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ビートルズ好きな曲TOP20

特定の曲だけ好きですがアルバム沢山あるので一応 1位 Yer blues ビートルズの曲なのかプラスティックオノバンドの曲なのかはたまたジョンレノンの曲なのか分かりませんが最高 ダーティーマックの演奏がめっちゃ良いです クリームもストーンズも好きではないけれど 2位 I’m only sleeping ボーカルとベースが良い たまを思い出す哀愁 こんな良い逆再生聴いたことない 3位 I saw her standing there アンソロジー1に収録されてる音源

    • CAN好きな曲ランキングTOP20

      1位 I’m so green (Ege Bamyasi) サイケデリック・ミニマル・ファンクと呼べちゃう唯一の曲 こんなん作れたらもう人生でやること他にない 2位 Bring Me Coffee or Tea(Tago Mago) 大仰なリバーブは必要ないと分かる名曲 こんなん作れたらもう人生でやること他にない 3位 Gehaim(The Peel Session) Landed収録のPast Half Oneの別バージョン?そっちも好きだけど こんなん作れたらも

      • ゆらゆら帝国好きな曲TOP20

        20位 砂のお城 19位 順番には逆らえない 18位 できない 17位 午前3時のファズギター 16位 つきぬけた 15位 星になれた 14位 ハチとミツ 13位 やさしい動物 12位 ザ・コミニュケーション 11位 ミーのカー 10位 星ふたつ 9位 3×3×3 8位 グレープフルーツちょうだい 7位 骨の心 6位 ロボットでした 5位 ひとりぼっちの人工衛星 4位 お前の田んぼが好き 3位 ソフトに死んでいる 2位 学校へ行ってきます 1位 アーモンドのチョコレート(後期

        • 詩作 試作 私作

          ジメジメした熱帯夜 セミもまだ鳴いてる 街灯はひとつもないが辺りはビルに照らされている  まどろんで薄暗い明け方 空は紫色 このまま太陽が昇らなければいいのに  無情にもまた夏の日がやってくる 軽く汗ばんで起き上がる クーラーで冷えた部屋にむなしさを感じる 振り出しに戻されたような1日がまた始まる 同じマスを何度も何度も 昨日と同じような今日をやっている 何か変わるんじゃあないかと毎日毎日 そのうち身体は機械のように感じられる  手足は錆びついて鉄の擦れる音を発し

        ビートルズ好きな曲TOP20

          言葉について

          言葉というものについて自分はずっと思うところがある 言葉はどれだけ文脈を記述し表現する努力を尽くそうとも、言葉が表現しようとした原イメージ、すなわち無数の文脈のもとにその瞬間に湧き起こったあるイメージというひとつの現象に対して、限定的かつ「ある観点から」の説明をするに過ぎない ある瞬間、またある瞬間と「あなた」が体験する感情やそこから湧き上がるイメージには、 あなたが居合わせる相手、あなたの今の気分、幼少期の親や兄弟との関係性、これまで出会ってきた人たちとの間のできごと

          言葉について

          自分はなぜ卒業論文を書けなかったのか

          自分は社会学系の学部に所属していたが、「社会調査」というものに、拭いきれない違和感を覚え続けていた。 たしかに、データを使って過去の学説や素朴理論を批判し、そのものの見方を覆したり部分的に訂正し、それが「知識」として流通することで臆見の皮が1枚ずつ剥がれていくというのは言うまでもなく重要であるし、それは社会学の重要な役割であって、ある視点→批判→ある視点→批判…と漸近していくという意味で真理探究の営みをしていると言って差し支えないものだろうと思う。 当たり前だけれど一度の

          自分はなぜ卒業論文を書けなかったのか

          分析はやめました

          大学卒業して早1年近く、過去記事に続く近況というか最近の頭の中の概要をサラリと綴っておく いろんな枠組みを使って「分析」することは大事なことである 自分の素朴な視点とは異なる視点から、「この現象はなぜ起きているのか」「なぜ自分(又はアイツ)はこう思う/感じるのか」「自分(又はアイツ)は何者なのか」などと言った疑問への回答を与えてくれるからこそ、心理的に安心できたり、そこを足がかりに「じゃあ、どうするか」と考えることができたりする ただ、「分析」とは言葉より前にある未決定

          分析はやめました

          ギデンズの嗜癖論に思うこと

          アンソニー・ギデンズはイギリスかどこかの国の大物社会学者です 自分の卒業論文は「依存症」について、もとい最近の専門用語で言うところの「嗜癖」「アディクション」について、病気やら犯罪やらの色眼鏡を外してみたときに如何にそれが広範に当てはまりうるものなのか、その前提に立てばなぜ一部の人だけが社会的に「依存症」の人だとされるのか、ということについて、ギデンズの嗜癖論を援用して書きました。 当時は卒業「論文」という縛りや時間的制約があり、思っていたことは当然フルに自由には書けなか

          ギデンズの嗜癖論に思うこと

          社会学という思想

          この春で大学(社会学科)を卒業しました 3年くらい半端に社会学をやってきたけれど、自分は遅筆も遅筆だった 大学の紀要で論文の一部を書かせてもらったときも、コラムを書く機会をもらった時にも、卒業論文にしても なんなら昔やっていたブログやら今こうして書いているnoteの記事も、自分は遅筆が過ぎる それが嫌なあまり興味があるのに断ったり書けなかったりということもあった 記述している内容が正確なものなのかというところに、哲学的なところまで執着する良くない癖が出ていた 例え

          社会学という思想