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オタクって見たアニメの数じゃなくて感情の強さだよね

わたしです。
学生時代からアニメが大好きな「オタク」をしています。

年々、オタクという言葉やオタクと呼ばれる人そのものに人権が与えられてきたように感じます。

そんな「オタク」というものに対していろいろと考えてみたいと思います。

結論としてはこんな感じ
オタクかどうかは、見たコンテンツの数や歴とかじゃなく、感情のあり方がどうかで決まる気がする


オタクになるまで わたしの場合

わたしは今年30歳になるオタクの女性です。
アニメは物心着く前からアンパンマンやドラえもんを見てきたと思います。

ポケモンのアニメ放送当時をなんとなく記憶していて、はじめて映画館で見た映画は「ミュウツーの伝説」だったと思います。

カードキャプターさくらやおジャ魔女どれみも見ていましたが、オタクとしてではなく純粋に女の子として見ていました。


出典 カードキャプターさくら

このオタクとして見ていた、女の子として見ていたという概念も面白いなと思ったので、後述したいと思います。

そんなわたしがオタクになったきっかけは「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメを友人から勧められて見たからでした。

この涼宮ハルヒの憂鬱やらき☆すたや、もう少しあとになるとけいおん!など、普通の人間をオタクの沼に引きずり込んでくるタイプのアニメがこの世にはいくつかあります。`

この「オタクになった」という実感は、ただアニメにハマったとは違う感覚があります。

それが「純粋にアニメを楽しんでいた頃」と「オタクとしてアニメを楽しんでいる今」との違いだと思います。


オタクと一般人のちがい

このタイトルも冷静に考えると変なものだなと思います。

オタクはよく「オタクじゃない人」を一般人(パンピー)と表現することがあります。

もしかしたらこれも古い表現で今はそういう言い方をしないかもしれませんが、オタクはどこかで「自分は普通では無い」みたいな感覚を持っているところがあるように思います。

この普通じゃないという意識があるもの同士で集まって、共通認識を持って、そうしていることがオタクの楽しさとも言えます。

さて、この「オタクが思うオタクと一般人の違い」とはなんなのでしょうか。

当然ですが、オタクになった瞬間にみんながメガネになるとか、チェックのシャツを着はじめるとか、そんなことはありません。

オタクファッションを着たからオタクというのも違うのは誰が見ても明らかでしょう。

わたしが思う、一般人とオタクの違いは「コンテンツに対して抱く感情」なのではないかと思います。


CCさくらとハルヒの違い

ここで、わたしが思うオタクが抱きがちな感情を説明するために「カードキャプターさくら(CCさくら)」と「涼宮ハルヒの憂鬱(ハルヒ)」に対する視聴当時のわたしの感情を比較したいと思います。


出典 涼宮ハルヒの憂鬱

どちらも、主人公が女の子で、イラストのテイストがいわゆる美少女系という点では同じです。

NHKのアニメだったことと、深夜アニメという違いはありますが、どちらのこともオタク的な感情で見ている人も多くいることから、比較対象としてよいと判断しました。

さくらは友達、長門は嫁

オタクになる前のわたしと今のオタクになったわたしとでは、アニメを視聴する際に、見ているポイントや抱いた感情が違うなと思いました。

もちろん年齢が違うこともありますが、CCさくらを見ていた時は純粋に物語が面白いと思ってみていました。

一方で、ハルヒにハマった時は「長門有希」というキャラクターにハマり、物語の展開のことより、長門有希のことをずっと考えていました。


出典 涼宮ハルヒの憂鬱

当時は「嫁」という言葉を使って好きなキャラクターを表現することが流行しており、わたしを含め多くのオタクたちが「長門有希は俺の嫁」という言葉を使用していました。

もちろん小さい頃のわたしも木之本桜や李小狼をはじめとした、CCさくらのキャラクターも好きではありましたが、その好きはあくまで好意を持っているというレベルです。
ハンバーグが好き、ピンク色が好き・・・といったものと同じような好きの感情でした。

一方で長門有希に対する感情は、もっと強く複雑な感情が混ざっていました。

オタクになりたての頃だったので、自分がアニメキャラクターにはじめて抱いた感情ばかりで当時は整理がつかず、今言語化することは難しいのですが、この「複雑な感情」こそオタクと一般人の明確な違いなのではないかと思います。


コンテンツを見て抱く感情の違い

「オタク」と一言にいっても、色々なジャンルのオタクがいますので、その人が好きな対象をここでは一言に「コンテンツ」と表したいと思います。

アイドル、ゲーム、電車、ミリタリー・・・アニメ以外にもたくさんのコンテンツがあると思いますが、それをたくさん見ていることがオタクなのではなく、どれだけ複雑な感情を抱けるかがオタクかそうじゃない人かをわける1つの指標なのではないかと思いました。

たとえばわたしの場合、コンテンツに感情を根底から揺さぶられるような感覚をしばしば抱くことがあります。

分かりやすいものだと、ハマったコンテンツがあるとすぐに泣いてしまいます。

アニメで泣く、ゲームのストーリーで泣くというのは想像に容易いですが、軍艦にハマっていた頃は史実を書いたWikipediaを読んでは泣き、短歌にハマっていた時は1首だけ読んで泣くこともありました。

オタクになったからこれだけの感情の豊かさを持つようになったのか、これだけ感情が豊かだからオタクになったのか、どちらも考えられると思いますが、アニメきっかけで気づいた自分の感情が揺れる感覚をほかのコンテンツでも味わうことがしばしばあります。

コンテンツを視聴している時以外の時もそのコンテンツについて考えるようになると、オタクに近づいているんじゃないかなと思います。


オタクでもオタクじゃなくてもいいじゃない

ここまで、オタクとそうじゃないという区別をして書いてきましたが、どんなスタンスであれコンテンツを楽しんでいること、好きなコンテンツがあることは素晴らしいことです。

オタクの中でも「にわか」とか「浅い」とか、なぜか自分のスタンスと他人を比較して悪く言う人がいたりします。

広く浅く楽しむことも、深く狭く楽しむこともどちらもコンテンツのファンであることに変わりは無いし、好きなものを見つけられたことは本当に素晴らしいことです。

なのでこの記事では、あくまで「わたしが思うオタク」という1事例を紹介したことにすぎず、どんなコンテンツの愛し方をしていても、オタクを名乗る、名乗らないは当然自由なのです。

ただわたしは自分が「オタクになった」という自覚を持ってもう15年以上経ち、人生の半分以上をオタクとして過ごしてきた自分のこのラベリングを考えることも好きです。

存在しないもの、手が届かないもの、人間でないもの・・・など、生き物としての生命活動だけを考えたらなぜそれに執着するか自分も含め「オタク」というものが謎で仕方なく思います。

自分自身を知る意味でも、またオタクについて考えていきたいと思います。




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