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「辻 仁成(1959-)」氏によるサム・ペキンパー監督『わらの犬』(1971)評

愛のカタチを極めるビデオBEST100』(1991年/自由国民社)からの引用。


《_映画のエッセイの仕事が舞い込んだ。長年の友情が取り持つ、断るに断れない依頼だった。友人の編集者は「バイオレンスとエロスでひとつ、よろしく!」と言った。_仕方なく僕は原稿用紙に向かって目を閉じ、過去に見たその手の映画達を思い浮かべていった。数多くの映画が、僕の脳裏をかすめていく。『スカーフェイス』『ミーンストリート』『タクシードライバー』『カサノバ』etc。気がつくと、僕は長い時間、椅子にもたれて追憶の映画旅行にでてしまっていたのだ。どの映画達も、僕の思春期に暴力と性の衝撃を与えてくれた作品ばかりだった。_なぜ人間は暴力と性が好きなのだろう。普段大人しく見える人でさえ、心の奥底には、この最も人間的といえる本能が隠れ潜んでいるのだ。それを否定することは誰にもできない。もしそれを否定するのなら、およそ自分が人間であることを否定するようなものだからである。_『わらの犬』は、僕の中に眠っていたそんな人間性を最初に開花させた映画だった。おそらく、映画館で、生まれて初めて見たその映画の迫力は二〇年たった今でも、僕の脳裏に強く焼きついて残っている。_僕は当時、十一才だった。まだ小学生だった。北海道の帯広という町に、父親の仕事の関係で住んでいた。あの年齢で見るには、殺戮シーンもレイプシーンも、かなり常識を逸脱した内容だったはずだ。ダスティン・ホフマン扮する平和主義者の青年がいつか暴力に引き込まれ、その打ちふるえるような魅惑に身をまかせてゆく姿を描いた作品だったが、中でもレイプシーンは、少年だった僕の心の基準を大きくはみ出す衝撃だった。_アメリカはあの頃、ベトナム戦争にどっぷりとつかりきっていて、反戦と主戦とに激しく揺れていた。あの映画の登場は、そのアメリカ人達の内面の告白であったと取ってもおかしくはないだろう。二〇年たった今、アメリカは、三度、中東を体験した。_十一才だった僕は、今や三一才になり、あの頃芽生えた暴力的、性的自我といまだに戦い続けている。おそらくこの問題は、アメリカの未来とも似て、人間が人間であろうとする限り続くジレンマなのだと思う。サム・ペキンパーはこの映画のなかで、未来に何を託そうとしたのだろう。》


暴力への陶酔】と言うと思い出すのが、漫画家のつげ義春(1937-)氏の文章に、仕事も無く赤面症?対人恐怖症?で鬱屈を抱えていた若い頃のつげ氏がある暑い夏の日の昼に歩いていると、浮浪者が自分に対して執拗に吠えてくる野良犬にブチギレて滅多打ちにする場面に遭遇し、浮浪者に感情移入して「恍惚として白昼夢のようだった」と書いていた。何かの単行本の前書き。


◆『わらの犬』(1971/英+米/Straw Dogs)に関するリンク集


日本Amazonのカスタマーレビュー ※便乗すると、私の評価は◯秀作です


オリジナル予告篇


海外の評価

米国Amazonのカスタマーレビュー


VHSビデオのジャケット写真

https://www.buyuru.com/item_1066159_1.html


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