見出し画像

休職日記 #43:それは幽体離脱のような

いつも寝る前に翌朝に投稿する日記に何を書こうかと考える。
休職している日々は、変化のない単調な毎日。
結局、そんな中で日記に書けるようなことは、常に頭の中で蠢いている考え事を吐き出したものになる。
noteの下書きに適当な書き出しなり、キーワードになりそうな単語を書き残しておいて、翌朝、改めてその内容に向き合ってみる。
そのまま、書き進めることもあれば、その下書きは一旦下書きのままで残しておいて、別の内容で新しく日記を書き始めることもある。

考え事をやめるために、音楽を聴いていても、いつの間にか耳から入ってくる旋律はBGMのようになって存在感が薄くなっている。気付けば、頭の中は雑多な考え事でいっぱいになってしまっていて、今ここにいる自分から思考だけが遠いところへ行ってしまう感じがする。
自分の精神だけが幽体離脱していくような、こういう状態を「地に足がついていない」というのだろうな、とか考える。

最近は、今ここにいる自分や、自分の半径数メートルの環境にもっと目を向けて、地に足をつけた感覚を取り戻さなければいけないような気がしている。おそらく、今のこの地に足がついていない状態は、心身にあまりよくない状態だと感じる。
それこそ、運動などをして肉体に負荷をかけて、多少、無理矢理にでも、頭でっかちの状態から抜け出すくらいのことが必要かもしれない。

何かに夢中になる、何かに集中する、ということがなかなか難しくて、日記を書くのすらも前述のように、一旦、睡眠を挟んで書き上げるようなスタイルを取るようになった。
いわゆる「夜に書いた手紙は翌朝読み返すと恥ずかしい」状態になるかどうかというのが割と大きな判断基準になっていて、恥ずかしいと感じるような内容になってくれば、ある意味で翌朝の自分は地に足のついた状態だと言えるのかな?などと考えている。
もちろん、夜に書いた内容が真っ当である可能性もあるが、それならそれで翌朝の自分が綺麗に成形したりして公開すればいいだけなので、問題ない。
とにかく、自分の中で何らかの変化が垣間見えるようになりたい、と思っている。

今のところ、過去の休職日記を読み返してみても、羞恥心を抱くようなことはなくて、至って平坦な心持ちで読むことができる。
今の自分と地続きというか、昨日書いた日記と同じような心持ちで振り返ることができる。
いつかこうした日記にも羞恥心を感じるような時が来たりするのだろうか。
それとも、これも自分の一部だと認めて、メタ的に読めたりする時が来たりするのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?