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四字熟語のおみくじ

 私の住む町の神社にはちょっと変わったおみくじがあった。
 それは神主さんの手作りのおみくじで四字熟語が書いてある。たいていは「病気平癒」や「七転八起」などの当たり障りのないものだったが、時折「麻婆豆腐」やら「春眠眠眠」だのおかしなものが混ざっている。絶妙なゆるさが人気だった。
 子供は一回50円。皆でおみくじを引きあって、誰が一番笑えるくじを引けるかを競いあって遊んでいた。
 時折それは驚くほど現実を言い当てていることもある。
 不思議で温かい、小さな町の小さな神社だからこその、とても平和な楽しみだった。



 そんな背景があったせいか、私の通っていた小学校ではレクリエーションでこの籤を真似た遊びをすることがあった。
 
「明日は四字熟語籤をします」

 担任の先生が帰りの会で宣言すると、皆がそわそわしはじめる。
 一人一枚、短冊状の紙が配られ、翌日の学級会の時間までに好きな四字熟語を書いてくる。それを先生お手製のおみくじボックスに入れ、皆で一枚ずつ引いていく。たったそれだけの事なのだが、これが思いのほか盛り上がる。
 まず、どんな四字熟語を書き込むかで、真剣に頭を悩ませる。
 難しい漢字の難しい文字を書き込みたがる子もいれば、受けを狙った面白い単語を必死に捻り出す子もいたし、好きな相手の名前を書き、それを運よく意中の人が引き当てれば両想いになれるだなんて噂話もまことしやかに囁かれた。
 だから生徒たちは前日から必死になって考える。
 そして何を書くかを決めたあとは、誰が書いたかバレないように書き込むために何とか筆跡を偽装する。
 わざわざ親に書いて貰う子もいれば、新聞や雑誌の上に紙を重ねて文字をなぞって書く子もいる。いつぞやは、まるで犯行声明文のように雑誌の文字を切り抜いて貼り付けて来た子もいたほどだ。
 前日だけでこれだけ盛り上がるのだから、当日の盛り上がりはなおさらだ。
 くじ引きをする順番は先生がランダムで決めてくる。以前はじゃんけんで決めていたが、あまりにも盛り上がって他のクラスから苦情が来たので、先生が決めることになったのだ。
 先生が名前を読み上げ、呼ばれた子は黒板の前に行きボックスから籤を引く。その場で声を出して読み上げる。
 ここが一番盛り上がる。
 「焼肉定食」と大声で読み上げ笑いを誘うこともあれば、あまりにも漢字が難しすぎて珍妙な読みをする子もいたし、それこそクラスメイトの誰かの名前が書き込まれていた時などは大変だ。
 時折それは悪意を持った、……たとえば、わざわざクラスの外れ者の名前を書き込み嘲笑を誘うものである場合もあり、その時の空気は苦手だった。笑いを堪えながら名前を読む子、名前を呼ばれて俯く子に、クスクス笑いをする生徒たち。おざなりに注意を促す担任の顔は子供から見てもゾッとするような冷ややかさだ。担任の教師は、母親よりも少し年上の女性だったが、あの冷ややかな顔をする時は年齢も性別も抜け落ちるほど、能面のような顔で怖かった。
 それでも大抵の場合は、おみくじのレクリエーションは楽しいだけの時間だった。
 籤を読み上げ、難しい単語は先生がその意味を解説する。
 受け取った籤を見ながら、これは一体、誰が書いたものかと想像する。もしかして、この字を書いたのは、憧れの〇〇君だったりしないだろうか。
 あれこれ思いを馳せながら過ごす時間はとても楽しいものだった。
 楽しさと緊張感。さまざまな四字熟語を知れるこの行事は保護者からの評判も上々だった。
 だからまさか、ただおみくじを引くだけのレクリエーションで、あんな事が起こるなんて誰が想像しただろうか。




 その日、私が籤に書いた四字熟語は「雨過天晴」だった。
 学校でくじのリクリエーションがはじまってから四字熟語に詳しくなっただけでなく、字を綺麗に書けるよう練習をするようになっていた。
 もし、憧れの相手へ自分の籤が渡ったら。
 字が汚いと思われるのは恥ずかしい。でも、もし字が綺麗にかけたなら。「あの子はこんな綺麗な字を書くんだ」なんて、意識して貰えるかも知れないのだ。無論、憧れの相手に籤が渡るかどうかは分からない。でも、彼自身に渡らなくとも、彼の友達が引いたならば。
 「この綺麗な字の子は誰だろう?」だなんて話題にあがるかもしれない。
 分かっている。
 小学生の男の子がそんな事を話題にする可能性は限りなくゼロに近かった。
 それでも私は努力したし、ささやかな目論みや打算も勉強にきっかけには丁度いい。
 出来る限り綺麗な文字でくじを書いてボックスに入れる。
 そうして、皆が籤を引く瞬間を今か今かと待ちわびた。

 私の順番が回って来たのは、クラスの半分ほどがくじを引き終わった頃だった。
 まだ私の書いた籤はボックスの中に残っている。自分で自分の書いた籤を引いてしまったら悲しいな、と、そんなことを考えながらボックスに手を突っ込んだ。
 手探りで紙を選んで引っ張り出す。
 丁寧に二つ折りされた紙をひらいて、私は思わず息を飲み込んだ。

 「……先生、あの」

 恐る恐る声をかけると、先生は少し呆れ顔になる。

 「どうしたの? 漢字が読めなかった?」
 「ええと、その……」

 読めなかったのは確かだったが、その意味は文字から察することが出来る。

 『怨徹骨髄』

 一文字一文字に籠められた思いの深さに気おされる。
 一体、誰かこんな文字を選んだのか。ふざけて書いたにしては笑えない。
 だってこの文字は。この四字熟語は、この学校ではもっと深い意味がある。
 先生に無言で紙を差し出した。受け取った先生は一目見るなり、怒りをあらわに生徒たちに向き直る。

 「誰ですか!? これを書いたのは!!!」

 かざされた籤、そこに書かれた文字を見てクラス中が大きく息を飲み込んだ。
 皆、その文字を知っていた。
 この学校では誰でも知っていることだ。
 数年前、酷い虐めを受けていた生徒が、書初めで提出した文字がそれだった。真っ黒い墨で紙いっぱいに書かれた文字。
 当時、それを受け取った教師は激怒した。
 こんな恨みがましいものを正月早々に書くんじゃない!
 人を恨んで過ごすのは自分自身の弱さのせいだ!
 そう言って激しく罵ったのだと聞いている。
 その生徒は、その日の晩に車に撥ねられて死亡した。車通りの多い国道をふらふらと真夜中に通過してはねられた。
 あれは恐らく自殺に等しいものだった。
 けれど、建て前ではただの事故であったため、学校は生徒たちにおかしな噂を広めてはいけないと指導した。事故にあった子の両親は、自身の子供にほとんど興味を持っていなかったらしいと聞いている。
 だから彼らも車の運転手から金をむしりとった後は、静かに街を出ていった。
 その子の死は、触れてはならない、まるで「汚点」のように扱われた。
 それでも、皆が心のどこかで後ろめたさを感じている。だから、その籤に書かれた四文字は、この学校の関係者にとっては、タブーといえるものなのだ。
  
 「誰ですか! 書いた人、正直に言いなさい!」

 顔を赤くして怒鳴る教師に、大人しく名乗り出れる生徒などいないだろう。
 私自身も驚きのあまり、固まったまますっかり動けなくなっていた。
 確かに悪戯としては笑えない。かといって、そこまで怒鳴ることもないだろう。何故、先生はこんなに怒っているのだろう。怯えたまま先生の顔を見ていれば、ぎょろりっと血走った目が向けられる。

 「あなたなの!?」
 「違います!」

 私は慌てて否定した。

 「わ、私は、雨過天晴って、書きました。まだ出て来てないから、中を調べれば分かります」
 「そう、なら見てみましょう」

 そう言って先生はボックスを引っくりかえすと残る籤を一つ一つ読み上げる。

 「温故知新、これを書いた人、手をあげて」
 「弱肉強食、まったく、もう少し捻った言葉が書けないものかしらね。これは誰?」
 「焼魚定食、下らないにもほどがあるわ。誰が書いたの?」

 それはまるで公開処刑のようだった。
 「誰が書いたかは秘密だって言ったのに」と反抗する生徒には「あなたが犯人なの?」と詰め寄り、異性の名前を書いたために泣き出した女子生徒にも情け容赦なく問い詰める。
 一体全体、何がそんなに先生を追い立てているのだろう。
 ほとんどの生徒は呆気にとられ、先生の勢いにただただ圧倒されていた。
 そうして全ての籤がひらかれた結果、分かったのは犯人がいないということだった。
 籤は生徒の数より一枚多く入っていた。
 それはありえないことだった。だって籤を書く紙は、一人一枚前日の帰りの会で配られる。だから誰かがこっそり二枚入れるなんてことは無理なのだ。

 「一体、どういうことなのよ!」

 苛立った先生が黒板を叩きながら問いかける。でもその問いに答えられる者はいないのだ。
 ただ気まずい沈黙が教室内に満ちている。

 それは、ちょうどそんな時だった。
 皆が黙って、室内が静まりかえっている。
 だから僅かな物音でも、ひどく大きく聞こえたのだ。

 「きゃ」と誰かが悲鳴をあげた。
 ボックスが動く。僅かだが確かに動いている。
 まるで中に何かがいるような。例えばなにか小さな生き物。ネズミか何かが中に入っているように動いている。
 ガサガサと音がし、そしてそれが現れた。
 籤をとるための切り取られた丸い穴。そこから、指先が現れた。
 血のついた指。ひびわれた爪。カリっと爪は段ボールのボックスを引っ掻いて、穴から這い出そうと動いている。

 「やめてッ」

 先生が声をあげて、ボックスを教壇から叩き落とす。
 段ボールは床に転がって、そばにいた生徒たちが慌てて席をたって逃げていく。
 取り出し口が裏になったボックスは、しばらく静かになった後に再びカサカサと動き出した。ぐるりっと小器用にひっくり変えると、今度は指先だけでなく腕がにょきりと生えてくる。
 皮膚は裂け、肘はすっかりおかしな方向に折れ曲がり、尖った骨が見えている。
 腕はその小さな箱から抜け出そうとして、藻掻くように血塗れの手で宙をかく。
 そうして、しばらく藻掻いたあと、抜け出すのは諦めたのかボロボロになった片腕だけでずるりずるりほ這いはじめる。
 折れた腕を伸ばし、爪が剥がれた指先で床をゆっくり這っていく。
 逃げ出したい。
 そう思うのにボックスから目が離せない。
 その腕が目指す先には、蒼白の先生がたっている。

 「やめてやめてやめて、何なんのよ、今さらなんだって言うのよ! 気に入らないことがあるなら面と向かって言えばよかったじゃない! 私は悪くないわよ! 私は悪くない!!!」

 唾を飛ばして怒鳴る先生が怖かった。
 騒ぎを聞きつけて隣のクラスの先生が飛んでくる。だが、隣のクラスの先生がドアを開けるとほぼ同時に、担任の先生は教室から脱兎のごとく逃げ出した。

 「ちょ、ちょっと、田中先生!? おい、どうしたお前ら、何があった?」
 「おみくじボックスが……」

 隣のクラスの担任に問われ、私はボックスを指さした。けれどそれは、すでに何の変哲もないただの箱に戻っている。
 安堵して泣き出す女子生徒と、一気に喋りだす男子たち。
 状況が掴めずに困り顔になる隣クラスの担任に、私はどうしていいか分からずに首を小さく横に振る。
 押し寄せたカオスは、外から響く悲鳴によって唐突に終わることになる。
 校舎の前、校門を出たすぐの場所。そこには見知った人影が、おかしな形になっていた。

 「誰か、大変だ!!! 田中先生が車にッ!!!」
 「救急車、急いで救急車を呼べ!」
 「生徒を窓から遠ざけるんだ。席に座ってカーテンをしめろ!!!!!」

 そんな声が飛び交う中、私もクラスの生徒たちも、ただただ呆然と立ち尽くした。
 一体なにが起ったのか。私たちは頭がいっぱいで、何も分からなくなっていた。




 「ああ、あのおみくじだったら俺が犯人だよ」

 事の真相が分かったのは、それから十年ほどたった同窓会でのことだった。
 犯人を名乗り出たのはクラスでも変わり者だった男子生徒で、当時からずっと何を考えているのだかよく分からない人だった。

 「あれは一体、何だったんだろうか」

 同窓会の二次会でのこと。すでに飲み屋も二件目になり、みながほろ酔い気分になっていた。そんな時に誰かがふと当時のことを言ったのだ。
 答えの出ない筈の問いかけは、あっさりと犯人の自供によって覆されて、皆がしばし黙り込んだ。

 「え、なんであんな事。だって、籤の紙は人数分しかなかっただろ?」
 「まぁそうとも言えるけどね。先生までそう思い込んでくれるとは予想外だったよ。あれは実に単純な話だったんだ。俺はおみくじの日に休んだことがあってね。その時に配られた紙が残っていたんだ。確かに紙は人数分しか配られなかったけど、毎回同じ紙だった。だからね、ひっそり二枚分投函するのはとても簡単なことだった」

 言われてみれば、確かにそれはあまりにも簡単な答えだった。
 長年の疑問が解けて胸はすっきりするものの、拍子抜けした気分は否めない。

 「でも、なんだってあんな事したんだ? 田中先生、大怪我してあれ以来ずっと車椅子生活なんだぞ?」
 「俺がやったのは籤を一枚増やしただけだよ。それ以上でもそれ以下でもない。その後に起きたあの騒動は、まったく予想外の出来事だった。まぁそうだね。期待していなかったと言えば嘘になるけれど、霊能者でもない小学生が出来るような事じゃないだろう? ただ、条件がうまく揃って降霊術のたぐいとして成立してしまったのかもしれないね。あるいは、ただの集団ヒステリーだったのか。でも、それが引き寄せたあの悲劇は、やはり因果関係があったが故のことじゃないかな」

 それは、誰もが何となくわかっていた。
 あの時の担任は悪人ではなかったが、決して善人と言える人ではなかったのだ。
 彼女は教師としてきちんと仕事をこなしていた。けれどそれ以上のことはしなかった。困っている生徒に手を差し伸べることはなかったし、例え、そう、陰湿な虐めが目の前でおこっていても見て見ぬふりをしただろう。
 後から聞いた話だが、書初めの習字で怒鳴られたことはあくまでも最終的な引き金で、そこに至る道のりには様々事件があったのだ。
 そのうちの一つが、校内の目安箱に投函された助けを求める手紙だった。
 当時、目安箱の管理をしていた先生こそ、件の田中先生であり、彼女は面倒ごとを嫌うあまりその手紙を隠匿したそうだ。
 それすらも、ただの噂で事実かどうかは分からない。
 ただ、そう、小さな悪戯が奇妙な形で噛み合って、悲劇的な結果を引き寄せた。

 「あの事件が起こる少し前だけどね、件の神社のおみくじを引きに行ったんだ。そうしたらね、出た言葉は『悪因悪果』だった。その時にピンと来たんだよ」
 「それって、お前自身にも当てはまるんじゃないか? お前が引き起こしたことじゃないか」

 誰かが呆れた顔で言ったけれど、彼は肩をすくめるだけだった。

 「そんな事はないさ。あの時、おみくじの内容を声に出されて言わされながら、皆で思っていただろう? 誰かこの教師に罰をあてて下さい、って。だからね、結局分からないんだよ。あれが、事故死した生徒の呪いなのか、あるいはクラス皆の呪いによるものなのか。まぁいいじゃないか。今は俺たちの悪因が裁かれずに済んだことを喜ぼう。さぁ、……献杯」

 そこにいない筈の誰かへと。彼は盃を差し出した。

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