ではなく「自己愛」です。知をたくさん持っている自分を愛しているのです。自己愛を持った生き方がダメという訳ではなく、哲学者としての態度ではないということです。

よく吟味せずに「間違っている」と批判する人は、思考停止に陥っています。こちらも哲学者の態度ではありません。

哲学するということは知のために本を読み、人と議論し、自分で考えることです。暫定的に答えは出しますが、全てはプロセスであり、その答えも最終結果ではないのです。

昨今では「経営哲学」や「成功哲学」といった使われ方もあり、こちらは「経験から導き出された知識体系や思想体系」のことを指すと思われます。

「哲学」という単語を使うと高尚っぽい雰囲気が出るので、本を売るための方便としてこのような使われ方が出てきたのかなと想像しています。

言葉は生きものでもあるので、語源から外れた意味合いを持って浸透していくことも致し方ないというか、これについて批判したいという気持ちは全くありません。

ただ、語源に遡ってみることで、哲学を「知を愛する営み」として身近に感じてもらえたらいいなと思い、今回このような記事を書きました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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