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私の痛みに200万の値がついた

恋愛の話です。
境界性パーソナリティー障害の話が出てくるので当事者の方や人の感情に敏感な方は避けてくださいね。今は違うけれど、私は境界性人格障害(当時の呼び方)の人は全て敵だと思ってた……(ごめんなさい)



かなり昔の20代半ば?のお話。

彼は自信満々で社交的で人当たりも良くいい人。知人もいっぱいいたし、両親との関係も良好。

しかし、交際している途中で人格障害(境界性か反社会性?)疑惑があった。


・間接的で気付きにくい束縛
ほぼ毎日彼と会っていた中で、友人との久々の遊ぶ約束をしていた。楽しみだった。
その直前も彼と会っていて、突然私の目の前で「もう生きてられへん」と自転車で線路に入った。その踏切は早いペースで電車が来る。
私は死ぬ気だと思い、無理やり線路から連れて出した。
カンカンカンの音が鳴っていた。

結果→心配すぎて友人との約束をキャンセル。彼の計画通り。


・私を離さないために周りから固めていく
当時、父は末期ガンだった。うちの両親には結婚を前提に1度紹介しただけ。
(外面が良いのでとても気に入られていた)
入院している父に私に連絡なく突然会いに行っていた。
どうして部屋番号を知っているのか?看護師に聞いたのか?家族だと嘘をついたのか?
共通の競馬の話で盛り上がって、仕事中の私の店に来て、「お父さんに会ってきたよ」と。
とても怖かった。

親子の仲があまり良くなく、私でさえ滅多にお見舞いに行っていないのに。

結果→両親に評価大。彼の計画通り。


それ以外にも私を思い通りに間接的にコントロールするために、死ぬ死ぬ詐欺を何回もされたし、男同士で暴力沙汰もあった。車にわざと当たる「当たり屋」としていた。かつあげされそうになって、相手をボコボコ(殺しているかも)にしたり、包丁を持ち出していたり。高校生の頃には悪い友人たちと、つるんで車で喧嘩相手をひいた(多分殺している)話をされた。
彼の住む実家に頻繁に遊びに行っていたんですが、ある時リビングの扉のガラスが割れていて。
父親(39歳)が怒って殴ったそう。ちなみに18の時の子供。

私はいくつも離れるタイミングを逃してしまっていた。
彼は私に直接暴力を振るうことは全くなかったし、命令をすることもなかった。
ただ、間接的に私に、自分自身で判断させることでコントロールしていた。

そうしてタイミングを逃しまくっていた馬鹿な私は、彼の転勤に合わせてフルタイムの仕事を辞め、籍を入れる寸前までいった。
寿退社として、送別会をしてもらい大きな花束や食器までもらって。親しい同僚は泣いてくれた。
みんな「おめでとう」と。私も泣いた。

引越しにはやはり父のことが心配で。
仲は良くなくてもやはり父親。何かあって駆けつけるには新幹線を使っても3時間かかる。
結婚についてあまりにもトントン拍子に話がすすむ。
これが良いことなのか、悪いことなのか自分でも不思議に思っていたのを思い出す。

先に彼は転勤先に住み、私はしばらく実家と転勤先を往復する日々を送っていた。
夜勤があったり、サービス業ですごく忙しく帰宅は朝の4時が多かった(出勤は昼くらい)
私は知り合いがゼロの田舎ですることがなかった。当時はネット回線もなくガラケーの時代。

先ほど、暴力はないと書いたのですが、一度だけありました。私が自分の所有物になろうとした安心感からか、ある日、首を絞められかけました。
その時に「ビビってるやーん(超笑顔)」と。
詳しくはないけど、サイコパス感。
すごく純粋な笑顔でした。

あるとき、
私「保険や年金の手続きもあるしいつ入籍する?」
誤魔化す彼。もう一度同じことを私は言う。

彼の表情が一変し、キッチンにある包丁を持って走ってお風呂場に行った。
すぐに追いかけ、ドアを開けると首に包丁を当てていました。

どうしよう!自殺される!
私が追い詰めたからだ!
私が…!私が……!私のせいだ!!
どうしたらいい?救急車?いや違う!

必死で止めて、その後泣かれ入籍の話は保留に。
お風呂場でもみ合って、私が履いていたハイソックスはぐしょぐしょになった。
その気持ち悪い不快な感触は、10年以上経った今も鮮明です。

半分以上気付いていました。
こうした行動はただの死ぬ死ぬ詐欺だと。
180センチの彼を私が止められるわけがないです。

付き合ってる頃から不審に思っていましたが、1%でも死ぬ確率があるならば全力で全力で私は止めたかった。
絶対に後悔だけはしたくなかった。
年齢を重ねたらパーソナリティー障害は良くなることが多いと知っていたので、一緒に向き合おうと思っていた。
とても甘い考えだった。


次に彼の家に行った時に違和感を感じた。
車の中に女物の傘。バイトの子を送って行ったらしい。
特に不審ではなかったが、私の第六感ははたらいた。
数日後、自宅に携帯を忘れていった彼。
浮気の証拠をつかもうと、私はダメなことをした。
メールをみた。

ビンゴだった。
確実に浮気していました。
それもバイトの大学生と。後に想像するにわざと私が携帯を見るように仕向けたんだと思う。

私は怪しい証拠となるメールを全て自分の携帯に転送しました。
信じていた彼の浮気にショックを受けつつも私はただの機械と化して大量の証拠メールをひたすらひたすら転送した。それくらいメールをしていた。
この時点で精神的にボロボロ。
数々のお試し行為にも疲れ果てていた。
元々の予定もあったので、私は3時間かけて実家に帰宅した。

そして、私は浮気相手の大学生にメールをしました。
「突然メールをして驚かせてすみません。〇〇の彼女です。結婚をするつもりでそちらに住むことになっています。それなので〇〇とは付き合わないでください」
という内容のもっと低姿勢な丁寧なメールを。

返事は待っても来なかった。

その間も彼とは普通にメールをしていました。
浮気を掴んだことは内緒にして。

近く、彼が私が住む地元に一時帰宅することになった。
携帯の名義が彼名義だったので、私名義にしたくて、そのためにしぶしぶ会った。
私はこの時、ひどいうつ状態で数年ぶりに精神科に行き、ご飯が食べられず内科では点滴をしてもらっていた。
そんな状態だったので、道で立っているだけで限界で座り込んでしまった。
そうしたら、今までに見たことのない冷酷な顔で「恥ずかしいから立って」と。
この記憶もはっきり覚えています。どの道でどのあたりか。

私から切り出す
「もう無理やろ?別れよう?」
「よくもあんなことをしてくれたよなぁ?向こう(浮気相手)が死んだらどうするつもりなん?弁護士に相談してるから」
「私を訴えるつもりなん?」
ニヤニヤしながら
「さぁ~??」

地元で付き合っていた時と立場も態度も一変していた。それまでは私が主導権を握っていた。
その日でやっとお別れ。
一度付き合った人なので未練はあった。
怖い気持ち、愛情、色んな言葉にできない感情が渦巻いていました。


終わったと思いきや、私はまだ苦しめられます。


それから、1ヶ月も経たないうちに彼のmixiの日記に「たまごクラブ」の画像が意味深にアップされた。
そして、それから1ヶ月半後の日記で「入籍しました」とだけ。

共通の友人、知人(かなりいました)は当然私と入籍したものだと思い込み、私の元におめでとうのコメントが来た。
私じゃない………!!

実際に会った時に「結婚おめでとうございます」と言った知人もいた。
その人は悪くない。知らないんだもの。私や彼の1,2ヶ月前の近況を日記に載せていたのだから。
私はコメントをくれた人、直接言葉をくれた人にその度に訂正をして謝っていた。

どれほどのダメージか。
彼の目論見通りですね。
また、直接的に自分の手は汚さずに私を傷つけた。
どうせなら殴ればいいのに。殺せばいいのに。
私から別れを切り出したのが許せなかったようです。

メールで彼に「結婚相手は私じゃないと日記で訂正して」と伝えたがしてくれず。

私と別れて1ヶ月半で妊娠発覚って、入籍、ってどうなん?と今でも思います。
しかも相手はまだ学生で年下。

mixiや間接的に知るのですが、子供も無事に生まれ、仕事でも成功。
かなり昇格もして幸せそうです。中身は知らないけれど。


私のうつ病は見事に再発した。

私は地元にいるべきではない人間。
結婚しているはずの人間。
元職場の人に会ったらなんて言えばいいのだろう?


引越し費用、電化製品代などのお金30万は返って来なかった。
後に、私は弁護士の無料相談に行った。

メールという証拠もあるし、役所で子供の戸籍謄本も取れる(戸籍謄本ではなかったかもです)
婚約不履行と精神的苦痛で200万は取れると言われた。
(しかし私は過去に精神科に通院歴があることを黙っていたので話は違うかも知れない)
ただ、これからかかる弁護士費用(新幹線などの往復交通費も何度か)や、精神的な負担がかなりかかるのを考えると、裁判はせずに治療に専念して少しでも早く黒蜜さんが働けるようになる方がいいと思う。と。
確かに元気になって仕事復帰して、150万ほど稼げば早いし最善かもしれない。

結局、引越し費用は何度も催促をしたら振り込まれ、メールでは彼から慰謝料も払うと言われた。
(一度も振り込まれなかったけどな!)
所詮、口だけ男。


それから、しばらくは友人と思っていた人や知人に相談やら、話を振られたんですが、「辛かったね」と共感してくれる人は少なく、
「付き合ってる時に気づかんかったん?愛で目が眩んだ?」
「よくある話やな」

「一発命中か!(妊娠について)」
「自分がしたことは自分に返ってくるからな」←過去に違う交際相手の公認で浮気しても大丈夫な決め事をして私が浮気していた
などなど。

・私は浮気され婚約者がいなくなる
・共通の友人知人におめでとうと言われ、訂正させ謝らせられる
・後からの心無い言葉の暴力

浮気を一次被害とするならば、三次被害まであった。
どれもが辛かった。

被害者ぶっているが、気付くタイミングはいつでもあった。
私はひたすらに馬鹿だった。
別れてからも、殺してやりたいくらい憎んだ。
家に火をつけようかとも思った。
私から、健康も仕事も奪った。地元に居場所もなくなった。

どれかを実行しようとしても、失敗して私の家族に報復されるのが怖かった。
家族を守りたかった。母と父と。
あいつなら、あいつなら、やりかねない。
結局、私は何もできなかった。無能だ。

少し前に我慢できずネットで検索したら、若くして支配人になっているとのこと。
あいつは私より何歳か年下だ。


胸くそ悪い話を聞かせてしまってすみません。
過去のブログを読みながらまとめて整理したかったんです。

後日談。
私はうつ病になり辞職してから3ヶ月後に失業保険をきっちりもらった。
とても助かった。
そして、少しずつ回復していき通院はしているもののフルタイムで働けるようになった。

………………………前の会社に。

これなら、会社の人にコソコソしなくても済む。
堂々と地元を歩ける。
最初はあれこれ色んな人に好奇心で聞かれるだろう。上司に「出戻りか!」とも言われた。だけど最初だけ。


私は意外と強かった。


そのお金で美味しいアイスでも買ってください♡ ……と、ずっと書いていたんですが、サポートしていただけたら嬉しいです。書くエネルギーになります。そして私の心が潤います。