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『部品メーカー残酷物語』第十二話 99right

第十二話「セールス実習 その2『営業所のチビヤクザとゴリラ』」

 私が配属されたのはその県内に十社ほどある〇〇自動車の販売店のさらにその本社営業所だった。大きなマンションの一階が広い展示室になっていて常時三台の展示車両が並べられていた。この系列の販売店は〇〇自動車の中でも最も廉価な価格帯のファミリーカーをメインに扱っていたが、同時に最高級スポーツカーの販売店でもあった。
 出社当日、早起きして電車を乗り継ぎ午前八時前に営業所に辿り着いた。通された会議室には、この日から同じこの系列販売店の各営業所でセールス実習を開始する〇〇自動車の新入社員がすでに数名集まっていた。その後、軽く三十分ほど説明を受けたら全員が配属先の営業所所員に連れられて会議室を出て行った。

「竜胆さん?」
 ここでも唯一の女性だった私は、すぐに気付いてもらえたらしい。
「はい」
 振り向くとそこに牛乳瓶の底のような分厚いレンズの黒縁眼鏡を掛けた黒髪の女性が立っていた。この方もセールスに出るのだろうかと思ったが、実際は営業部の庶務担当の女性だということだった。

 瓶底眼鏡の彼女に連れて来られたのは、ビルの一階で展示室の隣のセールス部門のオフィスだった。
 出迎えてくださったのは営業所所長でしゃがれ声のチビヤクザと、副所長のゴリラだった。他の営業マン達はまだ出勤していなかった。
 営業マンの最も重要な仕事の一つ、契約のクロージングの多くは夜に顧客の自宅で行われることがほとんどだった。そのため営業マンの朝は始まりが遅いらしい。
 営業所所長は、身長160センチくらいで歳はおそらく五十はとうに超えているであろう面立ちに、角刈りで銀縁眼鏡。左腕には肉厚の高級腕時計。小柄の体躯に銀色メタリックのストライプ柄で肩がちょっと張ったスーツが良く似合う。これで顔に刀傷でもあればそのまんまヤクザだ。
 打って変わって副所長は背が高く体格の良いスポーツマンタイプで一見するとゴリラによく似ていた。後で聞いた話だが副所長は滅多に出社せずに毎日自宅から直接顧客回りをしているのだそうだ。その甲斐あってか受注台数は副所長が常にトップだった。
 この日副所長は、セールス実習生である私の初出勤日だったので珍しく早朝から出勤してくれたらしい。

「おー 君が竜胆君か! 話は聞いとるぞ」
 チビヤクザの所長が声を掛けてくれたので、私は小走りで彼のデスクに近寄った。どんな話を聞かされているのかかなり不安ではあるが……。
「竜胆聡子です! 今日からお世話になります。よろしくお願いします」
 私はそう言って深く頭を下げた。こんな素人に三ヶ月もお付き合いいただけるなんて申し訳なくて正直感謝しかない。
「ええと、君には特別に外回りをやってもらうように言付かっているよ。女性は初めてだけれど、まあ面白いんじゃないかな」
「え!? そうなんですか?」
 そもそも外回りをやるものだと思っていたのでそこは驚かなかったが、女子では初めてというのは初耳だった。
「ああ、女の子のセールス実習生ってのはメーカーさんでも聞いたことないからなぁ」
「ええええええ!」
 この場合「メーカー」とは〇〇自動車株式会社、本体のことである。自動車販売会社の方々は皆同様に〇〇自動車のことを「メーカー」もしくは「本体(ほんたい)」と呼んだ。
「うーん。初めてのケースなんでうちの女の子達と一緒で、外回りは無しで営業所にいてもらおうと思ったんだけど、君の会社の意向で外回りになったんだよ」
「……所長、そこは……」
 とそう副所長が割り込んだ。つまり、私の会社(この場合は人事部)の意向で私に外回りをさせることを、私本人には知らせないことになっていたらしい。
「ああぁそうだった、そうだった。まあまあ、もう少ししたら後堂(ごどう)君が来るから、仕事は彼に聞いてくれ」
「アッはい。ありがとうございます」
 何故かフツフツと沸いてくる複雑な感情を胸に、続けて私は副所長のゴリラにも挨拶した。

「今日からよろしくお願いします」
「まあそう言うことらしいので頑張ってね。後はそのハイヒールはやめた方がいいかな。一日中歩くからね」
「あ……はい。分かりました」
 副所長が軽くそうアドバイスしてくれた理由は次の日にわかることになる。

 さてここで当時の自動車販売会社の営業部門のオフィスについて書いておきたい。
 部屋は結構広く高等学校の教室が二クラス分くらいで、入り口から入るとすぐに部屋の左奥の壁側中央に座る所長と目が合うように机が配置されている。その左側が副所長の席で、何故か副所長の隣には彼専用の秘書の席がある。一番奥の角には二つ机が並べてあり、そこが庶務の女性二人の席だ。そして残りのスペースに机が一列に八つ置かれていて、座ると所長と向かい合う。ここが各営業マンの机である。今思えば、正直この配置は本当に嫌だった。
 営業マン達の後の壁の上、模造紙を何枚も貼り合わせて作られた大きな紙が販売成績の表である。積み上げ式の縦長棒グラフになっていて、一台売れるごとに車名・グレード・値引き金額が書かれた紙を貼っていくようになっている。
 販売店は自動車の任意保険の代理店でもあったので保険の販売実績も書かれている。また車検、定期点検の受注もセールスマンの成績になるのでそれらを記入するスペースもあったように記憶している。
 この表を見ると誰が一番自動車を沢山売っているか、一目瞭然である。
 ダントツなのは副所長のゴリラである。単純に他の営業マンの三倍は売っている。驚くのは表の高さが足り無いので、副所長の部分だけ他の営業マンの三倍のスペースがあらかじめ取られていることだ。副所長にだけ専用の秘書がいるのも納得である。これだけの数の自動車を売れば、書類を作ったり車検場や納車に行くのも一人では大変だ。
 なんとこの表の一番最後には、付け足したように私のスペースも作られていた。もちろん販売台数はゼロだ。

 この営業所に勤める平の営業マンの数は明確に覚えていないが、記憶が確かならば男性営業マンが6名、外回りをしない女性の営業ウーマンが2名だった。

「ヨォ」
 ポンと肩を叩かれて振り向くと、相撲取りのような大柄な男性が立っていた。
「後堂っす。よろしく」
 ボソボソと話す彼が、さっき所長から案内された後堂さんらしいが、あまりにも聞き取りづらい声で話すので、こう言う喋り方でも営業マンが務まるのだなと正直思った。

「行こうか?」
「……はい? どちらへ」
「いいから、いいから」
「じゃあカバン持っていきます」
「いらない、いらない」
「あ…… はい! お供します!」
 どこに行くのか全くわからないが、チビヤクザもゴリラも引き止める様子は無いので、どうやらこの後堂さんについて行けば良いらしい。

 (続く)

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