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いつかの夜にサヨナラを

 寂れたアパート。死んだ自販機。幽霊が出る噂の公園――。
 喫茶タルホと潰れたパチンコ屋の脇を抜けると坂があり、それを超えるとやがてまっ暗な海が見えてくる。僕の思春期の背景はいつも夜だ。


 僕は友達が少ない。
 学生時代を振り返ってみても、進んで友人作りに励んできた記憶はない。
 携帯に登録された大半の友人は同じ神戸の狭い町内に住んでいた人間ばかりで、小学校から大学時代までを共に過ごしてきたような、いわば幼なじみだ。思い返せばだいたいどの記憶の中にも彼らの顔がある。


 中学生の頃は毎日がとにかく退屈で窮屈だったように思う。
 日々のストレスからか、気づけば僕の頭には円形の禿げた部分が出来ていて、毎朝鏡の前で黒いスプレーを頭に振り、その部分を念入りに隠してから家を出発するのが僕の日課だった。おかげで僕の頭は寝癖で爆発したままいつもガチガチに固められていた。

 大人になってから聞いたのだが、当時僕はクラスメイトの女子から「アトム」と呼ばれ裏で馬鹿にされていたらしい。
 スクールカーストなどという言葉はまだ無かったけれど、アトムと馬鹿にされていた僕が階級制度の上位にいなかったであろうことは容易に想像できる。

 毎日同じ学生服を着て学校生活をこなし、家に帰り晩飯を食べる。風呂に入り布団に潜ると数時間後には目覚ましが鳴り、また死んだような目で学生服に袖を通す。
 そんなふうに一日を通して、常に最低な気分で過ごしていたのだが、夜だけは違った。


 深夜こつん、と窓が鳴る。
 小石がガラスに当たる音を合図に体を起こしカーテンの外を見ると、道路には数人の友人がいて、みんな自転車に乗り窓を見上げている。
 それを確認し僕もそっと音を立てないようにして窓から夜に抜け出す。
 ブカブカのパーカーを着て帽子を被り、駐輪場に置いた、ハンドルを無理矢理ねじ曲げたカマキリみたいな自転車に乗る。

 僕らは毎晩それぞれの家を抜け出しては、あてもない夜を自転車で巡っていた。

 たまに誰かの自転車が盗まれた。
 自転車が盗まれたら友人の後ろに乗って町中をくまなく探しながら、ムカつく同級生のポストにありったけのピンクチラシを詰めて回る。
 雨が降れば川に架かる橋の下に行く。疲れたら海沿いまで町を下り、公園のベンチに座る。そこで日が昇るまで下らない話や怖い話をして時間を潰す。
 まるで野良犬みたいなそんな生活は心底楽しかったし、夜は僕らのものだった。


 友人の中に、サナギという奴がいた。
 名前の由来は忘れたが、ヘンテコなあだ名を付けられた彼はいつも一人遅れて僕らに合流する。遅刻の理由はいつも同じだった。コンタクトレンズを装着するのに手間取って遅れるのだ。
 サナギは毎晩、その豆粒大ぐらいしかない両目を真っ赤にしながら息を切らして集合場所までやってきた。
 僕らは何度か「来るの遅いから眼鏡でいいよ」と伝えたが「眼鏡はカッコ悪いから」という理由でいつも却下された。


 中学二年生の頃からサナギは学校に来なくなった。
 彼がまだ学校に通っていた頃、ふざけたクラスメイトに後ろから飛び蹴りを食らって、うずくまるサナギを見たことがある。サナギは背中を擦りながら「アイツらいつか絶対ころす」と言っていたが、その「いつか」が永遠に来ないことはサナギも僕も分かっていた。

 サナギが学校に顔を出さなくなってから、僕らは毎日「一緒に行こう」と自宅まで出向いた。けれどいつも玄関先で断られた。いくつか言葉を交わし「じゃあ、また夜に」と伝えると、サナギは決まって迷惑そうな顔をして「また夜に」と笑った。
 そうしてるといつも奥からサナギの父親が顔を出す。
「お前ら、こいつの事頼むぞ」と言いながら玄関脇に置かれた原付バイクで出かけていく。カバによく似た彼の父親が小さな原付バイクに跨がる姿はなんだか妙にまぬけでおかしかった。

 サナギは学校にこそ来なくなったが、夜の集まりには必ず顔を出した。
 毎回充血した目で遅れてくる彼に悪態をつきながらも、僕らは変わらず毎日のように自転車で町を巡った。

 貴重な学生時代を深夜の徘徊で浪費しながら、僕らは高校生になった。
 友人の一人は県内トップの進学校へ進み、もう一人は公立高校に進学、私学のスポーツ校へ推薦入学した奴もいたし、別の友人は県内で一番偏差値が低い、名前が書ければ受かる工業高校へ進学した。
 僕らは成績面での良し悪しはバラバラで制服も揃わなくなったが、夜になると相変わらず窓を叩いて回っていた。
 変化といえば自転車が原付バイクになったことと、自販機で買うジュースが煙草に替わったことぐらいだった。

 サナギもかろうじて高校に入学したがすぐに辞めてしまった。
 その頃、僕とサナギは同じスーパーでアルバイトを始めていて、僕は惣菜担当でサナギは精肉担当を任されていた。バックヤードでサボる僕のところに、サナギはいつも余った肉を嬉しそうに持ってきた。
 僕らは社員が帰った後、業務用のデカいプレートで焼き肉をしていたが、ある日それが店長にバレてサナギだけクビになった。
 その半年後、僕も値引きシールを適当に貼っていた事がバレてクビになった。
 クビになった日に、僕らは初めて自分たちで稼いだ金で焼き肉に行ったのを覚えている。


 やがて大学生になった僕は、学校にもろくに行かず毎日のように遊び呆けていた。
 その頃のサナギはフリーターで、パチンコ屋のアルバイトをしていた。
 たまに冷やかしにバイト先を覗いてみると、彼はビックリマンのキラシールみたいなカラフルな制服を着ていつもダルそうにして満パンのドル箱を運んでいた。

 僕は幼なじみ数人とバンドを始めたこともあり、忙しさを理由に次第にサナギとはあまり顔を合わさなくなった。


 大学三年の夏のこと。
 スタジオ帰りに偶然サナギに会った。
 僕らは思わぬ再会に喜び、立ち話もなんだからと居酒屋に入る。あーだこーだと盛り上がったが、元々酒が弱い僕は3杯目の日本酒に手をつけた辺りからプッツリと記憶が途切れてしまった。



 翌朝、気づくと僕はどこか知らない和室の布団の中にいた。
(どこだここ?)

一瞬不安になったが、壁に貼られたポスターを見て思い出した。
――サナギの家だ。

 サナギはどうやら酔い潰れた僕を家に連れ帰ってくれたらしい。

 小学校の頃よくこの部屋に集まり、格闘ゲームをしてはサナギにボコられ、そのままみんなで殴り合いになった。その度に僕がリビングにいるサナギの父親を呼びに行き「お前ら暴れるんなら外でやれ!」と怒鳴られた。映画の「リング」を観てみんなで肩を寄せて震え上がったこともある。

 あの頃から何も変わらない部屋だったが、 その中に唯一見慣れないものがあった。
テーブルの上にツヤのある白い陶器が置いてある。
リビングには、サナギの背中が見えた。
 

 布団を抜けた僕が昨日のことを詫びると、サナギは呆れた顔で別にいい、と笑った。
 悪かったと再度頭を下げた僕にサナギが朝飯食おう、と促した。
 テーブルには二人分の朝食が並んでいる。


 テーブルに着いた僕の視線に気づいたのか、白い陶器を眺めながらサナギが言う。
「これ、親父」
 
 数年前から体を悪くしていた彼の父親は長い闘病生活の末に亡くなったのだという。
 中学生の頃に見た、カバみたいな顔で怒鳴る父親の姿が浮かんだ。
 サナギに母親はいない。兄弟もいなかった。長い間、父親を一人で支えたサナギは一人きりになっていた。

 墓には入れないのか?と聞いた僕を見て「金、ないから」とサナギが言う。

 近いうちに家を売り、どこか別の場所で一人暮らしを始めると話すサナギに僕は「一人暮らし、いいね」とだけ言い、どこに住むかは聞かなかった。

 それから僕らはサナギの父親を挟んで朝食をとり、昨晩出来なかった思い出話をした。

 人に言えないような話や、毎晩夜に抜け出して町を回った話、バイトをクビになった話――。
話すにつれ記憶は鮮明になり、あった!あった!と思い出が次から次に溢れ出した。どうかしてるぐらい馬鹿な思い出を一つ一つ丁寧にテーブルの上に広げ合った。

 そのうちサナギが冷蔵庫から缶ビールを三つ出してきて一つを骨壷の前に置いた。
 僕らは何度も乾杯し、下らない思い出話に涙を流すほど笑い、ゲラゲラと床を転げ回った。
 あの時、テーブルの上でサナギの父親は笑っていただろうか?それとも息子のバカ話を呆れ顔で聞いていただろうか。
 人様に迷惑はかけるな、といつも言っていたサナギの父親が目に浮かぶ。


 サナギの家を出たのは昼過ぎだった。
 玄関先で昔と同じように、またなと手を振るサナギに、僕もまた昔みたいに「またな」と手を振った。

 帰り道、ふと思い立ち少し遠回りしてみる。
 整備されて広くなった公園を抜け国道を超えて、あの頃自転車で駆け回った道を歩くと、蝉の声と照りつける太陽の容赦ない暑さの中で懐かしい潮の香りが微かに鼻をついた。

 
 坂道の途中、すれ違った中学生の集団の中にあの頃の僕らがいた気がして振り返る。


 時間は残酷だ。時間は待ってくれない。
 いつだって前へ進めと追い立てる。

 夜が明けて朝が来る。
 誰もがいつか大人になる。
 サナギはいつか蝶になる。


 夏の坂道を抜けると、もうすぐ海が見えてくる――。










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