君は孤独に生きることができるか【何スゴ哲学:ベンヤミン】
はじめに:批評の孤独さ
ベンヤミンは思想家であり、哲学者であり、翻訳家であり、そして何より批評家だった。
「何スゴ哲学」と銘打っておいて「ベンヤミンは何よりも批評家だった」だなんて、さっそくおかしいと思われるかもしれませんが、これは何らおかしなことではありません。
ベンヤミンは多くの社会批評や文芸批評を書いてきました。一方で彼の理論を体系的に記した哲学書はない、と言ってもいいと思います。(もちろん批評と思想は分かち難く結びついているものではありますが、)そのことがベンヤミンの思想の統一的な理解を非常にわかりにくくしています。
しかしながら、ある意味ではその「批評性」がベンヤミン哲学の本質なのです。批評とはいったい何でしょうか。そんなことわざわざ人に説かれるまでもないとあなたは言うかもしれませんが、少し考えてみましょう。
批評とは、(テクストに限らず)註釈をつけることと言い換えることができるのではないでしょうか。この注釈についてベンヤミンは「ブレヒトの詩への註釈」の冒頭でこう述べています。
肯定的な偏見、それこそが注釈であり、ひいては批評です。この偏見という言葉は通常マイナスな意味で使われる言葉ですが、ベンヤミンを考える上では極めて重要です。偏見には客観性はありません、極めて私的なものです。そして肯定的に論じられる対象が一般的に否定的に見られているものであれば、その批評の私性、言い換えれば孤独さはとてつもないものでしょう。
この批評の孤独さ、これこそがベンヤミンの思想の核心であり、この視座からベンヤミンの著作や人生が読み解くことができるのです。
そうであるならば、私もここでベンヤミンの思想を、評価としてではなく、批評として論じたいと思います。これこそが何スゴ哲学の試みです。
対象の選定
さてこれからベンヤミンについて論じていこうと思いますが、はじめに主として論じるテクストを選定しておきたいと思います。
これはあくまで批評ですから対象の選定はあくまで任意のものです。しかしそこには必然性がないわけではありません。
僕はベンヤミンを論じる上で最も良いテクストは『パサージュ論』だと考えています。『パサージュ論』とは19世紀に誕生した近代の商業アーケードであるパリのパサージュについて論じた論考であり、ベンヤミンは1920年代後半から彼の死まで断続的に書き続けていました。
『パサージュ論』を論じる必然性は2つあります。
第一にフランクフルト学派、とくにアドルノの議論との距離を論じるのに最適だからです。
ベンヤミンは通常フランクフルト学派の思想家として理解されています。それはもちろん正しい。フランクフルト学派とはフランクフルト大学と提携した独立の研究機関である社会研究所に集まったユダヤ系の知識人たちのことです。ベンヤミンも社会研究所から奨学金をもらいつつ、機関誌である『社会研究誌』に寄稿しました。またしばしばベンヤミンはマルクス主義的な思想家としても論じられるが、これはフランクフルト学派全体の特徴でもあります。こういう意味でベンヤミンは間違いなくフランクフルト学派の思想家であるのは間違いないでしょう。
しかしそこには距離があることも間違いないです。というよりも実態としては、アドルノをはじめベンヤミンの議論がフランクフルト学派に大きな影響を与えたけれど、同時にフランクフルト学派はベンヤミンの議論から重要な要素を削ってしまったということなのです。
そういう意味で、フランクフルト学派の主要人物であるアドルノとベンヤミンが共に論じた産業文化を論じている『パサージュ論』を扱うのはベンヤミンを論じる上で適切でしょう。
第二に『パサージュ論』はベンヤミンの他の著作への参照性が高いからです。
『パサージュ論』ではパサージュに限らず、関係する同時代の産業文化や歴史、思想家や作家を含めたそこに生きた人々についても同時に論じている、文庫本にして500ページ前後のものが5冊にのぼる膨大な論考です。またスタイルとしてもフランス語版とドイツ語版の2つの概要と膨大な引用と註釈からなる覚書からなっており、それ単体ではベンヤミンの考えは読み取りづらいということもあり、他の著作を参照することは必至です。
そのためベンヤミンの文芸批評や社会批評など多くの著作への参照性が高く、ベンヤミンの全体性を理解するためにも『パサージュ論』は適切な題材なのです。
以上の理由から、『パサージュ論』をベンヤミンの他の著作を参照しつつ読み解き、フランクフルト学派との距離を見定めながら、ベンヤミンの独自性、ベンヤミン哲学の何がスゴイのかを論じていきます。
パサージュの夢
パサージュとは百貨店の前身であり、ガラスの天井のある商店街です。大量生産された色とりどりの商品が山と並び、天井から漏れるガラス越しの陽の光が、ガラスのショーウィンドウに乱反射して煌めく。日が暮れるとガス灯が灯り、幻想的な雰囲気を醸し出し、道ゆく人々はあれやこれやと商品に目移りさせながら目的もなくぶらぶらする。パサージュとは商品の場であり、それは同時に幻想の創造される神話の最前線だったのです。ベンヤミンの分析の大部分はこの点に捧げられています。
ベンヤミンは「宗教としての資本主義」という作品を記して、(ヴェーバーの『プロ倫』で宗教が単にその条件付けとなっているというレベル以上に)資本主義が宗教的な現象であることを論じています。パサージュをはじめとして万国博覧会、広告、流行(モード)などについて論じている箇所について、概要からいくつか引用してみましょう。
万国博覧会では最新の技術を使用した品々が並べ立てられる。グランヴィルの描く絵や広告では、なんでもないような商品が、なんだかとても魅力的に描かれる。そうしたものを見せられる環境に日常的に浸っていると、人々は次第にその商品の必要性という使用価値を二次的な価値に退けて、それを購入して保有していること、つまりは交換価値が最重要となって、その商品それ自体がある種の性的魅力を帯びた礼拝対象になってしまいます。そして流行(モード)が、こういう階級の人にはこういう服装がシックだ、という形でささやき、その物神としての商品をどう礼拝するかを規定する、そうベンヤミンは言うのです。
つまるところ、資本主義社会においては、人々は流行や広告という外的なメッセージを通して、商品それ自体を欲望させられてしまうのです。
しかしこうした時代を最も特徴づけているのは人々が持つ「新しさ」、もっと言えば「進歩論」という夢です。どんどん新しいものが出てきて、どんどん良くなっていくという集団的な夢を19世紀の人々はみているのだ。
こうして根本的には「新しさ」という集団的な夢を人々が見続けていることで、モードや広告が生み出され、それから人々はそれに規定されて行動するようになるのである。
不能者としての遊歩者・ボードレールと新しい天使
前章で述べた通り人々は集団的な夢を見ながら、広告や流行などの文化産業のメッセージによって同化・組織化されている。
しかし単純に飲み込まれるだけではない人々もいた。それが遊歩者(フラヌール)であり、その代表がボードレールです。彼らは憂鬱と倦怠を抱えながらパサージュを、パリの街をほんの気散じにぶらぶら歩きます。彼らの目に映じるパリの街は、集団的夢に浸りきった人々のものとは隔絶しています。彼らは絶えず新たな流行が生まれるファッションに昔の貴婦人の服装との類似を見てとり、凱旋門をはじめとする移り変わる街並みや建築物に廃墟と化した古代ローマの影を見ます。
資本主義が栄華を極める煌びやかな街並みが、死の影を帯びた、過去の廃墟と彼らの眼には映るのです。彼らは根源の歴史を見つめる、新しい天使の眼を持っていたのでした。ここがベンヤミンの歴史観と繋がってきます。
ベンヤミンの歴史観、それは死を迎えるその時まで大切に抱えていた「歴史の概念について」という論文に顕著に表れています。
ベンヤミンにとって歴史とは進歩するものではなく、静止したものだった。人々は日々新しく素晴らしくなるという夢を見て、その静止した時間に瓦礫をうず高く積み上げて行く、新しい天使はただ瓦礫が積み上がる破局を眼差し続けるほかないのです。
こうして遊歩者たちは新しい天使の眼で、近代の夢が廃墟に過ぎないことを見てとります。それが近代資本主義を無効化するエネルギーを持ち得るはずでした。例えば彼らの眼差しは産業文化の与えるセックス・アピールを帯びた商品の礼拝的価値を無効化します。
ボードレールの眼に映るパリの街の煌びやかにショーウィンドウに並べ立てられた商品は、集団的な夢が崩れ去る認識をした後では、悲しみを帯びた被造物となり、砕けたアレゴリーとなります。彼はそれらに感情移入を禁じ得ませんでした。その代表が娼婦への感情移入です。
彼もまた商品や娼婦を礼拝します、しかしそれは性的魅力を帯びたものとしてはなく死んだものとして、アレゴリーとしてのものです。ベンヤミンは述べます。
ボードレールのフェティシズムに性的なところは何もない。外的イメージによってムラムラと沸き上げられた性的なものとは何の関係もなしに、死んだアレゴリーとし、彼独自の憂鬱な世界観から崇拝するのです。そういう意味ではベンヤミンはボードレールを不能だというのです。
しかしベンヤミンは手放しでボードレールを褒めているわけではありません。彼はボードレールの英雄的性向を非難します。
ボードレールは近代に破局を見たあと、それならばと自らが英雄的に「新しいもの」を、芸術のための芸術を打ち立てようとし、彼の天分だったアレゴリーを、新しい天使の眼を自ら廃棄してしまった。これは結局のところ、進歩という近代の夢の中に飲み込まれてしまった形となてしまっているのです。
ベンヤミンとフランクフルト学派
ベンヤミンの近代産業文化批判はひとまずここまでにしておきましょう。ところで、こうしたベンヤミンの近代産業文化批判だけを取り上げてみると、フランクフルト学派の代表的な人物であるアドルノとホルクハイマーの共著であり、金字塔とも言うべき作品である『啓蒙の弁証法』の議論と驚くほど近接していることがわかります。
では『啓蒙の弁証法』ではどのような議論がなされているのでしょうか。簡単に紹介します。
まずこの書物で目的としていたことは、近代ドイツという文明化された社会から、ファシズムという文明の反対物である野蛮が生まれてしまったのはどうしてなのかを解き明かすことでした。この書物ではカントやニーチェといった思想家やサドやオデュッセイアといった文学、映画という産業文化、反ユダヤ主義など広範なテーマについて論じていますが、ここではひとまずそれらの議論の基礎となる、一章の「啓蒙の概念」の内容を確認しましょう。
「啓蒙の概念」は2つの命題に要約されます。それは「すで神話が啓蒙である」と「啓蒙は神話へ退化する」です。一体どう言うことでしょうか。そもそも人間にとって自然現象は理解不可能なものでした。しかしそれでは生活を営んでいく上でとても困ったことになります。そこでひとまず自然現象を理解可能なものにした説明が神話なのです。そう言う意味では神話とはすでに啓蒙なのです。
そして凝り固まってしまった魔術的な神話を批判することで登場した啓蒙もまた、神話同様に物事を抽象化=概念化することで理解可能な形にするものでした。それが絶対的な理性として受け取られるようになると、訂正不可能な教条として物象化して、概念からはみ出る人々を押しつぶすようになってしまいます。こうして啓蒙は野蛮な神話へと退化するのです。
このアドルノ=ホルクハイマーの議論は、ベンヤミンの議論とかなりの程度類似しています。扱っている内容や細かな語彙の違いこそあれ、外的なものが人々を押しつぶすというモチーフ、そして新しいものが登場しても過去のものが繰り返されるという循環的な時間意識はそっくりです。もともとベンヤミンはアドルノやホルクハイマーに『パサージュ論』のテクストを見せており、かつ『啓蒙の弁証法』がベンヤミンの死後に発表されたものであることを考えると、単に同じ学派だから類似して問題意識を抱いていたと言うよりはベンヤミンの議論がホルクハイマーやアドルノに大きな影響を与えたと考えるべきでしょう。
しかし両者には大きな隔たりもあります。それはベンヤミンとアドルノの『パサージュ論』についてのやりとりを見ても明らかでしょう。アドルノはベンヤミンの『パサージュ論』には不満も持っており、そうした要素は綺麗さっぱり『啓蒙の弁証法』では削られています。
ではアドルノは『パサージュ論』のどこに不満を持っていたのでしょう。三島憲一さんは次のようにアドルノの批判の要点を論じています。
このアドルノの指摘は至極もっともだ、学術的な厳密性やマルクス的な唯物論の観点からすれば「夢」など持ち出すべきではないのかもしれない。そして実際「夢」を持ち出さずに『啓蒙の弁証法』をはじめとしてアドルノはうまくやってのけた。
しかしアドルノのたどり着いた結論といえば絶えず理性がよるべなく自己批判し続けるという否定弁証法という道だ。近代を根本まで破壊し尽くすしかないのである。
ベンヤミンが目指すことはそこではない。彼は破局の時代に内在する救いを求めているのである。だからこそいくらアドルノから批判されても、批評家の天分で、救いの鍵となると信じた夢を手放さなかった。この章の最後に再び「歴史の概念について」を引用してみましょう。
ベンヤミンが目指すことは、近代資本主義の破局から、商品や人々を内在的な救いを見出すことなのです。
新しい天使の救済
まだ、パサージュには救いがあるのでしょうか。人々は夢から醒めることが出来るのでしょうか。たしかにボードレールは一つの希望ではありました。しかし結局のところ英雄的に別の「新しいもの」をもとめ、進歩論の夢の中へと落ち込んでいきました。
そもそも夢から醒めるとはどういうことでしょう。ベンヤミンは言います。
覚醒とは単に目が醒めていることではありません。そもそも目覚めている意識自体が、胡蝶の夢なのかもしれません。ボードレールの英雄的目覚めはまた一つの夢なのでした。真の意味での覚醒は夢の意識と目覚めの意識の止揚されたもの、つまり目覚めの意識でバラバラになった夢の意識を、バラバラのままパッチワークとして持ち続ける意識に他なりません。
ここで重要になるのが、バラバラな夢の再構成は決して全面化しない、ということです。覚醒によって再構成された夢は、覚醒したものだけのものです。醒めたる夢を想起して心地良くなるのは彼一人であり、それは誰一人として理解することのない内面的な、孤独なものです。
あれだけ人々を集団的な夢へと沈みこまさであのパサージュは、実のところ同時に覚醒へと向かう孤独な内面性を生み出す契機でもありました。ベンヤミンはこんなことを書いています。
ガラスの天井に守られたパサージュは外であると同時に内でもあります。パサージュによって、遊歩者にとってパリの街は家となる。ショーウィンドウの商品は家具になり、パサージュは住み慣れた室内です。そしてそんなパリの街で、ボードレールとは別の仕方で商品を救おうとした人々も確かに存在しました。それが、蒐集家です。
蒐集家もまた、資本主義の大量生産とともに生まれてきた存在です。はじめのうちは商品の広告や流行の生み出すフェティッシュな魅力に魅せられて購入するにすぎない一介の大衆が、次第に自分だけの趣味を、自分だけの孤独な価値を見出していく。それが蒐集家なのです。
そんな蒐集家たちは産業文化の与える商品の物神性とは関係なしに、また有用性とも関係なしに、彼らの価値で所有します。そして所有することで商品を救い出すのです。
ここで重要になるのは蒐集家が、ボードレールのように英雄的な性向は一切持たず、あくまで個人的であるというところです。彼らが蒐集するのは、全面的な価値観に基づくものではなく、誰からも理解されないであろう彼だけの孤独な価値観に基づいてなのです。
そしてこうした蒐集家のあり方は、同時に冒頭に述べた批評家のあり方でもあります。ベンヤミンはその時代に軽んじられている対象、バロック悲劇やパサージュを取り扱い、さまざまなテクストを引用して、そこに注釈をつけます。世間的な価値からは自由に、自分だけの価値で積極的な意義を見出します。当然、それは理解されず、アカデミックな世界からは爪弾きにされ、死の間際までずっと孤独に批評をし続けました。『パサージュ論』とはそういう意味では彼の生き方そのものです。
集団的な夢と、ボードレール的英雄性の緊張の中で、決して他者との繋がりのない自分だけの孤独な価値が、星座が生まれます。その瞬間彼は進歩論の時間意識から抜け出し、静止した思考が生まれる。バラバラになったアレゴリーの夢を見続けながら、誰にも理解されることのない孤独な価値で世界に積極的な意味をもたらす。それが批評家であり、ヴァルター・ベンヤミンなのです。
ファシズムとの闘い
しかしながら、いったいなぜ蒐集すること、自分だけの世界を持つことが救済になるのでしょうか。この点は分かりにくいことかと思います。
これについては、ベンヤミンが青年時代にはドイツ青年運動に参加し、また政治的な暴力の是非を論じる「暴力批判論」を記すなど、極めて政治的な人間であり、また他のフランクフルト学派の思想家たちと同様に迫り来るファシズムを批判しているという点から理解することができます。
しかしこの観点については、パサージュ論で直接的に言及されることはありませんでした。だからここではファシズムの危機について直接言及した「複製技術の時代における芸術作品」を参照していきましょう。
しかしなぜ「複製技術」論文なのでしょうか。『パサージュ論』との関わりでの位置付けを確認しておきましょう。ベンヤミンはホルクハイマーに宛てた手紙の中で「複製技術」論文の意図について次のように述べています。
つまるところ、『パサージュ論』はあくまで19世紀の事象についての歴史的記述であり、「複製技術」論文はその延長としてのファシズム時代の芸術の運命を描いているのです。
ファシズムへの言及見る前に、ざっと「複製技術」論文の論旨を確認しておきましょう。この論文ではカメラなどの複製技術が芸術作品に与えた影響を考察するのが主題となっています。
芸術作品のそもそもの始まりは宗教的な儀式に用いられるものでした。この点は教会の壁画やステンドグラスなどを想像してもらうとわかりやすいかと思います。宗教的な起源を持つ芸術作品は、真正なものとして、いま-ここという一回的なアウラを帯びています。それは絵がカンバスに描かれるようになっても、書き写しなどの原始的な複製技術があっても、複製はあくまで偽作として考えられる以上、その礼拝的価値は覆らない。しかしカメラの誕生によってほぼ完全な複製ができるようになると、もはや本物と複製の区別がなくなることでアウラが凋落していきます。そこで芸術作品の展示的価値が誕生します。では展示的価値とは何でしょう。それはどう展示するか、もっというとどのように編集するかという点に芸術のあり方が見出されるということです。こうして複製技術の高度化によって、根本的に芸術に対する捉え方が生まれるのです。
しかしながら、展示的価値に礼拝的価値が完全に破れ去ったわけではありません。芸術のための芸術が叫ばれるようになり、芸術作品のそれ自体での価値を、魔術的に浸透させます。そうしたときファシズムが力を持ち出します。
ファシズムは政治を美学化します。例えば「偉大なゲルマン精神」や「美しい国」などという耳触りの良いメッセージによって。大衆は広告や流行に対して同化し慣れている大衆は、自ら進んでこうしたプロパガンダに同化し、自ら進んでそれを叫び、組織化されます。実のところファシズムは、高度化した産業文化の延長線上にあるのです。
ベンヤミンはファシズムの政治の美学化には、芸術の政治化でもって応えるしかないと言います。この芸術の政治化について、もちろん政治の美学化の根元にある礼拝的価値に対抗する展示的価値に関わるものだとは思われますが、「複製技術」論文では明確な定義を与えられていません。推察するとするとき足掛かりとなるのは、ベンヤミンがなぜアジェやザンダーの写真を高く評価しているのか、という点でしょう。
多木浩二さんはこんなことを論じています。
この理解は非常に重要です。ある種のアジェやザンダーの写真、シュルレアリストたちの文学、あるいはデュシャンの作品群などの芸術は現状の大多数が持つ夢を打ち破り、それ自体の裸の現実を提示する。そしてこれはあくまで芸術の作者の観点から論じられたものである以上、同時に受容者である大衆のことも見ておくべきでしょう。こうした芸術によって、広告や流行、プロパガンダによって作られる集団的夢が、神話から覚醒すると、人々は事物に対してそれぞれがバラバラに孤独な自分だけの意味を見出して向き合うことができるようになります。こうした事態こそが芸術の政治化という事態なのではないでしょうか?
そうであるならば、一部の人間ではなく、大衆全体の一人ひとりが資本主義の与える夢が破局であることを認識し、そこに各々が自分だけの意味を重ねること、星座的配置を作り出すことは、ファシズムという怪物に対抗するための現実的な救済になるのです。
最後に:ベンヤミンの生涯と現代
ベンヤミンは徹底的に孤独な批評家だった。
ベンヤミンは生活の糧を得るためにバロック期の悲劇を論じた『ドイツ悲劇の根源』をフランクフルト大学哲学部美学科に教授資格申請論文として提出するも、否定的に評価され、撤回を余儀なくされた。ユダヤ系が教授職になりづらいという時代背景があったとはいえ、1931年に同部門でアドルノが教授資格を得ていることを考えてもそれだけが理由ではないはずだ。むしろ教授資格が得られず、アカデミックな世界から排除された根本には、その議論の難解さに加え、誰もが否定的に評価していたバロック悲劇を彼独自の視点で肯定してみせるという批評性が、客観的な評価を旨とするアカデミズムから否認されたと言えるのではないか。
その後もベンヤミンは批評を書き続けた。社会研究所からのわずかな奨学金と『社会研究誌』への掲載料で糊口をしのぎながら。
やがてドイツではファシズムが広がり、パリへと逃れた。そのパリにもナチスドイツの侵攻が迫りつつある中で、ベンヤミンは『パサージュ論』を書き続けた。フランクフルト学派の仲間たちからも真にはされずに、市内の国立図書館に一人通いつめ、まるで救い出すかのように膨大な書籍から膨大に引用して再構成をしながら。そしてファシズムを生み出したものを眼差しながら。
そしてついにパリが陥落する直前に、アメリカに亡命するためにピレネー山脈を越えるも、スペインに入国を拒否され、山中で彼はモルヒネを大量に服用して自殺したと考えられている。
今彼の墓はポルトボウにある、ポルトボウでは集団墓地に遺体が埋葬される。彼は多くの人々と共に無名存在として、眠っている。
ベンヤミンは決して英雄的な人物ではなかった。そんなことは決して望まなかった。彼はテクストを引用し、批評し、彼の星座的配置を作りだした。それこそが事物を救済し、ファシズムに対抗する希望であった。彼は徹底的に抵抗し続けたが、破れ去った。
私たちはどうでしょうか。ベンヤミンの分析が正しければ、ファシズムは決して過ぎ去ったものではありません。むしろ資本主義はますます高度化しており、現在進行形に危機が迫っているように私には思えます。
例えば俗な話、SNS上で私たちは芸能人なども含めた広義のインフルエンサーたちの影響を受けながら生活してます。オススメの映画を見たり、オススメの化粧品を使ったり、オススメの服を着たり、オススメの店でランチしたり、オススメの本を読んだり…。あるいは自分自身がインフルエンサーになろうと志し、他者に影響力を振りかざすようになるかもしれません。しかしそうして人々が同化することに慣らされていくと、後々はより大きな美学が人々を破局へと導くかもしれません。私たちは日々誰かから流されてくるメッセージを、それに従うことで導かれる破局を認識しつつ、従うにせよ反発するにせよ、自分自身の文脈にアレンジメントして対応するという孤独な営みをしなければならないのです。
私たちはベンヤミンのように孤独に生きることができるでしょうか。これは誰か英雄的な人物ができればいいという話ではありません。大衆の一人ひとりが孤独になること、自分だけどの世界認識をもつこと、ここに世界の命運がかかっているのです。
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