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「世代間ギャップ」はなぜ起こり、どう対応するかの考察

実は僕、「世代間ギャップ」と言われて、あまり感じたことないんですよね。みなさまはいかがでしょうか? ジェネレーション・ギャップなどとも言いますが、わかり合えない価値観や壁みたいなものを感じることをさします。

自分も若者だったわけですが、そのときに上の世代の人に対して「うわ〜、なんかギャップあるな」と思ったこともなければ、今はジジイになりましたけれど、若者たちに対して「世代間ギャップあるな〜!」と感じたことがあまりないんですよね。

今でも僕はMonkeyFlipというメガネのブランドをやっていて、そこで働いてくれているスタッフたちには20代前半の子もいるわけです。アルバイトの女の子は10代もいるんですけれど。そこで「世代間ギャップ」と言い表せれるものを感じたことはあまりないんです。

もちろん話が合わないことはあります。だって同じ世代のとき、僕が若いころに読んでいた漫画や、流行っていた曲や映画、そういうものは共有できないですので。今の子たちは、今の子たちの流行りがあって、それで話題をつむいでいくので、話のズレはもちろんあります

上の世代にも、言われてわからないことはありますよね。例えばサッカーのワールドカップの話題。上の世代は「サッカーって言ったら釜本だろう」みたいなこと言われてね。僕は「ドーハの悲劇」の世代ですから。ゴン中山や三浦カズです。

今の若い子たちだと、堂安選手、浅野選手、三苫選手とか。そういった選手の名前がでてくると思うんですよ。なので、当然話題は合わないということはあります。

あと、環境も合わないことはありますよね。Z世代はデジタルネイティブじゃないですか。生まれたときからネットがあって、なんだったら物心ついたころにスマホを持っています。「スマホは体の一部です」みたいな形でガジェットと親しんでいますよね。

今のZ世代の子たちと、一緒に仕事をしながら話したのですが、使っているガジェットやアプリを見ると、なぜそれがおもしろいのか僕はわからない。なぜそれをするのかわからない、ということはあります。でも、これは世代間ギャップではないと思うんですよ。これはただ単に、環境の違いだと僕は思っています。

ここで心理学的な話です。人の性格が何でつくられるかというと、要素として3つあります。1つめは「気質」ですね。生まれてきた瞬間に決まっていて、それは死ぬまで変わらないという「気質」。これは僕や、あるいは宮城音弥先生という方がおっしゃっている学説です。ほかの論というのはいろいろありますが、僕は数ある論の中でこれを支持しています。

そのまわりに「三つ子の魂百まで」と言われているものがあります。大体3歳ぐらいのときに養育者、多くの場合は母親から、どのように育てられたかによって決まる性格があります。あまりこれいい話じゃないですけれど、ネグレクトや虐待されるとか、そういった育てられ方をすると、ふつうに育てられるよりは心に重みがかかり、心が曲がってしまう可能性が高くなりますよ、というのがこの「三つ子の魂百まで」です。

次が「環境」です。どこでどのように育ったかという環境。これは3歳をこえても、年齢に問わず関係してくる話です。違いはこれによるんですよね。わかりやすいのが、国の違いです。今の日本で育っているのと、中国、あるいはアメリカ、北朝鮮などで育っているのと、各々の性格が変わって見えることはあると思います。

僕のように商売人の家で育った人間と、公務員しかいないところで育った人間と、都会で育った人間、自然豊かなところで育った人間、その環境がつくる性格の違いみたいなものはありますよね。

もっというと生まれ順もありますね。長男・長女で生まれているその環境と、1人っ子や末っ子、その環境はやはり異なります。「世代間ギャップ」というのは、僕はこれだと思っています。生まれて育ってきた環境。その環境が違うので、当然考え方は違ってあたりまえというような感じです。これを「ギャップ」ととらえるのはどうなのかな? というのが正直なところなんです。

今の論でいうと環境が違う、帰国子女みたいな方がいるとしましょう。日本人のご両親のもとに生まれたけれど、アメリカで20歳まで過ごして、そこから日本にやってきた。帰ってきたわけじゃないですよね。彼や彼女にしてみれば、向こうで生まれて向こうの生活をずっと続けていたので、「日本にやってきた」という感覚があると思うんです。やはり考え方にギャップがありますよね。

考え方の違いはあると思うんですよ。そのときにそれは「ギャップ」と言っていいんでしょうか? ということです。「アメリカで育っていれば、そういう考え方になってもしょうがないですね」と。「我々日本なので、こういう考え方なんですよ」という対話でわかりあえるものだと思います。

一番いけないのは「世代間ギャップ」というこの言葉ですよね。「ギャップなんだ」と定義されてしまうと「ギャップか。ならわからなくて当然だよ、ギャップだもん」と思ってしまう。ここに一番の落とし穴がありますよね。

育ってきた環境が違うから。何かの歌みたいですけれどね。考え方の違いは生まれているけれど、人としては何も変わりません。その奥にある性格や性質、人としての大事なものを見ていくことによって、この「世代間ギャップ」という言葉はなくなるのではないかな、と僕はそう思っています。

そう思って、上の方とも下の子たちとも付き合っているというところです。ですから、年が下の子でもリスペクトすべき子はリスペクトしますし、年が上でも「なんだよ、こいつ」と思えば「なんだよ、こいつ」という態度をとってしまう。

年上にしていいこととか悪いこととか、そういう倫理的な問題はあるとしても、心の中ではそう思ってしまう。それは世代で見ているのではなくて、その人を見ているんだ。そんな風な考えが素敵だなと僕は思います。

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