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落下する日々。

昨日のこと。

昨日はnote日記が書けなかった。朝からぼおっとしていて、ひな型の出来上がっている「ダイエット日記」しか書くことができず、ほとんど1日中、だらだらと過ごした。


午前。

だから今日こそは書くぞ、という気持ちで、起きたんだけどさあ。なんだかやる気になれないんだよね。ほとんど無意識に体重測定をしてダイエット日記を書いた。

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そのまま次の記事を書かないと、もう二度と書くことができないような気がした。だからダイエット日記を書いたときの勢いをなるべく殺さないように注意しながら、つづいて、メインブログに載せるための記事を執筆した。

あまり長い記事は書けそうになかったので、導入したばかりの「関連コンテンツユニット」の話を書こう、とあらかじめ書いておいたアウトラインを見ながら、なんとか書き上げることができた。

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繰り返し。

まったくの余談だけど、上のリンクを貼るためにブログの管理画面を開くと、本日更新したもので「400記事」を達成していたらしい。

ぼくは「400回」も記事を積み上げてきたんだなあ。

これをオジャンにしてしまうのはもったいない。しんどいときは「いっそのこと……」なんて自暴自棄になりがちだけど、辞めてしまうことだけは、何としても避けよう。いくら稼いだかより、どれだけ繰り返してきたかのほうが大事だ。


お昼。

もやもやとかストレスを食べることでしか発散できないのは、ぼくの最も悪いところのひとるだろう。幼いころからイジメを受けていて、子どものころも、成人した今も、ほとんどひとりぼっちでいたからか、どう遊び、どうストレスを発散すればいいのか、分からないんだ。

摂食障害と呼べるほどひどいのかはさておき、ぼくにはどうやらその気があるらしい。もやもやしているときや、ストレスを感じているとき、しんどいときほど、自己破壊的な食欲に駆られる。

「お腹が破裂するまで食べたい」

「吐くまで食べたい」

これを自己破壊的な食欲と言わずに、なんと呼べばいいだろう。

糖質制限をすることで、糖質の持つ蠱惑的なまでの中毒性から、少しは離れることができたように思う。でも、ふとコップから水が溢れるようにしんどくなったとき、ぼくは「糖質」のことを思い出さずにはいられないんだ。


落下する日々。

昼食は「お金を払うから」と言って母を連れ、近所の回転寿司店へ行った。ダイエット日記を書いている手前、後ろめたい気持ちもあるが、その瞬間には、それを大きく上回る快感を目の前にしているからか、罪悪感はほとんどかき消されてしまっている。

底のない落とし穴を延々と落下していくような虚しさを感じるのは、いつも食べ終わったあとなんだ。

糖質をとると、すぐに吸収されて肝臓や筋肉でいくらか消費される。肝臓でも筋肉でも使われなかった糖質の多くは、中性脂肪となり脂肪細胞に取り込まれる。

糖質を中性脂肪にしないためにできることは、食後すぐに運動をすることだ。吸収されてエネルギーとなった糖質が、脂肪になる前に、消費すればいい。

帰り道、母に遠回りして行こうと言って、少し長めに歩くことしかできなかった。


帰宅後。

帰宅すると、そのままベッドに倒れ込んで、何をするでもなく、ぼおっとしていた。

一秒ごとに胸が重くなっていくのを感じながら、それでも動けなかった。


矛盾。

昨日と今日は具合が悪かった。

でも心が苦しくてしんどいという感じではない。体内で作られるやる気や元気が、作られるやいなや吸い取られていくような感じだ。ちょっとめずらしい。

心は関係がなく、ただ体がだるいのかもしれない。

人と喋りたいなあ。どこぞの国の研究では、人間は1日に30分くらい喋らないと満足できなくて、うつになりやすくなることが分かったらしい。ぼくは1日に1秒たりとも喋れないこともあるから、この条件を満たしていない。だから「うつ」なのだ、とは思わないけど、人と喋るのに恐怖を感じてしまうぼくでも、人と喋りたいと思うんだよ。

「人が怖くて関わり合いたくないのに喋りたいとか、矛盾してんじゃん」

なんて言われちゃうかもしれないけどさ。

あなたが本当の孤独を知ったら、ぼくの気持ちが分かるよ。きっと。


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