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50s フィフティーズ 〈第17話〉 率直は誠実の裏返し

■9月第4金曜 ③
20:00 蓮くんのおかあさん、来訪


 午後8時ぴったりにドアホンが鳴った。
「こんばんは。散らかってますけど、どうぞ」
 そう言って蓮くんとその母親を我が家に招き入れる。言い訳ではない。わたしはあえて部屋をいつもの乱雑なままにしておいた。蓮くんの母親に、わたしとわたしの家を判断する材料を提供したかったのだ。

 蓮くんと目が合った。ずるい顔をしている。わたしは蓮くんが企てる悪だくみの共犯者になった気分だった。正論ビームを吐くだけで面白みのないママゴンの裏をかいてゲームの楽園をつくる気なのだ、この子は。
 だが、この小さな背信がちょっと楽しい。

 小学生の時、父親の印刷所の片隅で、積まれた納品前の印刷物の山の隙間を秘密基地と呼び、友だちと駄菓子を食べたり、マンガを読んだりしていたころの幼い背徳感を思い出した。何度か秘密基地会議を開いたあとで父親に見つかり、こっぴどく叱られたのだ。最初は危ないと言ってたしなめる程度だったのに、駄菓子のソースが印刷物の包装紙に付いていたのを見つけると、烈火の如く怒鳴りだした。ビニールに包まれた中身に被害はないはずなのにと子ども心に思った。亡父は昭和の職人だった。

 ソファに座った親子のために、わたしは飲み物を用意する。おかあさんにはコーヒー、蓮くんにはコーラ。冷蔵庫からペットボトルを出し、キャップを取ろうとすると、おかあさんが声をかけてきた。
「すみません。蓮にはお水で結構ですので」
「ぼく、コーラ、だめって言われてるの」
「お気遣いいただいたのに、ごめんなさい。清涼飲料は10歳からと約束してるんです」
「はぁ、そうですか……」

 お盆でコーヒーのマグカップ2つと水入りのグラスを運ぶと、テーブルにはプリントアウトされた紙が乗っていた。
「お時間を取らせないように、お話ししたいことのレジュメをつくってきました」
 ご近所さんとの会話の中で居心地の悪そうなレジュメというワードに少し驚いたが、この効率性の追求は気持ちがいい。おばあさんの多い〈旭町こども食堂〉は非効率だらけだからな。
「拝見します」

・清瀬さんのところにお邪魔するのは最大でも週(  )日
・お邪魔する時間帯は下校時から(   )時まで
  ※通常の下校時間は15時半ころ。
   6時間目がある水曜日だけ16時半ころ
・蓮は行く前に清瀬さんに電話をかけ、OKがもらえたときだけ伺う
・小川は上記の決められた時間までに清瀬さん宅に蓮を迎えに行く
   
【検討事項】
・時間延長の可否
・ご負担をおかけすることに対しての謝礼
・ゲームをする1日あたりの時間数
・同行してもいい友だちの人数
・4年生以降の扱い

「ぼく、週に何日来てもいいですか?」
 蓮くんが話しかけてこなければ、クライアントとの打ち合わせモードに頭が切り替わりそうだった。そうだ、子どもの話だったのだ。まずはおかあさんの疑問を解消しよう。
「蓮くんはなんでうちに来たいの?」
「ゲームがいっぱいあるし、おじさんがいろんなことを教えてくれるから。ほら、おかあさん、ぼくが好きだっていってた曲のこともおじさんが教えてくれたんだよ」

 その曲とは、ゴジラのテーマ曲だ。ゲームをしながらの世間話で蓮くんが映画『シン・ゴジラ』を観たと言ったから、なんとなく伊福部昭のCDをかけてみたのだ。確かに喜んではいたが、親子で話題にするほど気に入っていたのか。いや、うちに通いたいがための言い訳かもしれない。まあ、いい。頑張って嘘をつけ。わたしはゲーマーの味方だ。

「清瀬さんのとこに来れないときは学童に行くのよね?」
「うん」
「学童に行くのはいやじゃないんでしょう?」
「うん。1年生とか2年生とか、同じ3年生でも違う学校の友だちとかもできて、楽しいんだよ。だから、友だちを増やすのはいいことだと思うんだ」
「つまり、おじさんもその増やす友だちの一人なのかい?」
「うん。あ……」
 母親の表情からなにかまずいことを言ったらしい雰囲気を感じ取ったようだ。
「蓮、清瀬さんは学童の友だちとは違うのよ。おかあさんが帰るまでの間、蓮のことを見守ってくれる大人のひとなんだからね。清瀬さん、なんかもう蓮が失礼なことを……すみません」
「ははは、気にしないでください。ぼくも友だちの一人になれてうれしいですよ」
 おかあさんは気まずそうではあるが、学童保育でトラブルがあったわけではないことが確認できて安心しただろう。

 レジュメをもとに決めることを決め、蓮くんは週に最大3日、下校から6時半までうちにいることになった。同行の友だちは一人だけ、ゲームは1日1時間と、蓮くんのおかあさん、小川さんが決めた。謝礼はわたしが断った。
 小川さんに急な残業などが入ったときは、電話をもらい適宜相談して対応することにした。わたしによほどの急用がない限り、たぶんそのまま預かることになるだろう。他に行くところがないのだから。その意味で、学童保育の範疇外となる4年生になったら毎日うちに来るのかもしれない。でも、4年生ならもう自宅で一人でも問題ないのかもしれない。これは5カ月後に考える案件として棚上げした。

「そして、最後に、大変自分勝手で失礼なことは重々承知の上で、清瀬さんにご協力をお願いしたいことがひとつあります」
 そう言って、小川さんは別の紙を出した。手に取って読む。

●清瀬さんと小川の関係について
 男女の仲を誤解されると地域に住みにくくなる。

【対策】
 ・マンションの古い住民に事情を話しておく。
 ・旭町こども食堂の方々にも事情を話す。
 ・蓮のいないところでは会わない。
 ・蓮以外の話題で連絡を取り合わない。

 小川さんのストレートな気の回し方に、わたしはしばし口を開けていたようだ。口の中が乾いてきて、ぬるくなったコーヒーを口にふくんだ。
「気を悪くなさったならお詫びします。でも、大切なことだと思うんです。私たち、夫の思い出がたくさん残っているこのまちやマンションにずっと住み続けたいので、どうかご理解をお願いいたします」
 真っ直ぐ私の目を見てから、小川さんは頭を下げた。

◆   ◆   ◆

 わたしの前で蓮くんが古い『ピクミン』をやっている。おかあさんと一緒に帰らず、「30分だけ。お願い!」と拝み倒して、今、我が家でゲームをしている。
「そんなに気に入ったのかい、これ?」
「うん」
「来週まで待てないってことか」
 わたしが笑いながらそう言うと、蓮くんは少しむっとした。
「おかあさんはちょっとうるさいから、少し離れたい時がある。今とか」。
「そうか……」
「おじさんとは今度、座談会でも会えるかもね」
「座談会?」
「おかあさんが、今度清瀬さんも誘ったほうがいいわねって言ってた。ぼく、来週体験発表するから、それに誘うと思う。それと、来月きっと新聞取ってくれって言われるよ」
 やれやれ。マルチの次は新興宗教か。


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