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その日は雪が降っていた。

2話

「連絡事項は以上だ!一時間目は女子はプールだぞ、男子はマラソンだから遅れるなよ〜」
「はあー?! 笹部センセ鬼かよ、この暑いのに?!」
「暑いのは俺も一緒だろー、ほら行った行った!」
笹部のやたらに腹に響く声と、クラスメイトの不満の声をBGMにしながらプールバッグを手に取る。
ホームルームが終わるなり、隣のアンティークドールガールはあっという間に人だかりに呑まれた。
意外にも人だかりの山はほぼ女子ばかりで、男子は遠巻きにして素知らぬ振りをしているが、聞き耳を立てているのは丸わかりだ。
あまりに美しいものが目の前に現れると、解り易く怖気付くものである。
しかしながら、当の本人は次々に投げかけられる質問にまったく答える様子もなく、かといって戸惑って、怖気づいた様子でもなかった。
不思議そうに周囲を見渡して、薄い青の瞳をゆっくりと細めて唇を弛める。
何故か直感的に彼女が笑っていないことだけは理解出来た。
けれどそれだけだ。別に彼女がこっちを見下していようが何だろうが、あたしにとってはどうでもいい。
それよりもこの人だかり邪魔すぎる。内心、舌打ちしながら更衣室へ向かおうとした時だった。
「ねえ。あなた待って」
「うお、」
青白くて、まるで陶器のティースプーンみたいに細い指があたしのプールバッグを掴んだ。
少しつんのめって、立ち止まり、肩越しに振り返ると、そのアンティークドールは花びらみたいな唇をほころばせて、微笑む。
「わたし、あなたがいいな。連れていって」
鈴の鳴るような声にどうしてか、抗えなかった。
「……更衣室、こっち」
あたしはぶっきらぼうに呟いて、驚いて固まる女子の群れを抜けながら、吉良の指をプールバッグからそっと振りほどいた。
授業前の少しざわつくリノリウムの廊下を足早に歩きながら、そこトイレ、あっち保健室、と適当に案内だけしてやった。
吉良は数歩遅れて歩きながら、何故か手ぶらでにこにこしている。
プール前にある更衣室は未だ朝の九時前だというのに既に灼熱の太陽に照らされ、じめっとした生ぬるい空気と埃っぽい空気を漂わせていた。
転校生ショックのせいか、他にクラスメイトはおらず、あたしはさっさと奥側のロッカーを陣取り、手早く着替え始める。
「ロッカー好きなとこ使えばいいよ、今日は見学だろうけど次は入るでしょ」
アイドルの早着替えさながらに、とっとと着替えたあたしは更衣室の外で待っていた吉良に声をかけた。
見学でも体操服に着替えるのがうちの学校ルールだ。今日は無いにしても、伝えておかなくてはと思った。
あたしに声をかけられて、彼女は相変わらずにこにこしながらああ、とおもむろにあたしに背中を向けてシャツの裾へ手を伸ばした。
「わたしこれがあるから、みんなと着替えること、きっとないわ」
スルッと持ち上がったシャツの下から、青白い陶器のような肌とそれは見事な和彫りの蓮の花が視界に飛び込んできた。
色は入っていなかったから、筋彫り?というのだろうか。
驚くほど精巧な刺青が彼女のか細い背中から腰にかけて彫られていた。
「……えっ、え、ええっ?」
「あら、見せたらいけなかったんだわ。内緒よ、萩原さん」
白々しい科白を吐いて、悪戯っぽく吉良は微笑む。ティースプーンみたいに細い指先を花びらみたいな唇に添えてしー、と。
遠くからきゃいきゃい騒がしい女子の声が聞こえてきたと同時に蓮の花はシャツの下へ隠れていった。
呆気に取られて固まるあたしに近づいて、吉良はうっとりするほど綺麗な声でそっと囁いてきた。
「ねえ、下の名前教えて」
首筋が粟立つのを感じる。さっきの男子たちを笑える立場になんてあたしはなかった。
近くで見ても毛穴ひとつ見つからない肌に、マッチ棒3本くらい乗りそうな睫毛。ここまで嘘みたいに綺麗だと逆に怖い。
「わたし、あなたが好きになっちゃった」
「………は、あ?」
意味が解らなすぎて、変な声が出た。
すき、好き、スキとは? 友愛的なもの?それが唐突に今伝える話?刺青を誤魔化す為の発言?
などなど、固まったままの頭に様々な憶測が飛び交う中、謎発言をした本人はにこにこしながら、あたしの頬を華奢な両手で壊れ物でも触るかのように包み込む。
柔らかな感触のあとにチュッ、と小さなリップ音がして、頬にキスされたことを知る。
「あっ瀬那、今日も早すぎ!」
「ねーぇ、誰かヘアゴムとクシ貸してー!」
きゃあきゃあ騒がしいクラスメイト達が更衣室へ入っていき、あたしはやっと様々な感情が遅れてやってきて、わなわなと震えていた。やっと絞り出せたのは一言。
「な…な…なんっなのあんた!!!」
「瀬那ちゃんって言うのねえ。わたしのことはアンジュって呼んでね」
「話聞いてんの?!どういうこと?!」
「えっさすがに唇は両想いになってからじゃないと悪いと思って」
「そういうことじゃない!!!」
我ながらコントじゃなかろうかという馬鹿みたいな会話のあと、吉良改めアンジュは麗しのかんばせをこれでもかと輝かせて、こう宣ったのである。
「わたし、瀬那ちゃんのこと性的に愛してるわ」


そしてちょうどその発言のタイミングでほかのクラスメイトたちが更衣室から現れて、その場は文字通り凍った。
「……え? 吉良さんって、レズなの?」
沈黙を破ったのは、ゴシップ大好きな早川でその眼差しにはもはや好奇心しか宿っていなかった。
その問いを皮切りにクラスメイトたちの悲喜こもごもな悲鳴と授業開始のチャイムが鳴り響き、それは同時にあたしの穏やかな日々の終了のお知らせでもあった。


1話  https://note.com/96nek0/n/n223b795bb544

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