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ここではないどこかへ #note09

旅行は好きだが、着くのが嫌いだ。

アルベルト・アインシュタイン先生の遺した名言が好きなのだが、
中でもこの言葉に首がもげるのではないかと思うほど頷いた時期がある。

見知らぬ土地への期待と高揚感を荷物と一緒にパッキングして、
まだかかるなあ。なんて言いながらあと1時間、あと30分、もう次の駅、と到着地へたどり着くのを心待ちにする。
この瞬間が大好きだった。

でも実際について見てしまうと、国内は特に言葉も普通に通じるし、ちょっと景色がいつもと違うだけで「同じ世界の延長線上だなあ」と感じてしまうのが悲しいところだ。
まるで夢から覚めたみたいな感覚である。

かといって旅行が嫌いかと言われればそんなことは全くなく、むしろ何も予定を立てずにふらりと知らぬ土地を歩き回る一人旅が大好きだ。

現地に着いては目覚めてしまう私の旅を楽しいものにしてくれるのは、何と言っても「人」だ。

観光スポットとしてガイドブックに載るようなお高いレストランや、観光ツアーなどに参加して要点だけ抑えるような旅には興味がないのである。
現地の人がちょっと多めに地元を歩き回るかのように数日間を過ごすような旅が好きなのだ。

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【京都 錦市場】2014年5月ごろ撮影

そんな私の旅のプランはだいたい宿泊は素泊まり、デジタル一眼とリュック1つでガイドブックは買ったこともない。
ゲストハウスで知り合った旅の方や、オーナーさんにこの辺の居酒屋おすすめないですか?なんて聞いて回って、時間さえ合えば初めて出会った同じ宿の宿泊者や現地の人とカウンターに並ぶ。

国内だろうと国外だろうと割と同じ旅のスタイルで、有名なものを観に行くというよりは、そこに生きる人々の生活を踏襲したいんだと思う。
そうやって一時だけでも自分の中にない人生に思いを馳せ、別の誰かになってみる。
旅先で名乗る名前が本名でなくてもいいし、あだ名だって良いのは嬉しい。

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【オーストリア ハルシュタット】2015年4月頃

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【多分ベルリンあたり】2015年8月頃

それがこのご時世では旅になんて出られないのだからとても悲しい。
定期的に旅に出ることによって淀んだ肺の空気を入れ替えて生き延びてきたというのに、近頃は鉛のような心苦しさを抱え続けたまま日々を暮らしていて発狂しそうだ。

東京の土地の空気はもう吸いたくない。
一都三県は仕事の商談の記憶ばかり思い返してしまいどこへ行っても憂鬱だ。常に数字が付きまとってくる。

早く元の世界に戻って欲しい、なんて様々な人々が努力している中で気軽に口にしようとも思わないが、少しだけでも、遠方の土地の景色を人を、香りを感じられるものはないだろうか。

私は遠くの土地と人とのつながりに飢えている。
利害関係もなく、敵意を向ける必要もない穏やかな人間関係はどこにあるのだろうか。どうしたら得られるのだろうか。

そんなことばかり考えながら明日を生き延びる方法を探し続けている。
遠くの世界に、巡った先の四季に思いを馳せながら。