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50s フィフティーズ 〈第19話〉 尊厳死

■9月第4土曜 ②
18:00 橋本家で夕食(中止)
18:30 エントランスで橋本夫妻と待ち合わせ
19:00 木下さん母、お通夜


 木下さんのところに思いのほか長居してしまい、帰宅したら11時を過ぎていた。玄関からすぐ冷蔵庫前に直行し、取り出した缶ビールを手にソファに座った。まずビールをひとくち飲み、心身をずっと覆っていた、居心地の悪さに由来する緊張感を脱ぎ捨てる。背広を脱ぎ、黒のネクタイを緩めて、ようやく日常に戻れた気がした。

 木下さんの母親の葬儀は、50年生きてきた中でも初めて体験することばかりだった。まず、自宅で行う通夜に参列するのが初めてだ。家族葬というものなのだろうか。祭壇がつくられていた客間とおぼしき和室は8帖ほどしかなく、いくら10人程度の親族だけとはいえ参列者が入りきれず、橋本夫妻とわたしはふすまを開けて和室と一続きにしている居間のじゅうたんの上で正座した。親族でもなく、特に親しい間柄でもないのに、このような場に来てしまったことを少し後悔した。

 そういえば、美奈子さんも木下さんの血縁ではなかった。大学時代の後輩の友だちだか親戚だとか記憶していたが、正しくは美奈子さんが卒業した大学の年の離れた同窓生だった。同じ家政科だったから、美奈子さんは木下さんを〈旭町こども食堂〉の調理係にと熱心に口説いたわけだ。同窓会のなにかの集まりで、たまたま席が隣同士になり、自己紹介から家が近所だとわかって話が弾み、一回り以上歳の違う2人はその後地元で会うようになり、同窓会シーズンになると誘い合って大学のあるまちまで小旅行をする仲となったそうだ。母親の介護をするようになってからは、時々美奈子さんが木下さんを昼食に招いて愚痴を吐かせていたという。
「照ちゃんはさ、我慢強すぎるの。こっちから聞き出していかないと、愚痴さえ言わない」
 そう言って、美奈子さんは帰りの車の中で涙ぐんだ。

 わたしはそういうつながりがないから、木下家でただただ困惑していた。葬儀がキリスト教だったのも困惑に拍車をかけた。キリスト教は通夜ではなく前夜祭と呼ぶらしい。
 本屋でちらっと頭をよぎったが、まさか本当に宗教が違うとは。家に上がって祭壇に十字架を見つけたとき、わたしはとっさにトイレを借りた。個室の中、スマホで「キリスト教」「葬儀」「香典」のキーワード検索をした。「御霊前」でシンプルな袋なら問題ないらしい。文明の利器に感謝だ。

 家族葬と前夜祭。この慣れない異文化のダブルパンチで、私にとって木下家はどんどん居心地が悪くなっていった。ただの無責任な見ず知らずの旅人の立場なら、どんな異文化でも楽しめるのに。
 式では、親族が賛美歌を歌った。木下さんとふたりの弟とおぼしき人たちは歌詞カードも見ずに歌っていた。

 続いて牧師の祈祷と説教があった。
「旭町教会の牧師で和田と申します」
 この人があの教会の牧師かと小さく驚き、説教を続ける牧師の顔をまじまじと見た。建物の佇まいから、地味で目立たない七三分けの小男を勝手に想像していたが、わたしと同じくらいの背丈で笑顔が柔和な、ロマンスグレーの年配男性だった。
「クリスチャンにとって死とは、天に召されて地上での罪から解放されることです。仏教では葬儀を“ご不幸”と言い換えたりしますが、われわれは死を不幸であるとは考えません。木下フミさまとわれわれ兄弟姉妹は天上と地上にしばし分かれているだけなのです。その別離はつかの間のもので、やがて天で一緒になれるという希望を知っているのがクリスチャンなのです」
 そう言って、和田牧師は橋本夫妻のほうを見た。和田牧師はわたしたちに向けてキリスト教徒以外にもわかるような説教をしてくれたのだろう。

 その後、和田牧師は聖書を引用した話を少しして、木下フミさんの長男を紹介した。この人が噂の甘やかされて育った長男か。松苗マトリックス流で評価するなら、痩せすぎだからデブ軸は−−、そこそこ薄いからハゲ軸は+ ──モテ軸はそんなもの知るわけがない──だな。
そんなくだらないことを考えているうちに、誰の葬式でも使えるようなことしか言わなかった長男の挨拶は終わり、参列者は祭壇に献花をし始めていた。わたしも遅れてそれに続く。献花は焼香みたいな位置付けなのかもしれない。全員が献花を終えて、式は終了となった。

「今日はわざわざありがとうございます」
 日曜よりもさらにげっそりした木下さんが、居間で話をしていたわたしたちのところへ挨拶に来た。わたしは自分で自分に課し、今それをとても後悔しているミッションを果たすことにした。
「あの、木下さん。これ、このあいだのトランクの代金の一部なんです。すごく高く売れたんで、光一さんから木下さんにお礼をしたほうがいいと勧められて……」
「そうですか。売れたのなら、お役に立てたんですね。よかった」
 木下さんは独り言のようにそう小さくつぶやき、金の入った白い封筒を両手で受け取っておじぎをした。そして、しばらく黙ったまま封筒をじっと見つめ、意を決したかのように息を吸った。
「あの!」
 声のボリュームにわたしは少し面食らった。
「美奈子さん、もしこのあとお時間があるのなら、少し話したいことがあるんです。少しだけ居てもらってもいいですか?」
「照ちゃん……」
 美奈子さんと光一さんが後ろにいたわたしを振り返り、わたしは何度か小さくうなずいた。
 わたしと光一さんは車で美奈子さんを待つことにし、参列の親族にあいさつをして木下家を辞した。美奈子さんは2階に通されたようだった。

 家の前に停めた車の中で30分ほど待っただろうか。美奈子さんが戻ってきた。車に乗り込んだ美奈子さんは顔面蒼白だった。
「どうした? なんかあったの?」
「……あのね、照ちゃん、……癌なんだって」
 車内の空気が凍った。いまにもパリンと割れそうだ。

「……もしかしてかなり悪いの?」
 光一さんが心配そうに美奈子さんの顔をのぞき込む。
「胃がんでステージⅢだって……」
 末期癌ではない。手術できるレベルのはずだ。
「照ちゃんは我慢強すぎるから。食欲なくて、胃の調子が悪くても、仕事行くし、介護も休まなかった。それで発見が遅れたんだと思う。ネットで調べて、自分では逆流性食道炎だって思ってたんだって」
 母が逆流性食道炎だが、あの病気は食欲不振を招く病気だっただろうか。母は薬を服用し、食事の量は少ないながらも毎日3食きちんと食べている。不幸にもネットの嘘医療情報サイトに辿り着き、真に受けてしまったのだろうか。

「告知を受けたことをお母さんに話したら、きょとんとしていたんだって。それが今週の月曜。それから4日後に亡くなったのね……」
「癌だって分かったのはいつなの?」
 光一さんはわたしの聞きたいことを聞いてくれる。
「先週の金曜だって。でも、お母さんの介護があるから、入院をちょっと待ってもらったっていうの。弟は近くにいないし、そもそも協力的じゃないし、ヘルパーさんを雇う準備をしてたみたいね」
「それで、病状はどうなの? ステージⅢって余命何カ月とかって状態なの?」
「照ちゃんは言わなかったし、わたしも怖くて聞けなかった……」
 もしかしたら木下さんの母親は、自分が娘の負担になっている自覚が突然芽生えて、天に召されることを決めたのかもしれない。

「抗がん剤って辛いってよく聞くでしょ? あれ、本当だって。具合悪くて起きれなくなるんだって、入院患者さん同士で愚痴っているのを病院の中にあるカフェで耳にしたそうよ」
「……」
「それでね、照ちゃんが言うの。"わたしには扶養する子どももいないし、介護する母も亡くなった。仕事も派遣社員で誰とでも置き換えが可能。まだ抗がん剤を飲んでない今でさえ体は辛いし、もう頑張って生きなくてもいいんじゃないかな"って。わたし、何も言えなかった。わたしは少しでも希望があるなら照ちゃんに辛さに耐えて頑張ってほしいけど、でもそんなのわたしのエゴでしょう? わたしが照ちゃんの立場だったら、きっと同じことを言うと思うの」
「おいおい、そうなの? おれのためには生きてくれないのかい?」
 いきなりの光一さんのツッコミで車内の空気がふわっと軽くなった。美奈子さんも気持ちに色を取り戻したようで、深刻な表情を緩めてふふふっと笑った。
 わたしは美晴とこんな夫婦になりたかった。

「そうだ、清瀬さん。照ちゃんね、土日で入院の準備してたんだって。そのときに部屋にあったトランクに目がとまって、大きくて邪魔だなって思えてきてバザーに出すことにしたそうよ」
 そうだ、それも気になっていたことだった。忘れていたけど。
「あのメモは木下さんが書いたものだったんですか?」
「それだけど、辛くて頑張れないなんて話を聞いたばかりだったから、わたしも勘ぐっちゃってね。尊厳死団体に問い合わせたりしてるの?って聞いたら、ぽかんとされちゃった。照ちゃんは知らないって」
 では、前の持ち主のものなのか?

「あのトランクは、旅行中に仲良くなってずっと文通していたドイツ人のおばあさんから船便で送られてきたものなんだって。家に招かれたときに素敵ですねって褒めたことをそのおばあさんは覚えていて、あるとき "送りました" と手紙で知らされたんだって。15年くらい前のことらしいわよ」
「もしかして、そのおばあさんが?」
「確かに、それが最後の手紙になったそうで、それから何度手紙を書いても返事は来なかったって」
「生前に自分で形見分けしたのかな」
 わたしも光一さんと同じことを考えた。

「そのおばあさんが書いたものなのか、今となってはもうわからないわね」


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