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「甘え」について考える:①きっかけ

以前の勤め先で、「甘えるな」と叱られた。これが会社を辞める遠因のひとつにもなった(直接の理由は別にある)。

「甘えるな」と言われて、条件反射で「私は甘えてない!」と心の中で反論した。「甘えてる」なんて言われる筋合いはないと思ったし、その言葉が私の世界にはなかったというか、疲れてるときに誰かに甘えたい!と思うことはあったけど人から「お前は甘えてる」と言われることを想定していなかったので、動揺と混乱でいっぱいだった。甘えてることを自覚していたら「甘えたい!」とは思わないんじゃないだろうか。

そこで冷静になって、相手は私の何を指して「甘えてる」と受け取り、それを批判したのか、そして「甘えてなどいない」と反論する私の根拠は何なのか。これが明らかでないと、「甘えている」「甘えていない」の押し問答になってしまうだけで決着がつかない。そもそも「甘え」が何なのかわからないと、議論にならない。こうした考えが頭をぐるりと回り、それ以来「甘え」について知りたい、正体を明らかにしたいと思うようになった。

結局は、「自分は甘えていない」ということを明らかにして、自分を正当化したいだけでもある。そして「甘えるな」と言ってきた相手を論破してやりたいという気持ちも実はある。

「甘え」についての論考で有名なのは、土居健郎『「甘え」の構造』である。他に「甘え」の論考は目ぼしいものが出てこなかったので、唯一無二といっても良いくらいの文献のようだ。

さっそく手にとってみたが、精神医学の専門的な話も含まれていて、正直100%は理解することは出来ない。増補版が出版されたのは2007年、いわゆる本論部分が出版されたのは1971年、50年前だ。そこまで古い文献ではないと思うのだが、私が不勉強なあまり、行間が掴めなかったり挙げられている例がイメージできないものだったりと、苦戦している。

この文献からスタートして、理解できる部分から私なりの「甘え」の解釈を構築できればと思っているので、文献を正しく精読できているかについては深く突っ込まないでほしい。

見切り発車で書き始めているので、何本の記事になるかはわからない。自分なりに納得できるところまでいけたら筆を置こうと思う。

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参考:土居健郎『「甘え」の構造 [増補普及版]

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