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デジタルハリウッドで変わった私の人生

この記事は「デジタルハリウッドで変わった私の人生」に参加しています。


・子育てと仕事の両立からママクラスとの出会い

出産を機にライフステージが変化する。
私の場合は、双子出産で想定外の子育て連発。
子どもの就学相談から、発達支援の可能性。
小学校入学したらどうなるんだろう…という不安。
夜な夜なネットサーフィンしていたら、「子育てしながら仕事もしたい!」の文字に惹かれて、デジタルハリウッドSTUDIO渋谷の説明を聞きに行ったのがスタートでした。説明から1週間ほど家計状況も含めて悩んだ後、一歩踏み出してみることになりました。

・もがき苦しみリスキリングの試行錯誤

最初のうちは、Adobe Photoshop、Illustratorなど、学生時代に少し触ったことのあるソフトだったこともあり、比較的課題なども(なんとか)進めていました。いよいよweb制作のコースに入り、きめ細かなプログラムを一つずつクリアしつつも、つまずきの連続だったと思います。幸い近くにデジタルハリウッドSTUIDO御茶ノ水(現:デジタルハリウッド東京本校)のSTUDIOもあり、土日に通うことも多くなりました。

子育てを少し離れて学べる喜びと、思うように作品ができないもどかしさの狭間でもがいていた記憶があります。転職して新たなスキルセットを身に着けたいという焦りもあったかな。保育園の送迎時間もあり、固定した場所で決められた時間に勤務するという働き方が難しくなってきた時期でもありました。

・子供の呼び出しに定時定刻の仕事が難しくなった

双子がいよいよ小学校入学を迎えて、発達支援の拠点校に通学区変更の手続きやなどに追われて始まった生活。
週に1回は学校からの連絡が入り、面談や謝罪に駆け回る日々でした。
これは益々定時定刻のお仕事は難しいかも…と思い始め、塩漬けになる課題と格闘しながらなんとかかんとか修了した気がします。
お仕事もパラレルワークをするようになり、自分で予定を調整できるわがままな条件を聞いてくださるお仕事だけ受けるようになりました。

・できることが増えたら、仕事も増えた

デジタルハリウッドSTUDIO「主婦・ママクラス」を卒業して、webをゼロイチで作るより、webの更新作業やCRMとの連携などのお仕事ができるようになりました。手探りでディレクションのようなお仕事もお声がけいただく機会もあり、小さな経験をたくさん積んで自信と実績につなげることができました。
web以外にもチラシ作成や観光プロモーション、カスタマーサクセス、インサイドセールス立ち上げなど、特に専門職として特化した経験はないのですが、クライアントのお悩みを聴いて、一緒に考えるという仕事が増えました。
ジョブホッパーと言われた私のキャリアが、デジタルハリウッド(以下、デジハリ)と出会い、デジタルスキルを学んだ事で、金融、教育、不動産、まちづくり、事業開発、M&Aなどの事業経験が線となってつながった瞬間だと思います。業種業態は様々でも「デジタル」を通じてお悩みを解決するという、コンサル業的な働き方ができるようになりました。当時の同僚からは、SEでもコンサル出身でもない人がなんでそんな仕事ができるようになったか謎、とよく言われました。

・STUDIO本部のアシスタント募集から、システム管理者へ

そのころ、ママクラスのメーリングリストでSTUDIO本部のアシスタント募集のメールが届きました。パラレルワーカーとして1つプロジェクトが落ち着いたタイミングと、家から近い距離なこともあり、気軽にまずは応募してみよう!とメールを返信しました。社員さんのサポートで入ったお仕事でしたが、大好きなCRM(Salesforce)を活用する場面も多く、任された仕事をよりよくするために提案できる機会もいただき、システム管理者としてSTUDIOの拠点拡大を支援することができました。
上の双子が小学生になったタイミングで、子育てが次のステージに移った安堵感からか、2回目の出産を迎える機会にも恵まれました。7年ぶりの出産(予定帝王切開)は、本当に楽しく入院生活にも余裕がありました。パラレルワーカーとして個人事業主にもなり、新生児は孫のようで、産後も産褥期を経て子連れ出勤で単胎児の子育てを楽しみました。運よく保育園にもすぐに入園でき(1月生まれ、4月入園)、首も座りたての赤ちゃんを預けるなんて!と賛否両論言われながらも、子育ても仕事も全力投球で邁進しました。

2016年には近未来教育フォーラムのセッションにもパネラー登壇したり、全国の色んなSTUDIOとのお仕事は、身軽に動けない産前産後時期に全国を旅行しているような気分にもなり、悩んでいたのは私だけじゃない!と背中を押してもらえました。
STUDIOアシスタント業務は、新しいスタッフの方も迎え定常業務を引き継ぎ、システム移行のプロジェクトは出産前後も業務委託で関わらせていただきました。本当に丈夫な体に産んでくれてありがとう、と母に感謝です。

・仕事が増えたら、地方へ移住するハードルが下がった

デジハリでの色んな経験は、子どもたちにも超最先端の世界を見せてあげられたり、活躍する多数の卒業生と「デジハリ」キーワードでつながることができるネットワークの広がりは今でも無限大です。
上の双子が中学年になるころから、私にとって東京での子育てはどんどん窮屈になっていき、娘が先に長野県北相木村に山村留学したのをきっかけに、母子で長野県南相木村へ転入することになりました。夫は東京で働く、2拠点生活の始まりです。コロナ禍前の移住ということもあり、子育てワンオペ大変じゃないのお仕事どうしてるのなんでこの村にきたの?と聞かれることもあり、其々は別途記事ご参照ください。
木登りも花摘みもできる子育て環境は本当にありがたく、村の子育て支援で破格の住宅に入れたタイミングもご縁だと思います。収入は減っても、支出も減らせるので、トータルではプラスになっている感じがします。車生活になったので、たまに上京するときに電車の乗り換えや人の波に緊張することはありますが、コロナ禍を経て、地方のデジタル化は追い風となり、テレワークや在宅勤務などへの周囲の理解は広がっています。ありがたいことにDX人材のニーズは本当に多く、今では地域でのお仕事も5割以上になりました。デジハリでの経験がなかったら、今ここに私はいなかったと思います。

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