生きやすくなった方法とFi

生きにくいと感じている皆さんへ。
まず、生きづらいみなさんには自己分析をしてほしい。
そこで、簡単な尺度というかツールとして、MBTIや心理機能を推奨したい。
とっかかりになればなんでもいいのだ。己の気づきになれば。あの可愛いキャラデザインと、16種類という絶妙な区別はなんにせよ使い易い。実際、自己啓発やおっさんのタメになる話を聞いていても、結構MBTIや心理機能などの抽象的概念、共通言語として身近なものに置き換えられると感じることは多い。

自己分析や行動指針を立てる上でMBTIや心理機能を推奨する理由を説明する。
そもそもMBTIのゴールとは、
1. まず自分の性格を客観的な目線で知る。
(特にFiが弱いことが多いNT型には大事な工程だ。客観的に知識として得てからやっと、「確かに、そうなのか、」と知ることもある。)
2.自分と違う人がいることを理解する。どう違うか、比べる。比べながら、より一層自分を理解する。
3. その知識や他者への理解をどこかになんらかの形で転用して価値を出す。 ↑Te丸出し、そんなことしなくても良い

そのとっかかりとなり、特に比較する、という点においてとても有効なツールだと考えている。

ある記事に、第3機能を鍛えると、生きやすくなると書いてあった。とても面白いなと感じた。仕組みはわかっていないが、僕自身とても信憑性があると思う。

僕の場合、最近とても生きやすくなったと感じている原因がある。それは、Fiの獲得だ。違う視点で見れば、ENTPではなく本質的にはINTJだったということなのだと思う。知らんけど。ENTPかもだけど。FiはINTJの第3機能である。Fiは、自分の声を聞き、感情や価値観などを把握する機能である。そしてそれは他人にも該当する。個を尊重する機能だと思う。確かに、自分の感情や価値観がわかってない人間が他人の感情や感性的な部分を理解することなど無理に決まっている。簡単なことなのに、気づかなかった。自分の感情に疎いことも、何を目指しているかわからないから日々不安を感じていたことにもようやく気づいた。そもそもFiがないとFiがないことにも気づかないのだ。

生きにくい、とはなんだろうか。Fiが充足しないことを指しているのか?人に理解されないのが辛いのか?自分に価値がないように思うのか?それは社会に認められたいのか、特定の人になのか?求めている充足のベクトルは精神的充足なのか、物質的充足なのか?成長なのか、過程なのか、結果なのか?人それぞれである。恥ずかしながら自分は、今までは全員自分と同じ尺度、基準で推し測っていた。アホである。愚か。人には人の幸せの感じ方や理想像があり、目指すところがそれぞれあるのだ。それを元に、行動指針を立てるべきだ。たとえ社会の基準や求めているものに適応して成功して金や名声を得ても、それが内なるFiに耳を澄ましたところ、幸せではなかったらなんら価値がないのだ。生きにくいままかもしれない。

僕がみんなに問いたいのは、その事実と、その幸せの基準を自覚しているだろうか?というところである。してないのなら、行動指針も立たないので一生生きづらいままだ。NT型の僕にとってFiの後天的獲得は革命だった。自分と同じか、自分以外か、だった他人への捉え方が、自分とその他の無数の粒として捉えられるようになった。素晴らしいことだ。

みんなにやってほしい工程は、自分の幸せの基準や形を知ることだ。無理に社会に合わせる必要もないと思う。社会は、TeとSiとSeばかり求めている。Neが強みなら、それを活かせるクリエイティブな特定の仕事につくしかないのだ。そう理解して、そこに邁進するか、諦めて社会に適合する別の道を目指すか。いずれにせよ、理解したことによって行動指針が立つのだ。腰がおもいN型にとって行動指針が立つことは前進だろう。

僕がFiをどう獲得したかは、長くなってしまうのだが、職場のINFPを観察して持ち前のNiで閃いて獲得した。先日記事にしたのでそっちを見てほしい。

今後の記事では、「Tiを持っている人に向けて」と、「後天的に手にいれられる心理機能が第三機能の人に向けて」展開していこうと思う。

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