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50s フィフティーズ 〈第14話〉 ビジネスはカルト風味

■9月第3木曜 ③
10:00 安斉さんと打ち合わせ(skype)
11:00 歯医者
(追加)
17:30 新規の打ち合わせ?(カフェメルロード)


 深山さんと約束した時間より、少し早く店に着けるように家を出る。どこからか焼き魚のにおいが漂ってくる。まだ5時すぎなのに、こんな早く夕食をとる家庭もあるのだな。
 旭町教会を通り越し、昼間通ったスクールゾーンに入る。

「ティーチ……?」
 昼間、前歯のない笑顔を見た蓮くんとその友だちが同時にその名を口にした。たぶんアニメかマンガか何かにわたしの知らない前歯なしのキャラがいるんだろう。周囲の小学生たちが微妙にざわめきだしたので、「じゃあね」と手を振り足早にその場を離れた。同じマンションの蓮くんとは帰り道が同じだから、競歩並みの足取りで帰宅した。家に戻ってすぐに「ティーチ」を検索したのはいうまでもない。きょうびはアニメのキャラでさえ歯が命の芸能人なのだ。皆タイルのようにきれいな歯並びをしている。

 蓮くんは意外性の塊で、わたしに新鮮な笑いをもたらす。昨日今日でわたしは何度か腹を抱えて笑った。映画やドラマ以外のリアルな世界では久しぶりのことだ。
 思い出し笑いをしているうちに、例のカフェに着いた。中からガラス越しに深山さんが手を振っている。その隣には、わたしと同世代らしき男性が座っていた。数分早く来たつもりだったが、先を越されてしまった。

「清瀬さん、わざわざありがとうございます。こちら、友だちの坂野さんです」
「どうも、初めまして。坂野といいます」
「初めまして、清瀬です。あ、自分の飲み物買ってきますね」
 コーヒーカップと受け皿をカタカタいわせながら席に戻ると、テーブルの上にはラップトップが出されていた。タブレットではないところに気合いを感じる。坂野さん自身はにこやかな笑みを絶やさず柔和な印象だ。

「早速ですが、深山さんから少しお話を聞きまして、海外によく行かれる社長さんでいらっしゃると……」
「いや、それは深山さんにも言ったんですけどね、ちょっと間違って伝わってまして……」

 誤った情報を丁寧に訂正しながら、自己紹介を加えていく。足元に置いたかばんの中には、今朝安斉さんに送った職務経歴書PDFをプリントアウトしたものと、これまで手がけたサイトのURLをリストにしてすぐ閲覧できるようにしたタブレットがあり、いつでも具体的な説明ができるようにしてきたのだが、なかなかそういう話にならない。坂野さんが尋ねてくるのは、なぜか海外のことばかりだ。

「これまで何カ国に行かれたんですか?」
「そんなに何度も行かれているなら、海外にお友だちも多いんでしょうね?」
「どのまちが一番お好きですか? え、ロンドン? 私も一度行ったことがありますよ」
「では、もし海外に住むとしたなら、やはりロンドン?」
「清瀬さんの今したいことのひとつに、ロンドン長期滞在も入ってます?」
「わたしは世界各国にアパートを借りて、旅して回る暮らしが夢なんです。清瀬さんの夢は?」
「その夢を実現させるために、今何かしてらっしゃいますか?」

 たくさんの質問に、手で口元を隠しながら答える。普通の打ち合わせとはずいぶん感触が違う。たぶん、深山さんたちのいう「ビジネス」は、わたしがイメージしているビジネスではない。
「わたしは今、夢実現のためにこんなことをしているんです」
 坂野さんはラップトップを開き、パワポを立ち上げた。現れたプレゼン資料に確信した。ああ、間違いない。これはマルチレベルマーケティング、またはネットワークビジネス、つまるところマルチ商法の勧誘だ。

 知らない会社だったから、後学のためとりあえず長い長い説明を聞いた。
 アメリカ発祥のこのビジネスは、よそのマルチと違って電気料金や携帯電話料金を請求する商品サービスも扱っており、月々確実に支払われる金額から数%が還元されるしくみだから毎月コンスタントに小金が入るのが魅力だという。
「日本も電力完全自由化で、いろんな企業がうちと契約すると電気料金が安くなると広告を出しているでしょう?」
 そう説明しつつ、そのサービス自体はまだ日本で本格稼働しておらず、東京事務所も今年開設されたばかりなのだそうだ。
「だから今始めれば、ピラミッドのトップに立てるので大チャンスなんです」
 深山さんは目を輝かせる。

 在庫を持たない商売方式も売りのひとつらしい。メンバー一人ひとりに与えられる個別のURLがネットショップになっていて、売り買いはそこで行われる。自身のURLを介して売れた商品・契約されたサービスに対してバックマージンがもらえるわけだ。契約後のサービス提供や商品発送などはそのビジネス本体がまとめて行うため、メンバー自身は在庫を持つ必要がなく、売りっぱなしでよい。
 そのビジネスは多国籍展開されているので、ネットショップが多言語対応なのも特色だ。
「どこに住んでいようと商売ができて、毎月収入が得られる。グローバル化が進む現代にぴったりの素晴らしいシステムなんです。活躍の場は世界ですよ!」
 坂野さんが興奮気味に語る。なぜ海外とのつながりにこだわり、わたしがターゲットになったのかが分かってきた。

 わたしが大学生の時、同じアメリカ発祥の洗剤のマルチが流行った。同期の一人がその「ビジネス」に本腰を入れ、ついには退学し、風の噂によるとそっち方面で成功者と呼ばれるほど儲けたらしい。わたしも声をかけられたが、その「ビジネス」に費やしてもいいと思える時間がわたしにはなかったから──あのころは塾で中高生に教えるのがとても楽しかったからなぁ──結局断った。あのときメンバーになって本気でやっていたら、わたしもピラミッドのトップに近いところにいたのかもしれないと想像する時もあったから、深山さんの期待の大きさは理解できる。

「アタシが一番すごいって思ったのは、還元率のバランスなんです」
 深山さんは熱く語り始めた。
「アタシ、前に補整下着のビジネスをしていたんです。そこで、アタシのグループのメンバーが30万円の商品を買うとアタシの口座に6万円が入るんですけど、それって直接すぎて友だちからお金を取ってるみたいでなんかイヤじゃないですか。このビジネスだと、自分から遠くなるほど還元率が高くなるんで、例えば私のメンバーなら2%、その下のメンバーなら5%、その下なら8%とかって具合。これなら友だちに悪いって感覚も持ちにくいでしょ? アタシ、これは素晴らしいシステムだ!って思ったんですよ」

 自分の「子ども」や「孫」「ひ孫」からの還元率が低いから罪悪感を軽減できる、と? なんという言い訳だ。罪悪感が発生している時点でその「ビジネス」は自分の倫理観に合っていないのに、絶好の機会とアピールされた波──本物の波なのかどうかは後日じゃないと分からないが──に乗るため心の矛盾を取り繕っているわけだ。
 だがそれ以前に、深山さんがかつて別のマルチもやっていたことになんともいえない苦さを覚えた。

「毎月料金が発生する商品サービスだから、マージンも毎月入る。いわば不労所得。サラリーマンの副業にもなります。大手企業の副業解禁の追い風もあって、わたしのグループでは今お勤めの方の参加が増えてるんですよ」
「シングルマザーにもぴったりだと思うんです、アタシ。毎月確実に何万円か入ってきたら、家計がすごく助かりますもん」

 口まで出かかった言葉をぬるくなったカフェモカとともに飲み下す。昼に飲んだエスプレッソよりなぜか苦味が強い気がした。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 夕食時だったが、外食も買い物もせずにカフェからまっすぐに帰宅した。家でもなんとなく落ち着かず、昼間に買ったクロワッサンをほおばりながら、坂野さんがくれた名刺をつらつらと眺めた。

「もちろん強引なお誘いなどしませんよ。興味がわいた時にご連絡ください」
 全く関心を示さないわたしに対し、坂野さんは引き際もさわやかだった。深山さんは不満そうだったが。
 やさしい笑顔の坂野さんは、深山ルートでシングルマザーの「孫」をたくさんつくるのだろう。しかし、二人とも「ビジネス」のシステムは丁寧にじっくり教えてくれたが、自分たちが売る商品サービスの内容や質についてはひとことも触れなかった。その1点のみで、わたしは深山さんが月に何万円もの不労所得を得るようになるとは思えなかった。

 どうにも落ち着かない。テレビをつけて普段ほとんど観ない民放のバラエティ番組を流しているが、内容は耳に入ってこない。
 〈旭町こども食堂〉に来るママさんたちにも波及するだろうか。自分の信じるものを他人に勧め、仲間に取り込むという行為においては、ネットワークビジネスも、宗教も、政治活動も同じだ。そして、信じるものの無謬性を一切疑わず、自分と同じ信心を持たない人を根拠なく非難したり攻撃し始めると、それはカルトになる。
 インターネットが発達した今の社会はカルト化しやすい。同じ信心を持つもの同士が簡単に出会って集団になり、強い求心力を持ちながら異教徒を攻撃するから、ますます結束力が増す。
「カルトは世の中の多数派なんじゃなかろうか?」
 2つめのクロワッサンに手を伸ばし、わたしはまた多数派探しを始める。そして、いつも通りわたしが多数派に属していると思うのは幻想だという結論に落ち着く。もしかしたら、この社会自体がもうすでにカルトなのかも。だから、わたしはひとりなのかな。
 いきなり臨時ニュースを知らせる音がテレビから流れた。画面を観ると、「衆議、覚せい剤取締法違反で逮捕」のテロップが目に飛び込んだ。


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