あ!草むらからニーチェ哲学が現れた!!

ツァラトゥストラの言う精神の3回の変化について、少し止まって考えてみたいと思う。

最初はラクダだと言う。

しっかりと重荷を背負って前に進んでいく精神だ。

本人はしんどいと思いながらも、それは守られながら学習を行っている現状なので、実は楽だ(ラクダ)。

ニーチェは仏教に精通していたと見られるショーペンハウアーを知っているので、仏教的に解説しても差し支えない。

ラクダは幻覚を見る。

ただし、これは精神異常のものではない。

人と人、物と物のつながりを見る。

僕が例えるならラクダこそ、旅行者だ。

仏覚に至るまでの旅を精神的に旅をする。

それが判ったところで、まだ始まりの地図が創られたに過ぎない。

それはまだ景色を見ただけであって、実際に悟った現実に直視する訳ではない。

でも一応悟ったと自分の中だけでは言えることである。

それから獅子に移る訳だが、龍とも表現している。

それも黄金の鱗だ。

アニメ・ワンピースの黒腕や、映画などでよくあった透明人間を経ての黄金。

金の龍の置物はよく見かけるはずだ。

別に大発見でも何でもない。

獅子もあまり実感をともなわない旅行と言える。

理屈を知るためには必要な精神旅行だ。

ニーチェはいい線を行っている。

楽しい。

だが、彼は蛇ほどの賢さはないと謙虚な姿勢を見せた。

僕は蛇はさほど重要ではない。

そんなに賢い存在には思えない。

では3つ目の最後の赤ん坊はどうか。

この段階ではもう自分は理屈を知った上でよく表現が出来ているという実感がともなっているのが現実だ。

ここまで来たら確かに、頼りがいはあるし、大人だし、もう合格点はあげたいところだ。

けれども、それでは不十分なのである。

その次の変化を僕が提示して締めくくりたいと思う。

それは笑顔が上手な人間になることだ。

これが出来てやっと周りの理解も増えてくると思う。

笑顔が上手に出来た人は元々上手かったはずだ。

それが、理屈を知る精神の旅に旅立ったが故に笑顔に安定感が失われた。

そして、また安定して上手い笑顔を沢山振りまける時が必ずやって来る。

上手い笑顔は数人で良い。

それがちゃんと万人に伝わる。

それが伝染する。

悲観を求める時代は「悲劇の誕生」(ニーチェ著)に書かれた時代でもう事足りている。

精神はこの4つの変化があると訂正してそれを信じて行動して欲しいと思う。

僕は獅子から赤ん坊になった辺りの期間、ドイツのゴールキーパーのオリバー・カーンが守護神として着いて守ってもらっていた。

部屋にポスターを飾っていた。

もちろんサポートしてくれる存在は数知れず。

そして、守護神オリバー・カーンから卒業することになった。

その代わり、僕の大事な人を守ってくれと頼んだ。

仏教的に守護神を求めるのなら、オリバー・カーンのような存在にあたるのは千手観音になる。

千手観音に守ってもらうと良い。

僕は笑顔がこの世で一番上手い人間になろうとしている。

これが僕の次の挑戦だ。

ニーチェよ、ありがとう。

僕は空也師匠を慕い、そして、面白いを提供してくれる友としてあなたに感謝する。

さほど金のかからない旅をこれを読んでいるあなたにも贈ることにして今日は締めくくりたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?