見出し画像

窓を叩くもの

 「お隣さんには子供なんていないわよ?」
 「え? そうなの?」

 母の言葉に私は困惑して眉をしかめた。
 だって私は何度となく子供の足音を聞いたのだ。
 なのにお隣さんには子供なんていないという。ではあの足音は一体なんだったのだろう。

 話は半年ほど前に遡る。あるいはもっと前かもしれない。
 私たち家族がこのマンションに引っ越してきたのは数年前のことだった。それから、とくに問題もなく暮らしていた。
 そしていつからか、足音に気付いたのだ。
 私たちの住む部屋はマンションの6階にあり、エレベーターから降りた場合だと奥から2番目の部屋だった。
 その中でも私の部屋は一番廊下側にある。玄関を入ってすぐ横のドアを開いた場所で、廊下側に面して窓があるのだ。窓、といっても廊下に面しているためにほとんど開けることはない。防犯のためか曇りガラスになっており、外の様子はなんとなくしか分からない。
 それでも部屋の中にいれば、廊下の気配は伝わるものだ。
 とくに遅い時間に響く音はよく届く。
 しばらくの間、その足音のことは気にも留めなかったのだ。それは私の部屋の前を駆け足で通り過ぎていく足音だった。時間は夜の11時から12時の間くらい。時折、1時を過ぎることもある。少しばかり遅いものの、とくに気にすることはないだろう。
 ただ、ある時から、足音が気になるようになったのだ。
 その理由は、足音が子供のものであったからだ。
 パタパタと駆け抜けていく足音は、大人のものよりもずっと軽い。恐らくは小学生くらいだろう。
 だとすれば事情は少し変わってくる。そんな子供が一人で家に戻るには、時間が遅すぎるのではなかろうか。

 「お隣さんの子供って、夜遅くに一人で戻って来てるけど、あんな時間まで何やってるんだろう」
 
 なんてことない会話だった。
 ある日の朝。ご飯の途中にふと零れだした些細な疑問符。
 それに対する母の答えが、冒頭の言葉だったのだ。

 「でも確かに足音がするんだよ。週に2回くらいだけど。私の部屋の前を通り過ぎるってことは、お隣さんの家に行く以外ないよね」
 「そうねぇ。あとは、階段に行ってるとかかしら」

 なるほど。ありえない話ではないだろう。
 あのくらいの年の子供は、無駄な労力とは別の概念で生きている。例えば、エレベーター脇の非常階段を登って部屋前の廊下を走りぬけ、そうして突き当りの階段から一つ上の階へ向かう。また廊下を走り抜け、今度は非常階段から上の階へ。そんな無駄な行動も、子供だったら楽しんでいる可能性はありそうだ。
 しかし、なんだかやはり腑に落ちない。
 とはいえ私は無理矢理飲み込むことにした。



 事情が少し変わったのは、それから一週間ほどたった頃のことだった。
 今まで走り抜けていくだけだった足音が、窓の前で一度止まるようになったのだ。
 それだけならばまだ良かったが、足音の主は立ち止まると部屋の窓をノックする。数は4回。とんとんとんとんっと速いスピードでノックすると、再び走りさっていく。これは少々問題だった。
 人の意識は、自分には無関係なものを除外する。ある程度の騒音ならば、自分には無関係だと意識から追い出すことが出来るからだ。
 けれど、ノックは別だった。
 それは目覚ましアラームのように明確な意思をもって注意を引くように出来ている。
 疲れて早めに就寝しても窓を叩かれれば目を覚ます。たとえ眠っていなくても、夜中にふいに窓をノックされるのは、あまり愉快なことじゃない。
 母にも相談してみたが、なにせ相手は子供なのだ。
 窓をあけて叱りつけるのは気が引けた。
 それに、あんな時間に子供を一人で外に出すようなご家庭だ。子供を叱りつけたと分かれば親が何を言ってくるか分からない。

 「今度、マンション自治会があるから、そこでちょっと相談してみるわ」
 「うん、そうだね。ありがとう」

 きっとそれが無難な手段であるのだろう。
 私は夜中、たびたびノックの音に脅かされながらも、やはり仕方ないことだと割り切った。

 「ねぇこの間、廊下を走ってきてノックする子がいるって話したじゃない?」

 自治会があったという日の夜、夕ご飯の鍋を運びながら、母はどこか困惑した様子で話はじめた。

 「ああ、あれね。何か分かったの?」
 「それがね、自治会で聞いてみたら、同じようなケースに遭遇しているお宅が何軒かあったのよ。でもね、古株さんが言うにはずっと前から聞く話で、それに3号棟でも同じことがあるっていうの」
 「3号棟でも?」

 私たちの住むマンションは、いくつもの集合住宅が寄り集まった場所にある。似たようなマンションが立ち並ぶその地域は、かつてはマンモス団地などとも言われていた。
 同じ区画に複数のマンションが存在し、それぞれが1号棟から7号棟まで存在する。私たちが住んでいるのは2号棟だ。3号棟とは近いものの、マンションとマンションの間には比較的大きな憩いの場が存在する。
 つまり、あんな深夜に子供が憩いの場を通過して別の棟を駆け回っているのはどうにもおかしな話だった。

 「っていうか、ずっと前からって?」
 「米村さんって分かる? 1階に住んでるお婆ちゃん。ほら、よく共同花壇の脇のベンチに座ってる人。あの人ね、もうここに30年近く住んでるらしいんだけど、住み始めた当初から同じような話があったんですって」

 途端に背筋が寒くなった。
 30年前から続いている足音。ならばそれは子供の足音ではないという事になってしまう。けれど、あの軽い足音はどう聞いても子供のものとしか思えない。

 「定期的に似たようなことをする子供が出る、とか? 学校で流行ってるとか」
 「でもね、米村さんったらおかしなことを言ってたのよ。あれは子供なんかじゃないから見ちゃいけないって。しばらく気付かないふりをしてればいつの間にかいなくなるって。なんだか気持ち悪い話よね」
 「なにそれ。ほとんど怪談じゃん。ここって訳アリ物件だったの?」
 「どうかしらね。少なくともこの部屋は違う筈だけど。マンション自体は分からないわね。かなり古い建物だから、事件の一つや二つあっても不思議じゃないし」

 なんだか嫌だな。
 私が口をへの字に曲げると、母は肩をすくめてみせた。

 「まぁ実害はないんだから、米村さんの言う通りしばらく無視してるのがいいんじゃない?」
 「そうだけどさ。たっぱり不気味だし、そういうのって詳しく知りたくなるじゃん?」
 「あのねぇ、あなたは大学生なんだから勉強するのが本分でしょ? 余計なことばっかりに気をとられてないの」
 「だ~か~ら~。それで勉強してる時にノックされるから気になるんだってば」
 「はいはいそうね。それじゃご飯にしましょう」

 まだ夜になると肌寒く感じる季節だった。温かい鍋はじわりと染みるように美味しかったが、心には不安が蟠る。

 「ああ、そうそう。自治会にほら、アンタと同じ高校の先輩だった、ええと、須藤さん? あの子も来てたわよ。就職してたけど、お母さんが寝たきりになって介護で会社辞めたんですって。彼女は米村さんに随分食い下がって色々聞いてたわね。自分でも調べてみるとか言ってたから、今度会った時にでも話してみたら?」

 それは良い情報だった。
 須藤さんとはマンション入り口で顔をあわせれば必ず挨拶を交わし合うし、マンション以外、たとえばコンビニで会った時などにはお喋りをしながら一緒に帰ることもある。そこそこ仲の良い相手だった。

 「そうだね。聞いてみる。なんか気になるし」

 私は大きく頷くと、再び鍋に箸を伸ばした。



 偶然にも須藤さんと出会えたのは、マンションの近くにある図書館だった。
 レポートの調べ物で訪れたところで出会ったのだ。
 私が早速話し掛け、件の足音について尋ねると、須藤さんは「実は」と切り出した。

 「ちょうどそのことを調べに来てたの。何か事件があったんじゃないかって」
 「事件があったかもって思うほどおかしな事があったの?」

 私の言葉に、須藤さんの表情が暗くなる。

 「うちのお母さんが寝たきりになったのって、あの足音が原因じゃないかって思ってて」
 「嘘!」

 思わず大きな声をあげると周囲の視線が集まった。
 慌てて頭を下げてから、歓談室へ移動する。

 「なにがあったの?」
 「はっきりとした事は分からない。廊下側の部屋をお母さんが使ってて、いつからかおかしな事を言うようになったの」

 須藤さんの話はこうだった。
 廊下側の部屋、つまり私が使っているのと同じ部屋を須藤さんの母親も使っていた。
 最初は夜中に足音がすると言っていたそうだが、お互いにさほど気に留めずに過ごしていた。そのうち、足音の主は窓をノックするようになったのだ。

 「うちのお母さん、正義感が強いって言うか、ああいうのに黙ってられないタイプだから注意してやるんだって意気込んでて。それで多分、窓を開けて待ち構えてて、注意したんじゃないかと思うの」

 ノックをする子供の注意をした。恐らくその日を境に母親の様子はおかしくなっていったそうだ。
 ぼおっと上の空でいる時間が増えた。その時期は真冬だったにも関わらず廊下側の窓を開けっぱなしにして過ごし、夜になると窓の外に向かって話し掛ける。

 「何を話していたのかはよく分からない。部屋に入ると途端にやめてしまったから。でも壁越しにボソボソと話す声が聞こえていたの」

 そのうち母親はふらふらと家の外を出歩くようになった。相変わらず上の空でコートも着ないまま出かけてしまう。マンションの憩いの場のベンチで何時間も座っているなど、おかしな行動が増えていった。
 医者に見せても異常は発見されなかった。認知度のテストも年齢に対して十分な値を出していたのだ。

 「だからすっかりお手上げで。何で外に出たのって聞くと『あの子が遊ぼうって言うから』って答えるの。あの子って誰って聞いても『あの子はあの子よ』って言うし。そうこうしてるうちに階段で足を滑らせて落下して。それで腰を打って動けなくなっちゃったの。
 でもね、それも何だかおかしいんだよ。その日、私は帰宅が遅くなって部屋に戻ったら鍵は開いたままだしお母さんがいなかった。慌てて探しに行ったら階段で倒れてるのを見つけたんだけどね。
 そもそもお母さんは足が弱ってたから階段なんて使ってなかった。それで、手術して目を覚ました時に事情を聞いたら『あの子と遊んでた』って言うの」

 それから須藤さんの母親は半身不随でベッドから動けなくなってしまった。
 当初、須藤さんは母親を廊下側の部屋から移動させようとしたそうだ。だが、当の本人が嫌がった。それも尋常な嫌がりっぷりではなかったそうだ。泣き喚いて、そばにあったものを投げつけ、口汚く罵った。そうまでされては須藤さんも「好きにすればいい」と諦めた。

 「だから未だにお母さんの部屋は廊下側の部屋のままなんだけどね。最近じゃ昼夜問わず誰かに話し掛けてるんだよね。
 もう、私もすっかり訳が分からなくなっちゃって、そんな時にマンションの自治会でノックの話を聞いたからびっくりして」
 「米村のお婆ちゃんに詰め寄ってたって聞いたけど」
 「全然駄目だった。なしのつぶてって感じ。あれの事は気にするな。気にしてることを気付かれるなってそればっかりだった。だから自分で調べてやろうって思ってたんだけど」
 「なにか見つかった?」
 「それが全然。この辺一帯ってマンションが多いからたまに飛び降り自殺とかはあるみたいだけど、飛びぬけておかしいってほどでもないんだよね」
 「そっかぁ」

 小説のように、図書館で調べれば新事実が出て来るなどとはいかないようだ。
 米村さんも何も教えてはくれないだろうし、そうなれば八方ふさがりになってしまう。

 「強いて言えば、この辺ってマンションが建つ前は大きな屠畜場があったみたい。お寺もあって、そこに供養塔があったらしくて、今でも憩いの場あたりに記念碑だけは残ってるらしいけどね。この一帯の再開発が行われたのって40年以上前だから、詳しくは分からないんだよね」
 「お寺ってことは墓地もあったのかもね。そしたら墓地を潰して建てたなんてこともあるのかな」
 「でも全国探してみれば、そういう場所なんて沢山ありそうじゃない?」
 「そうだよね」

 結局、原因らしい原因は見つからないままだった。
 いや、もしかして過去の出来事が原因だったとするならば、理由が分かったとしてもお手上げだ。釈然としない気持ちのまま、私は図書館をあとにした。



 その日の夜はしとしとと雨が降っていた。
 明日の講義は昼からだ。
 だから私は動画サイトを漁っては、興味をひかれたサムネイルをクリックし、漫然と時間を潰していた。
 そろそろ寝ようか。
 時計をみれば、もうじき12時を回るころだ。ブラウザの閉じるボタンを押したところで、私はもはや聞きなれたその足音に気が付いた。

 パタパタパタ。

 軽い靴音。この時間の廊下は靴音は反響してよく通る。
 足音は私の部屋の前で立ち止まる。そして窓をノックする。

 見てやろうか。
 いっそ窓を開けて正体を確かめてしまえばいい。
 幽霊の正体みたり枯れ尾花、なんて言葉もある。こういう怪異の正体は、案外と下らないものであることが多いだろう。本当にただ、子供が悪戯をしているだけかも知れないのだ。

 その時、私はふと違和感に気が付いた。
 まだ、いる。
 窓の外のなにかの気配は、まだその場所から動かない。
 曇りガラスの窓ごしにのんやりとシルエットが見えている。
 それはまるで、私が窓を開けるのを待っているかのようだった。
 ゾワリっと、そこで私ははじめて薄気味悪さを感じ取った。子供ならば、こんな風に待ち構えたりなどはしないだろう。
 曇りガラスを凝視したまま、私は何もできずにかたまった。
 動けない。
 そのことを感じ取ったのだろうか。
 窓の向こうにいるそれが、ゆっくりと近づいてくる。
 そうしてそれは、べたりと顔を窓に押し当てた。
 曇りガラス越しの顔は、まるで解像度を落とした画像のようで、輪郭を朧気にかえている。
 それでも、押し付けられたその顔は、やけに目が離れすぎているように思えたし、額も鼻も人よりも大きく異常だった。
 私は思わず悲鳴をあげかけて、両手で声を抑え込む。
 駄目。駄目だ。見ていることを、それに気付かれては駄目なのだ。
 それは本能から来る警告だ。
 気付かせるな。
 いや、私が、気付かないふりをしなければ。
 何も見ていない。何も見えていない。
 パソコン画面に視線を戻して、再びブラウザを立ち上げる。何でもいい。気を散らせるものならなんだっていい。
 メールを開いて、文字を追いかけても内容はちっとも分からない。それでも、窓から視線を外せれば、なんだって構わなかったのだ。
 やがて気配はゆっくりと窓から離れると、また軽い足音を響かせて去っていく。
 時間にして、数分もなかったかもしれないが、私にとってはまるで数時間かと思うほど、ひどく長い時間だった。



 翌朝、私は須藤さんの家のドアを叩いていた。
 何度かドアフォンを鳴らしても、なかなか出て来なかったのだ。ドアを叩いて、名前を呼んで、ようやく顔を出した彼女はやけに青白い顔だった。

 「……話したくない」

 開口一番の言葉に、私は驚いて目を瞬かせる。

 「まだ何も言ってないじゃん」
 「言わなくても分かる。アレの話でしょ。駄目、話したくない」
 「そうはいかないの。だって、昨日の晩、あいつは窓に貼りついてきたんだよ?」
 「やめてッ!!!!!」

 須藤さんは大声をあげて、廊下を歩いていたサラリーマンが驚いた顔でふり返る。
 
 「もうやめてッ! 米村のお婆ちゃんが正しかったの。気付かないふりをしていれば良かった。気付いたら駄目なの。誰かに話しても、見えていることを勘づかれる。だからもう、この話はしないで!」
 「なにそれ」

 食い下がろうとしたところで、勢いよくドアが閉められる。
 思わずカッとなって声を張り上げようとした所で、穏やかな声が聞こえてきた。

 「あら、今日は早いのねぇ? ええ、そうなの? 新しいお友達ができそうなの? 良かったわねぇ」

 声は家の中から聞こえてくる。
 一歩、二歩とドアから離れれば、ドアのすぐ脇の小さな窓が目に入った。
 この窓だ。私の部屋にも同じ場所に窓があり、あれがその前を通るのだ。
 今、窓は開けられており、中から穏やかな声が響いてくる。
 私がそっとのぞき込むと、介護用ベッドの上で老人がにっこりと笑っていた。ああ、きっと、この人が須藤さんの母親だろう。じっとこちらを見ているようだが、いまいち焦点はあっていない。心が完全に離れてしまっている表情だ。

 「そうなの? いいわねぇ。楽しいわねぇ。遊びましょうね。いっぱいいっぱい遊びましょうね」

 次の瞬間、ふいに老婆と目があった。先ほどまでの穏やかさとは打ってかわり、ぎょろりっと眼球を動かして、まるで怯えた獣のように私の顔を凝視する。
 だが、そのまま数秒もすると、老婆は再び穏やかな顔になり、ゆったりと子守歌を歌い出した。
 ……気持ちが悪い。
 私はそれ以上、なにか追求する気力を失って、須藤さんの家をあとにした。



 須藤さんが亡くなったのは、それから一週間ほど経ったあとのことだった。
 その晩、私は廊下を駆け抜ける靴音を聞いていた。それはいつもの軽やかな靴音ではなく、大人が走って行く少し重い靴音だった。
 須藤さんは慌ただしく廊下を駆け抜け、悲鳴のような笑い声のような奇妙な声をあげていた。
 それはまるで、狂った獣のような声だった。
 彼女はマンションの廊下をめちゃくちゃに駆け回って、最後には屋上にあがって身を投げた。
 噂によれば、彼女は屋上を全速力で走っていき、その勢いのまま宙に飛び出して落下した。
 まるで、誰かに追いかけられていたように。
 普通、自殺をする人は、飛び降りる前にしばし立ち止まるそうだ。
 歩んできた茨道をふり返るように。そこに残る僅かな未練を、最後に少しばかり慈しむように。
 でも彼女は階段を登り切り、その速度のまま飛び降りた。
 とても不可解なことだった。 
 警察は私のところにもやってきた。玄関先で言い争っていたことを、あの時にすれ違ったサラリーマンがきっと告げ口をしたのだろう。
 私はなにも話さなかった。
 何も思い当たらない。
 きっと介護に疲れていたのではなかろうか。
 そんな当たり障りのないことを話して、深夜の靴音には触れなかった。
 米村のお婆ちゃんが正しかった。
 須藤さんは言っていた。きっとそれが唯一の正解なのだろう。



 未だにあの靴音は夜中に部屋の前を走っていく。時折立ち止まって窓を叩き、顔を押し付け覗き込んでくる時もある。
 でも私は、ずっと気付かないふりをする。
 気にするな。気にしていることを気付かれるな。
 そうすればいつの間にかいなくなる。
 あれが先にここに居て、私たちが後からここに来た。
 靴音と、四回のノック。顔を押し付けて覗く気配。
 見えない、感じない、聞こえない。
 心で念じて、境界線を引いていく。
 こっちへ入ってこないでと。
 そう願うしかないだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?