見出し画像

2023年1月 ~鯨肉と判決

 その日は有給休暇だというのに朝から顧客面談だ。30分のWeb面談。コロナのお陰様で普及した大変便利な営業スタイルである。現場対応が求められる職種だが、一発の面談ごときでわざわざ足を運ぶ必要はなくなった。緊急事態宣言の頃は、むしろ訪問しないほうがマナーだとされ、その考え方は未だ根強い。きっと感染を気にしているだけではないのだ。訪問するほうもされるほうも本音では面倒臭い。こっちは30分の面談で1時間のかけて現場へ向かうのだ。あっちは会議室を予約してお茶を準備するのだ。しかし、Web面談となれば有給休暇だからと言って30分を断ることに気が引ける。それだけでない。先送りにして休み明けの課題としておくよりも、さっさと済ませてしまったほうがこっちも気分がよい。一発の面談さえ済めば俺は解放されて晴れて自由の身だ。面談内容だっておおよそ分かっているのだ。
「承知いたしました。では、週明けにご要望の構成でお見積もりいたしますので、是非ご申請をお願いします」
 通りもしない申請であることは承知している。先方だって俺だって。それでも申請してみないと何もはじまらないでしょう。
「あんまり期待しないでね」
「期待してますよう」
 お互いに苦笑いを交わしながら退室ボタンをクリックした。そして、笑顔を解除。メールの不在通知を設定してラップトップを閉じた。
 昨年のうちから申請していた有給休暇は10時半からはじまった。俺には以前より追いかけている裁判がある。環境影響評価書確定通知取消請求事件。割と各地で流行っているでしょう。環境アセスというのが。最近注目されている案件だと神宮再開発かしら。特定の企業が儲けるために、地域住民の生活環境を破壊する再開発だよ。どうせまたショッピングパークじゃないの。どうせまたアウトレットモールじゃないの。中身は大体一緒でしょう。神宮の件はよく知らないけれど、ラグビーが完全閉鎖系の室内競技になるんだってね。屈強な男ども30人が室内で駆け回るなんて、しっかり換気してもらわないと汗臭くてたまらない。黄色ブドウ球菌だよ。モラクセラ菌だよ。デオドラントスプレーが売れるよ。
 俺が追いかけている環境アセスはそいつでない。石炭火力発電所のそいつ。東京地方裁判所に足を運ぶのは何度目だろう。寒い中で抽選に漏れて泣く泣く帰ったこともある。熱い中で急いだのに傍聴券配布に3分間に合わないで泣く泣く帰ったこともある。抽選次第であることは覚悟していても、並んでみないとはじまらない。せめて遅刻だけはしないよう。1時40分からの傍聴券配布であったが、裁判所近くで飯を済ませて抽選に挑むことにした。
 こんな時でなければ下車することなどない「霞が関」。こんな時だからと農林水産省の食堂なんかで昼飯だ。鯨肉が食える食堂には職員ではないと思われる私服の娘さん連中なんかも現われる。ニタリ鯨の竜田揚げ定食。ニタリ鯨って何かしら。どうしたって嫌らしい笑いを浮かべながら潮を吹く鯨を思い浮かべてしまう。後々ネットを叩いて分かったことだが、ニタリ鯨とは似たり鯨と書く。1940年代末に識別されるまでイワシ鯨と同種として扱われていたが、腹部の畝が長く、ナガス鯨に似ていることからこの名がついた。なるほどね。似てたのね。名前の由来には納得したが、イワシ鯨もナガス鯨もその外見を知らない。ボックスタイプがマッコウ鯨でスポーツタイプがシロナガス鯨だったような。ナガス鯨には白いのと黒いのがいるのかしら。そして、イワシ鯨ならば食ったことがある。あれは傍聴席の抽選に漏れた冬だったと思う。やはりここで鯨肉を喰ったのだ。そう思うと、鯨肉は縁起が悪かったかしら。でも、ここに来るとなぜか鯨肉を食わないといけないような気がするのだ。
「環境アセスとか言ってるやつが鯨肉かよ」
 批判の声が聞こえた気がする。鯨肉を食うことに対してなんだか少しの罪悪感を覚える。鯨肉なんて保守的な奴さんの食い物で、国に裁判を起した連中を応援している分際で鯨肉なんて食べちゃうわけ?そんな風に責められそうな気がして怖気ずく。鯨肉を食おうとしているこのおっさんが裁判傍聴前であることなど誰も知らない。誰に何を言われたわけでもないのに己を弁護したい。鯨肉は我が国の食文化である。捕鯨によって鯨が減っているエビデンスなんてどこにもないのだよ。そんな記事を何処かで読んだ気がする。誰しも自分に都合のいい言葉を信じたい。鯨に関する専門知識を一切持たないニンゲンが適当に書き散らした散文だったかもしれない。俺は都合のいい話を引っ張り出して鯨肉に噛みついた。
 でも、鯨肉ってたいして美味くないよね。竜田揚げだったら絶対に鶏肉だよね。イワシ鯨を食ったときはカレーに乗っていた。あれはクジラ料理というよりカレーライスだった。今回のニタリ鯨は竜田揚げだ。割とリアルに鯨肉だよ。竜田揚げだったら鶏肉だと確信したけれど、またここに来たらなにかを期待して鯨肉を選んでしまうのだろう。
 裁判の歩みというはものすごく遅い。20分程度の話を聞いたら次回は三か月後。気が長いよ。石炭火力発電所の環境アセスを訴えても、建て替え工事は進んでしまう。実際にそいつはもう完成している。火入れの試運転もはじまっているようで、煙突から煙を噴き上げている動画がツイッターで流れた。誰も興味がないからほとんど拡散されていない。俺はとりあえずリツイート。
 ゆっくりと鯨肉を噛む。その肉は柔らかく肉質によるものか揚げ方の問題か、妙に脂っぽい。というか、油っぽい。農水省は東京地裁の直ぐ近くだ。ゆっくり食っても傍聴券配布まで随分と時間がある。俺は早食いなんだよ。食堂の長テーブルには擦りガラスの衝立。対面で娘さんたちが楽しそうに食事をしている姿をぼかす。金曜日の昼間に農水省でランチする娘さんたちというのはどういう経緯でここを選ぶのだろう。やっぱり鯨肉がお目当てかしら。俺と同じように裁判の傍聴に行こうと考えているZ世代の娘さんたちかしら。しかし、原告団長はけっこうなお爺ちゃまで、原告団に若者を見かけない。この裁判を追いかけて知ったことの一つとして、気候危機を訴えているのはZ世代ばかりではない。この裁判に関して言えば、被告席に座らされている役人らのほうがはるかに若い。
「ちょっとおまえたち行ってきてくんね」
 ぞんざいな上司に言われたのかな。環境アセスと呼ばれる環境影響評価の確定通知というものは経済産業大臣が出すそうだ。今で言ったら西村康稔だ。「ちょっとおまえたち行ってきてくんね」とは言わなそうだ。にこやかに言葉丁寧に圧をかけてきそうだ。なんだか腹が立ってきて食事の勢いが増す。ただでさえ食うのが速いんだよ。大してうまくもなかった定食をペロリ平らげてしまった。
 袖を捲れば傍聴券配布までにまだ1時間近くあるではないか。俺は水筒に汲んできたホットコーヒーを飲みながらスマホを眺める。第一審の判決が出るということで、いくつかのメディアが判決前日に記事を打っている。東洋経済に東京新聞。神奈川新聞は沈黙しているようだ。東京新聞の立ち位置はなんとなく分かっているが東洋経済という雑誌を読んだことがない。いずれにしても、アカウントフリーでここまで長い記事を出していただけることはありがたい。時間があり余っている俺は記事を読み直す。しかし、どうしても集中できないのは擦りガラスの向こうで揺らぐ賑やかな娘さんたちが気になってしまうから。食事が終わったくせに擦りガラス越しに娘たちを観察しているおじさんだと思われてないかしら。お得意の余計な思考が回りはじめる。この国のおじさんは社会的に優位だとされているかもしれない。でも、それは一部の気の強いおじさんに限ったことなのだよ。気の弱いおじさんは色々とご迷惑をおかけしているのではないかなんて気が気でない。結局、食堂を後にして、寒空の中、まだ開廷まで30分以上もある裁判所へ向かうのだ。
 法廷前では群衆ができていた。環境団体のサイトに入廷の撮影があると記載されていたことを思い出す。集まっているのは原告団の皆さまであろう。ちょうど横断幕を広げている最中であった。集団に紛れてみようかしらなどと思いつつ、判決という大事な日に邪魔するのもなんなんだろう。それでも、原告団を追い越して先に門をくぐるのもなんなんだな。思い悩んでいるうちに門を通り過ぎてしまった。結果、振り返って皆様の入廷を見守ることにした。「横須賀に石炭火力発電所はいらない!」と横断幕を広げる皆様にシャッターが切られる。俺もスマホを取り出そうとも思ったが、他人を勝手に撮影するわけにもいかんよなと思い止まる。そして、横断幕を広げた皆様方が前進をはじめる。なになにどうするつもりだ。どうやら弧を描きながら正門へ向かって入廷するという映像を撮るようだ。ドキュメンタリー映画でも作るつもりかしら。その姿を見送って、俺はいったん地下鉄へと非難した。寒いんだよ。
 しかし、霞が関駅の地下へもぐったところで何もない。唯一の喫茶店であるドトールは改札の中なのだ。俺は水筒のコーヒーを取り出し、通行人を眺めながら呆ける。そして、暇つぶしにニタリ鯨について検索したのだ。ニタリ鯨とは似たり鯨と書く。1940年代末に識別されるまでイワシ鯨と同種として扱われていたが、腹部の畝が長く、ナガス鯨に似ていることからこの名がついた。だそうだ。
 時間を潰し終え、地上へ上がる。門をくぐれば、既に大勢のヒト達が傍聴席を求めて並んでいた。早い者勝ちではない。先ず整理券が渡され、傍聴席に収まりきらない場合には抽選となる。俺は61番だった。思えばこの裁判はコロナ以前から続いている。はじめは原告適格がどうのと、そもそも裁判として成立させることに尽力されていた。あの頃はグレタ・トゥーンベリちゃんの出現によって社会的にも気候危機に対する関心が高まっていた。初めて傍聴に来た時にも随分とヒトだかりができていた。そして、コロナ禍になると、スポーツ観戦同様、傍聴席には三分の一しか座れないという事態になる。傍聴に来ようというヒト自体も減ったが抽選倍率は高い。そして、少人数での抽選に漏れた時の侘しさ。傍聴席を埋め尽くして関心が高い裁判なのだと示すことが一つの市民活動だと信じている。気の弱いおじさんには調度よい活動だ。61番目の俺の後ろにまだまだヒトが現われる。これはとても素晴らしいことだと思うよ。でも、傍聴券をもらえないと侘しいんだよな。有給休暇まで取ったんですけどと葛藤する。
 時間が締め切られると、前方から職員の声が聴こえた。
「今回は無抽選となります」
 イエス。心の中でガッツポーズ。本番はこれからだというのにひどく報われた気分になる。入廷の際には空港のチェックインさながら保安検査が行われる。スマホをポケットから取り出し、腕時計を外して、全てをリュックサックに入れて検査員に渡す。なにごともなくゲートをくぐれた時の達成感と僅かに感じる張り合いのなさ。空港での保安検査って折り畳み傘に疑いが掛かることがあるじゃない。雨降りの予報だったから折り畳み傘を忍ばせていたのだけれど、何も起こらなかった。本当にちゃんと仕事しているのかしらなんて役人仕事にはいちいち疑いをかける。法廷の場所は分かっていた。こなれてきた自分に多少酔いながら足を運ぶ。そして、権力の匂いを感じ取る。ビビるまいと自らを奮い立たせ、眉間に力を込めて入廷した。傍聴席は満席だ。人数制限は設けていないらしい。
「開廷したら帽子を外していただけますか?」
 ふと職員に声をかけられた。外出の際には大抵お気に入りの山高帽を被っている。毛が頼りなくなってきたからという理由も無きにしも非ず。割と固い山高帽だから脱ぐと額に跡がついたりするんだよなあ。毛も頼りないし。開廷というのがどのタイミングなのかよく分からず、渋々帽子を脱ぐ。形式主義者めが。帽子くらいいいではないか。心の中で悪態をついてみるが、ここは形式の連続である。裁判長が入ってきたら全員起立。裁判長に合わせて皆一礼してから着席する。そして、司会らしき人物が事件番号と事件名を読み上げた。
「令和元年(行ウ)第云々号、環境影響評価書確定通知取消請求事件」
 続いて、裁判長が声を発した。
「では、はじめに撮影開始といったら2分間の撮影を行ってもらいます」
 へぇ、今までそんなことあったろうか。俺もスマホで撮影していいのかしら。でも、撮影・録音禁止って書いてあったよな。
「撮影開始」
 法廷内の裁判官、原告団、被告たちは皆微動だにしない。とてもスマホを取り出してカシャカシャとシャッターを切る雰囲気ではない。俺も固まる。シャッター音は聞こえない。そして、2分間というのは意外に長い。
「残り30秒です」
 写真撮影だったら2分もいらんよな。誰も動かないのだったら動画である必要もないし。
 2分間の撮影後、裁判長は30秒ほど喋った。
「主文、訴えのうち、別紙1原告目録(省略)記載1(31)及び(35)から(45)までの第1事件原告らの請求にかかわる部分を却下する。その余の第1事件原告ら及び第2事件原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は、第1事件及び第2事件を通じ、第1事件原告ら及び第2事件原告らの負担とする」
 それは捨て台詞のようで、裁判官たちは立ち上がると法廷を後にした。
 終わったの?頭の中に却下と棄却という言葉が残る。なにが却下されて、なにが棄却されたって?却下と棄却ってなにがちがうの?「な~んちゃって」といいながら再び扉を押し開ける裁判官を妄想するがそれはかなわなかった。
 15時過ぎ、弁護団長、原告団長による旗出し。控訴することが宣言され、舞台は東京最高裁へ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?